~ケセラセラ~愛情不足に悩んでいた不登校ママがおじいちゃん先生の言葉に救われた話
「愛情不足だと思います」
保育園に通い始めて1年ほどたったある日。先生からそう言われ、頭が真っ白になった。
システムエンジニアの仕事に就いて14年。契約社員で時短勤務の制度もなく、残業が当たり前。延長保育を申請し、お迎えは夜の7時。それでも間に合わずに8時まで延長することもあった。
子どもと一緒にいる時間は少なく、迎えに行っても疲れた顔をしている私を見て、先生はそう感じたのかもしれない。
その言葉はグサリと胸に刺さり、何年も抜けることはなかった。
それから12年後。子ども2人が突然不登校に。
忘れかけていた傷が、再び疼きだした。
なんで学校に行かないの
娘が中学1年生、息子が小学4年生の夏休み明け。2人が同時に学校に行かなくなった。体調不良だから仕方がないと思っていたが、2日経っても3日経っても動かない。とうとう理由も言わなくなった。
「もう治ってるでしょう! 起きなさい!」
大声を出しても身体を引っ張っても、起きようとしない。その姿を見て、正体不明の恐怖が襲ってきた。
「なんで学校に行かないの……」
おじいちゃん先生との出会い
学校に相談しても、不登校の原因はわからずじまい。不安でいっぱいの中、小学校からこんな提案をされた。
「スクールカウンセラーと面談しますか?」
実は中学校でもスクールカウンセラーの先生と面談をしていた。30代くらいの物静かな女性。私は彼女に心の内を打ち明けることができなかった。面談しても意味がないのでは。そんな気もしたが、それでも頷くしかなかった。不登校の恐怖に一人で耐えられる自信がなかったからだ。
面談の日、案内されたのは使われていない教室。ガランとしていて、9月なのに寒々しい。
しばらくして、後ろの扉がガラリと開いた。
「えっ」
入ってきたのは腰が曲がったおじいちゃん。
「こんにちは~」
「あっ、こんにちは」
おじいちゃん先生が私の顔をじっと見る。
「表情が硬いね~」
面食らって何も言い返せない。
「それじゃあ、話を聞かせてもらおうか」
私は先生に事の次第を説明した。突然、学校に行かなくなったこと。中学生の姉も休んでいること。担任に相談しても理由がわからないこと。
「とにかくね~、お母さん。笑顔が足りないよ」
「えっ?」
「そんな怖い顔してたら子どもも元気でないよ」
「はあ」
「笑顔、笑顔でね!」
仕方なく、口角を上げてみる。唇がピクピクして上手くいかない。
「それから、ひとつだけお願いがあるんだ」
「はい」
「学校に行くか行かないかは、本人に決めさせてあげてね」
「……」
私は素直に返事ができなかった。
『子どもを学校に戻したい』
それが私の願いであり、そのためのカウンセリングだと思っていたからだ。気持ちの整理がつかず、それでも次回の面談の約束をして教室を後にした。
保健室での悲しい出来事
「保健室に登校してみますか?」
子どもを学校に戻すことをあきらめきれずに小学校に相談したところ、今度は保健室登校を勧められた。
「お願いします!」
息子を何とか説き伏せ、翌日、一緒に小学校に向かう。途中、何度も帰りたがる息子をだましだまし歩いて行く。
ようやく学校に到着し昇降口に入ると、担任の男性の先生が待ち受けていた。
それを見て泣き出す息子。
「お母さんは帰ってもらったほうがいいです」
「はい」
後ろ髪をひかれる思いでバス停に向かって歩く。早く職場に行かないといけない。それなのに、泣きじゃくる息子の顔が頭から離れない。イヤな予感がして、慌てて踵を返した。
昇降口で靴を脱ぎ、ストッキングのまま廊下を走る。
保健室の扉を開けると、ランドセルを背負った息子の姿が目に飛び込んできた。そして、泣きじゃくる息子を前に、楽しそうに談笑している養護の先生と担任の先生。
「連れて帰ります」
驚く2人に会釈をし、息子の手を引いて保健室を出る。
「家に帰ろう」
「うん」
『学校に行くか行かないかは、本人に決めさせてあげてね』
おじいちゃん先生の言葉が脳裏に浮かぶ。
それ以降、無理やり子どもを学校に連れていくのをやめた。
愛情不足のせいでしょうか?
そんな出来事があり、おじいちゃん先生に心をひらきはじめていた私は、勇気を出して聞いてみた。
「子どもが不登校になったのは愛情不足のせいでしょうか?」
おじいちゃん先生がゆっくりと腕を組む。見たこともない真剣な表情に、私は思わず背筋を伸ばした。
「難しい問題だね。愛情のかけ方は人それぞれだし、受け止める子どもの感じ方もそれぞれ違う」
「はい」
「過干渉はよくないけど、放任もよくない。何事もバランスが大事なんだよ」
「そのバランスがよくわかりません」
「ひとつ言えるのは」
私は息をひそめて、次の言葉を待った。
「これだけ真剣に子どものことを考えているんだから、愛情不足なんてことはないと思うよ」
涙がバーッと溢れてきた。滅多に人前では泣かないのに、止めようとしても止められない。そんな私を、先生は黙って見つめていた。
「人前で泣くのは久しぶりです」
「あなたはシャイだからね」
「シャイですか」
思わず笑みがこぼれる。
「そうそう。もっと笑顔でいないと」
「笑顔は難しいです」
「ケセラセラ~♪」
「何ですか? それは?」
「何事も『ケセラセラ~♪』だよ」
おじいちゃん先生が歌う。それを聞いて、私の心が少しだけ軽くなったような気がした。
不登校支援に望みをかける
おじいちゃん先生のカウンセリングを受けても「子どもを学校に戻したい」という気持ちはどうしても無くなることがなかった。
そんな中、とある不登校のお母さんのブログで、息子さんが学校に戻ったという話を見つけた。そのお母さんは不登校支援の助けを借りたという。
私はかすかな望みをかけて不登校支援の専門機関に連絡を取った。
そしてついに子どもたちは学校に戻ることになる。
不登校になってから1年後のことだった。
おじいちゃん先生との別れ
「本当によくがんばった」
子どもが学校に戻った時、 お礼も兼ねておじいちゃん先生に会いに行った。
学校ではなく民間機関に助けを求めたことで後ろめたい気持ちがあり、面談室を訪れるのは久しぶりだった。
「ありがとうございます。何とか学校に戻ることができました」
「教室に覗きにいったけど、友達と楽しそうにしていたよ」
「よかったです」
「本当によくがんばったよ。最初はどうなることかと思ったけど」
「すみません」
「ここに来た時は表情も硬かったけど、今は柔らかくなった」
「はい」
当初の記憶がよみがえり、涙がにじむ。
「これからも、ケセラセラ~だよ」
「はい。ありがとうございます」
本当はもっとお会いしたかったけれど。不登校の子どもが増えて、先生のカウンセリングの予約を取るのも大変になっていた。
うちはもう大丈夫。先生からも卒業しよう。
その日を最後に、先生とは二度と会うことはなかった。
ケセラセラ~♪
その後もさまざまな困難が待ち受けていた。いじめ問題やコロナ禍を経て、子どもたちは再び学校に行かなくなった。
その時、私はもう子どもたちを無理に学校に行かせようとは思わなかった。
「学校に行くか行かないかは、本人に決めさせてあげてね」
「何事も『ケセラセラ~♪』だよ」
私の凝り固まった心を、何とかほぐそうとしてくれた先生。学校はやめてしまったと聞いたけれど、お元気でいらっしゃるのか。
今でもたまに思い出す。
「ケセラセラ~♪」
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