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「特別な日」

「日常が恋しい」

1月2日電車に揺られながらため息をついた。
年越しを一緒に過ごした恋人は、急遽親戚の集いに向かったため、私も実家に帰らざる負えなくなった。

「特別な日」は「特別な誰か」と過ごさなくてはいけないというミッションが全国民に課せられる。特に年末年始は、「クリスマス」を「恋人」と過ごし、「正月」を「家族」と過ごす。

例えば「クリスマス」。「恋人」がいなければ、可哀想なやつ認定。いたところで、SNSでの第三者の承認欲求に煽られ、相手への理不尽な期待が高まり、裏切られては傷つく、拗ねる。隣の芝生はいつまでも青い。

問題の「正月」。「家族」との団らんが模範とされ、強いられる。そこから逃げている私はまるで大罪を犯しているかのような罪悪感に駆られる。いざ逃げるのを諦めれば、寝正月では取り返しきれない程の倦怠感に襲われる。

日常のサイクルに戻った今は、一安心。傷つく心配も、大罪を犯す可能性もない。

しかし、一年経てば、浮足立ち、プレゼントの候補をSNSで漁り、観る特番に目星を付ける。

日常の良さを実感できるのはいつでも「特別な日」の後だ。外食が続いた後、家で食べる納豆ご飯が一番美味しいように。

私は、納豆ご飯を嗜む為に、外食に心躍らせる。



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