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コスモナウト 第九章 思い出の星

父が危険であるという連絡を受けたのは宇宙船の中であった。電子手紙が一通来ていることに気が付き、いつもならば開けもしないのだが、何故か一つの不安に駆り立てられ見たのだった。そして、その事実を知った。
元々、父が病に伏していた事は知っていた。
コスモナウトとして旅を始める前にだ。だからこそ、父が死ぬかもしれないという予想は頭の片隅にあったのだが、特に気にもとめず紀行を続けていたのだった。しかし、こうしてまざまざと、事態の深刻さを知らされるとなると、やはり気になるものであった。
そうして、次に向かおうとしていたジュピタというガス星の渡航を止め、大急ぎでワームホールに入ったのだった。
ワームホールによる移動、物理的な空間ではなく位相空間に侵入し疑似的なワープを行うとしても、自分のいた星へと帰るのはかなりの時間がかかるのだった。
約一週間宇宙船を走らせると、ようやく自分の故郷である星に到着した。5年ぶりの帰星である。5年の歳月をかけ、遠いところまで行ったつもりであったが、こうして最短距離で寄り道もせずに向かうと10日ほどの時間で辿り着いてしまうというのは、すこし残念でもあり、有難いことであった。
宇宙船を波止場に留める。この星の住人だったものならば無料でとめることができるので、波止場守にパスポートを見せると、すぐさま近くのタクシーを拾い向かうのだった。
三回程度、タクシーと言う名のモーターカーや馬車を乗り継ぎ、ようやく家に帰還した。
しばらく見ないうちに大分状況は変わっていた。学生のころは寮に住んでいたので、こうして家をしっかりと自分の目で見るのは実に十年ぶりである。
シンボルとなっていた老木はすでになく、庭にあった物置小屋もなくなっていた。
義手であることは心配をかけてしまうため、この故郷に戻るまえに肌のカバーを装着したのは良い判断かもしれない。一度触り質感を確かめると玄関に入るためベルを鳴らす。
「アポロンだけど」
家に帰る、その行為は至極当たり前のことにもかかわらず緊張していた。
ガチャリ、と錠が開けられると母が現れた。
「アポロン、アポロン」
母は自分の姿を見るなり抱き着いた。母は幾分小さくなっていた。
皆が集まる大部屋に行くと懐かしい匂いと共に面々に出会うことになった。
「兄さん、兄さんなのね」
はじめに自分に気が付いたのは妹のポラリスだった。
「やあ、ポラリス。大きくなった」
彼女は今、22歳だろうか、そこらであろう。見ないうちに少女から女性になっていた。薬指には指輪がつけられており、結婚していたようであった。
「兄さん、そうだ私結婚したんだけど、この人が夫の」
「アポロンさん、いえ義兄さん。お久しぶりです」
そこには眼鏡をかけた、くせ毛の男が立ち上がり挨拶をした。
「ああ、君はジャマ君、だったかな。小さい頃によく遊んだ。そうか君がポラリスの夫なのか」
ええ、と彼は恥ずかしそうに微笑んだ。小さいころ、それは本当に小さいころで自分が10歳の時に、彼はまだ5歳であっただろうか。彼と共によく虫を捕まえ遊んでいたのだった。
「もっと懐かしい方がいらっしゃいますよ。ほら」
ジャマが指さした先には、一人の見知った女性がいた。小さいころから共に遊び、コスモナウトとして旅立つ前までも共に学んだ女性だ。
「ああ」
その彼女が立ち上がり自分の方へ歩く時、思わず感嘆の声が出てしまった。
「久しぶり、アポロン」
長い茶色の髪は肩のところまで短くなっていた。その聡明そうな黄色の瞳は変りはしないが、彼女は幼馴染のパトラであった。
「パトラか。久しぶり」
「ええ。5、6年振りかしら。あなたのお父様が危険って知らせを受けてね。私も来たのよ」
「そうか。何というか綺麗になった」
彼女は昔のように髪をいじりながら「馬鹿なことはやめてよ」と恥ずかしがるのだった。
「そうだ。父の容体はどうなんだ」
「今は寝ているわ。あなたにとても会いたがっていた」
廊下から現れた母が言った。
「今日にでも着くって話を聞いていたからね。こうして皆集まってくれたのよ。有難い事よアポロン」
母はそういうと茶を出してくれた。その匂いは懐かしいもので、その匂いでやっと帰って来たことを実感したのだった。
少しだけ父の部屋をのぞいた。父は窓の方を向き寝ていたようであったが、その病状が悪いことは遠くの背中を見ただけで分かった。
今日は会うことは止め、親類と幼馴染と共に思い出話に花を咲かすことにした。
皆、外見は変った。しかし、その心は変化していなかった。ぎこちなく会話していたのはものの数分であり、その後は昔のようにふざけ合い、笑い合う仲になった。
「あ、うるさかったかな」
妹は少し気にかけたが、母は「こうして家族たちの話が一番、父は好きなのよ」という言葉でさらに盛り上がったのだった。
「そうだ、兄さんどんな星に行ったの」
「ああ、そうだね。沢山、色々な星を見たよ。砂漠の星、海の星、緑の星色々なところに行き、色々な人に出会ったよ」
そこから、自分の紀行談をすると皆は喜んだ。一つ、一つの話に食いつき、それを補足する。もともと自分の話をするのは苦手であったが、それ以上に話しやすい相手であることが大きいように感じられた。
夜も深まってきた時、幼馴染のパトラが帰宅する、と言ったので自分が見送ることになった。母は泊まっていけばよい、と言ったのだが「ここからは家族の時間だから」と柔らかに断られてしまったからだ。
家を出ると、懐かしい虫の音と、星空があたりを包んでいた。
「ねえ、アポロン」
彼女は門の近くで語りかけて来た。
「なんだい」
「こうして2人で話すのもとても久しぶりね」
「そうだなあ、君はたしか教鞭をとっているんだよね」
「そうよ。まだ小さい生徒しか持っていないけれど、ね」
彼女はふふ、といつものように口を押えて笑った。左手には指輪がつけられてはいなかった。未だ決まった人がいないのだと、安心したのか分からないが落ち着いた心持ちになった。
「アポロン、ここに残らないの」
パトラは小さく言った。
「ああ、そうだなあ。残らない。父が生きている間はいようとは思う。けど、それ以降はまた旅に出ると思う」
「お母様は心配しているわ。ああして気丈に振る舞っているけど、本当は」
「分かっている。分かってる」
「そう、よね」
また明日来る、と彼女は手を振り消えていった。
部屋に戻ると家族の姿はなかった。何かが起きたのかもしれない、背中に寒気がして父の寝室へ向かった。
皆があつまっていた。
「ああ、アポロン。発作が起きただけよ。大丈夫みたい。また寝てしまったわ」
母は顔が未だ青いまま言った。
一同は、もしかしたらこんなことをずっと続けているのかもしれない。少しでも容体が悪くなると分かると、その心をざわつかせ、問題ないと分かるとその心を落ち着かせる、そんな毎日を。
妹たちも家に帰ると、ようやく自分の部屋に戻った。十年振りに帰って来てもその様相は記憶と同じであった。28になる自分には幼すぎるその部屋は、まるで自分の帰りを待ち望んだように出迎えてくれたのだ。
机に飾られた数々のロケットの模型、沢山の本。それらがある部屋。ベッドに寝転ぶと少し埃っぽいが、その体に馴染むベッドはすぐさま自分の疲れを取り、優しい眠りへと導いてくれるのだった。

次の日朝早くに起き、大部屋に行くと母は朝食を作り待っていた。以前よく食べていた目玉焼きや、パンがテーブルに並べられていた。
「美味しい」
「そりゃそうさ。この星の卵は一番おいしいからね」
それは言い過ぎだ、と一人呟く。
「アポロン、あんたはまた旅に出るのかい」
「そのつもりだよ」
「そうか」
母は悲しそうだった。昔もそうだった。自分がコスモナウトになる、と言った時もこうして悲しそう、と形容する以外にない顔持ちであった。
朝食を済ませると、父が目を覚ましたことを聞き、部屋に行くことにした。
「私はここまでにしとくよ」
母は廊下で立ち止まった。二人でどうも話をさせたいらしい。
ドアノブを掴む。父の部屋は昨日入ったが、こうして意識がある時に入るのは本当に久しぶりだった。
ドアを開ける。父はベッドに座っていた。痩せ細った腕を上げ、いつものように父は挨拶をした。
「ようアポロン。久しぶりだな」
父はにこやかに笑った。昔から技師として仕事をしていた力強かった父の体は病に侵され、最早は骨のようになっていた。
「やあ父さん」
近くの椅子に座る。朝の木洩れ日が眩しかった。
「どうだ、最近は」
「最近は順調だよ」
「そうか」
会話は少ない。元来、父と子とはそういうものなのかもしれない。
「父さんはどう?」
「まあ順調ではないな」
「そりゃそうか」
2人が同時に笑いだした。部屋を見わたす。そこには難しそうな本や、よくわからに金属の部品が転がっていた。
「どうやら死期が近いみたいでな。医者に言われたんだ。まだ読んでない本があるのに困ったもんだ」
父は、とくにその事実に悲観しているというわけでもなく、まるでぼんやりとした不安程度にしか思っていないようだった。
「まあ、仕方がないんじゃないか、な」
「だよなあ。仕方がないよな。母さんは悲しむが、仕方がないことなんだけどな」
父はそういうと再び互いに微笑み合った。その後は特に意味もない会話で盛り上がった。自分の宇宙に紀行の話を父は聞こうとはせず、自分は病の詳しいことに聞こうとはしなかった。
ただ、最近読んだ本の話を続け、その次には最近のこの星の時事問題について意見を言い合った。ただ、それだけであった。その会話だけで満足だった。もとより今まで少ない時間しか共にいなかったが、語り合えた。
死期が近いからと言って、今までの総決算などはしなかった。なにしろもうそんな事は今まで、虫の話や、川で遊んだ時に教えられ、話しているからだ。その事が互いに分かっているからこそ、最早それ以上の言葉は必要ないのだ。
部屋を出る。その時一つの確信があった。もう父と話すことはないだろう、と。

そしてその些細な予感は当たってしまうのだ。
その次の日自分が母に頼まれ買い出しをしている時に父は亡くなった。
家に帰った時、母は父のベッドの近くで小さく蹲っていた。彼女は泣いてはいなかった。
それはもう母は覚悟をしていたからかもしれなかった。
葬儀は簡単に済ませた。それが父の願いだったからだ。技師の昔の仲間も訪れてくれた。
それぞれが父の顔を見ると、数回頷き、「全く良い寝顔だ」と述べるのだった。
何か話したのか、と尋ねられることはなく葬儀に来てくれた人たちは「宇宙はどうだ」という質問をにこやかにするのだった。
意外と小さいながらも葬儀は忙しく、1日はあっというまに過ぎた。
父の亡骸は燃やされ、一筋の煙となって空へと向かっていった。その煙は上空の風になびかれ自然へと帰っていった。
「間に合ってよかったわね。アポロン」
パトラがその煙を見ながら言った。
「ああ、良かった」
彼女は泣いていた。しかし、自分に涙は出なかった。
「泣いていないの」
「ああ。そうだね。涙を流す必要はないと思うから。なにしろ僕は父を愛しているから」
そう、と彼女は言うと星空に塗れた煙を見送った。
次の日から荷物をまとめはじめた。次の星、ガス星のジュピタに当初の目的通り向かうからだ。また寄り道をしても良かったが、また同じ星に訪れるのはどうも味気ないから止めることにした。
一週間を超える渡航になるため、比較的大荷物になってしまった。必要なものを全て詰め込んだのだから当然だ。
そして一つの予感があったため、いつか取りにくれば良いと思っていた昔の本や、機材を詰め込んだ。
母は部屋を訪れてきた。その手にはお弁当が握られていた。
「行くのかい?」
「うん。今晩には発つつもり」
そうか、と母は言った。その時の表情は分からなかった。いや、分からないように自分の荷物に目を向けていた。
「腹がへるだろう。これ持っていきなさい」
そうして弁当を机の上に乗せる音がした。
「なあアポロン」
母の声に振り向く。
「宇宙は良いのかい?」
「最高だよ。母さん」
「そうかい。お父さんも死んでしまったし、あんたもそう言うなら私もコスモナウトとかいうのになろうかね」
母はそう言い笑った。
家を出る。最後に母は「気をつけなさいよ」と言うだけであった。その実家、自分の人生のよりどころとなった家を目に焼き付ける。
再びタクシーを何度も拾い、波止場に着くころには夕日が沈む時刻になっていた。
波止場守に会いに行くためデッキに向かうとき、パトラがいた。
彼女は寂しそうにこちらを見ていた。
「行くのね」
「うん」
「戻る気はないのね。もうこの星に」
「そうだね。きっと戻らないと思う」
「ねえ」
彼女はそう言うと自分に体を預けた。
「ここにいて。お母様も本当はそう思ってるわ。妹さんも皆。私だって」
何も言うことはできなかった。
「私待っていたのよ。ずっと。あなたのこと」
そうだ、とは予想していた。彼女はきれいだ。だからこそ言い寄ってくる男は沢山いただろう。しかし、こうして彼女が一人身であることはそういうことなのだろう。
「おねがいアポロン。おねがいよ」
同情、もしくは愛情からか、その体を抱きしめようとしたが、手は途中で止まった。
彼女の濡れた瞳は美しかった。街頭の光に反射しきらりと輝いていた。しかし、その光は遥か遠くにあるか細い星の瞬きにかき消された。
パトラの体を離す。するとさらに彼女は泣いた。
何と答えれば良いのか分からず「ありがとう。愛していたよ」と一つ述べ、彼女の横を通り過ぎる。
距離が少し空くと彼女は叫んだ。
「どうして?どうしてなの。なんで家族や愛する人を置いて、宇宙に行くのよ」
振り向く。
「そうだなあ。なぜだろう、昔も聞かれたことがあったよ。けど、答えは分からない。強いて言うなら好きなのかもしれない」
「好き?」
「うん。いや、でももしかしたらそれも違うかもしれない」
「じゃあ何なの」
そうだな、星を見る。
「呼ばれているんだ。僕は」
そう言い放ち、再び歩む。まだ彼女は何かを言っていたかもしれない、しかしもう声は届かなかった。空は澄んでいたため、航行に問題はなさそうだ、と一人予想をしていた。

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次の章です。


前の章です。

一章からです。

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