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サイダーのように言葉が湧き上がる

見たいなーと思ったタイミングでのテレビ放映。

俳句が日常で、常に季語と言葉の音数が頭にある主人公。
映像の中に俳句が描かれているので見逃せない。考える時間が必要な、一時停止したくなる映画。

目の前の美しい情景が言葉にできた時、言葉が俳句になった時、ぶわってぞくぞくってなる感じがとても懐かしい。

ショッピングモールでの吟行。
無機質なマネキンは少し先の季節を身にまとっていて、少し先の季節を詠む俳句のよう。
ショッピングモールを複合型施設と言うように、行き交う人たちの年齢は様々で、それに対応する店舗、広告、全ての情報量。


主人公は、俳句を作るのは好きだが声にしなくても良いと言う。
たしかに自分の俳句(言葉)を口にするのは恥ずかしさもある。誰にも受け取られなかった言葉が消えていく、落ちていく寂しさすらある。

それでも主人公は、両手でマイクを握る。
息を吸う。顔が真っ赤になる。
息を吸う。言葉が喉で止まる。
息を吸う。
やっと出た自信が無い自分の小さな声、、、、

そんな主人公が最後に俳句を声に出して、大きな声で読み上げる。

Twitterの投稿というデジタル文字にする訳でもなく、誰かに読んでもらう訳でもなく、自己満足でもなく、ただ目の前の君に伝えるために声にする。
俳句に命が吹き込まれる瞬間なんて言ってしまえば大袈裟かもしれないが、
俳句が17つの音になる瞬間だった。

まさに、

サイダーのように言葉が湧き上がる

であった。
どきどきする程に。

見終わった時、俳句の偉大さと俳句で伝えたいというあのころの想いが蘇ってきた。
両手でマイクを握り、深呼吸をして俳句を読み上げた。俳句甲子園のあの緊張がまだ手の中に残っていた。
忘れられないあの夏の私の記憶。

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