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リトアニアを離れたあとと、また戻ってきたわけ

すっかりご無沙汰になってしまいました。わたしは元気です。

そのうえ、前回プロフィールを書いてからすでに2年近くが経とうとしている今。
プロフィール公開後の期間について、あまり書いていないことに気が付きました。

ワーホリの話をはじめ、すでにnoteに書いてあることもちょいちょいあるし、書いてないことについても、これといって大々的にシェアするような内容ではないのだけども。
それでも、自分にとっての振返りと俯瞰の意味も込めて、2年前のプロフィールを書いた後の期間に何があったのか?や、思ったこと・気が付いたことなど、そしてなぜまたリトアニアにいるのか?についてにも、ちょっと記録しておこうと思います。

なお前回のプロフィール記事では、学生時代からリトアニアへワーホリするまでの経緯・背景を書き連ねていますので、初めましての方はぜひそちらから目を通してみて下さい。

2020年以降の話①リトアニアでワーホリ


こちらの話題については、マガジン「リトアニア滞在記(マガジン購入も出来ますが各記事は無料で読めるように設定しています)」、もしくはまとめ記事「ワーホリ期間をまっとうしてみて」を参照頂くのが分かりやすいかと思います。

ワーホリ期間中はほぼ半分くらいコロちゃんの影響があったのと、もともとリトアニアのお給料が平均的に安いということ、そして自分で何かやってみたいな~という理由から、フリーランスライターという道を選択しました。

ちなみに、ライター業はいちおう今でも細々と続いていますが、とにかくこの期間はたくさん考え、たくさん調べ、また思考を噛み砕く。そんな作業をひたすら繰り返していたように思います。
おかげで、知っている世界はより深く、知らない世界はより広くなり、改めて世の中には実に色々なイシューや思考が取り巻いているんだなあと感じました。

と同時に、自分の中で最も興味のある分野のひとつ・食と気候変動についても、今まで以上に学ぶ機会が増えた。ほんとうに、これは受け身ではいられない話で、残された猶予の中でどれだけ住みよい地球を守ることができるか?については、日々考え続けている。

リトアニア生活では、これまで自分が体験し学んできた暮らしについても大きくフォーカスしました。
だからライター業と格好よく書いてみたけれど、オンとオフのメリハリはかなりあって。休日はゆっくり過ごしたり、ときには森や旧市街、ちょっと足を延ばして遠出をすることも。

もともとリトアニアの自然信仰からくる生活習慣や手仕事についても興味があったので(町の暮らしにそういった要素は減りつつあれど)、マーケットや自然環境に足を運んでは、こういう感じか~と、なんとなく体感できたのではないかと思います。

結局、なんだかんだでまるっと1年滞在しました。よく出来ました。ぱちぱち。

2020年以降の話②日本への帰国

2020年10月頭、わたしはリトアニアのワーホリ滞在を終え、日本へ帰国しました。
この時もまだコロちゃんの影響が(主に日本側に)大きく残っていたので、帰国準備はそれなりに大変だった。史上最強にバタバタした。

しかも、この最も「バタバタ」している瞬間に、実家の犬が亡くなったとの知らせ。前から帰国のタイミングに間に合うか?という状況だったのですが、今か・・とめちゃくちゃガックリしたものです。でも命は待ってくれないからね。そんなもんです。

なので、帰国してしばらくは結構落ち込んでいた。もう1匹の子がとても無邪気に振舞ってくれたのが救い。ちなみに彼女はまだ若い。

そんなこんなで、はじめの2週間は隔離状態、その後は自由ながらライター業を続けていました。

この間に起ったことをざっくり挙げると、

母の入院(あくまで静養のため)
心のふるさと(千葉県いすみ市)にプチ帰省
新しい犬子を迎え入れる
ちょっとだけ事務仕事
フィトテラピー講座を受ける

という感じでした。はしょりすぎだろって感じですが、まあプライベートな話も多いのでこれくらいがちょうどいいでしょう。

新しい犬子は、もともといた若い子と同じ年。ゆったりと落ち着いた態度は亡くなった子によく似ているけれど、やはり個性があるもんです。
はじめこそお互いぎこちない感じでしたが、今ではすっかり仲良し。よかったねえ。本当に君たちのおかげで、個人的にいるだけで辛いアーバンライフを乗り越えました。

あと、フィトテラピー(植物療法)の勉強をはじめたのも、地味に大きな進歩。
これまでのわたしといえば、ノルウェー語講座以外の学びをほぼ自力でやってきたこともあり、あえて誰かにお金を払ってまで学ぼうとしませんでした。いや厳密にいえばやりたかったけど、お金ないしな~とか言ってやってこなかっただけ。

加えて、西洋のハーバリズムだけでなく日本の植物についても少し知りたかったし、はじめは絶対に対面がよかったので、運よく開講されたコースを受けられてラッキー。
次のコースは、こちらでオンライン受講するつもり。毎週朝4時起きになるけども、まあ頑張りましょう。


2020年以降の話③バタバタな渡航準備、そしてリトアニアへ帰還

若干話が飛ぶように感じるかもしれませんが、とりあえず。
日本での日々を経て、2022年2月にリトアニアへ戻ってきました。

出国までには4カ月弱あったものの、まだ航空スケジュールが頻繁に変動したり、そもそもパスポートの有効期限がこのタイミングで切れるために書類集めもギリギリでめっちゃバタバタしたり。

でも、前日までにはなんとか必要な手続きを終えられてよかったです(ギリギリにもほどがあるが)。

出国は10年以上ぶりの羽田から。両親とイモートがお見送りに来てくれました。
いつも「見送られる立場」になると、別れの瞬間だけ涙が溢れちゃったりするのですが、今回はあまり実感のないまま、じゃ~ね~と手を振りました。いいんだか悪いんだか。

ひと冬超えたばかりのヴィリニュスは、前回わたしが滞在したときよりも雪が少なかった模様。
コロちゃん規制もいつの間にかゆるくなっていて、3月には本来毎年恒例のカジューカス祭があったし、カフェやミュージアムも普通に入れるし。
今はもう、マスクは公共交通機関でも「推奨」レベルになりました。外じゃほぼ誰もしていません。

入国が月末ということもあり、入居のタイミングを逃したくなかったので2日で決め、3日目で滞在許可申請を済ませ、スピーディーに暮らしの準備を整えました。
反省点としては、この物件めっちゃ好きなのだけど動物NGだったことでしょうか。1年後にご縁があれば別の場所に引越すかもなあ。

で、なぜ今またリトアニアにいるのか

そんなこんなで、今わたしはまだリトアニアへ戻ってきました。理由はお仕事です。

実は前回のワーホリ滞在時、ある日本人の方とお会いして仕事のオファーをいただいていたのでした。
帰ってしばらく、めっちゃくっちゃ悩んだし、だから千葉のホームを訪れてみんなの話を聞かせてもらったりもした。

今は何度目かの飲食畑にいます。こんなことをいっていいのか分かりませんが、お店を営む上でわたしの信条に反すること、疑問に思うことも多々あります。それは大体、資本主義というシステムへの疑問・反感なのだけど。
仕事の関係から、これまでのわたしが実践してきたような暮らし方とはがらっと変わり(というか以前の飲食業的生活に戻り)、心身がまだついていかない部分も、あるっちゃある。

それでもここに来たのは、ひとえに「なんか楽しそう」だったから。本当はもっと早くどこか日本の田舎にでも腰を降ろして、自分の畑を持つつもりでしたが、なんとなく寄り道したくなっちゃったのです。わたしの人生は寄り道だらけなので、まあそんなもんです。

とはいえ、入国の翌日に近隣での戦争(侵攻)がはじまり、世界的に食糧危機が叫ばれる中、もしかして日本に残っていた方がよかったのか?と思うことはあります。
でも同時に、主に政治的におかしな方向へ突き進もうとする日本で、今のわたしが満足に暮らせる環境はあるのか?という疑問も残り続けているのです。

だったら、また日本を離れてもいいかもしれない。あ、もちろん在外選挙権は行使します。
それに海外生活はあるけども、1年以上同じ場所に腰を降ろしたことがないので、ちょっと長めに住んでみるのもいいかもな、と思ったのでした。まあ引越すかもしれないが、同じ町という意味ではいいでしょう。

今すでに色々なことが、自分にも周りにも起きているし、これからも日々変化はあるでしょう。何事もアニッチャー(不変)だからね。
その中で、わたしがわたしらしくあれるために、暮らしへのフォーカスは忘れないようにしたいと思います。

ちなみに、頻度はぐっと減りますが、ライター業も細々と続けていきますので、何かあればお気軽に連絡してくださいね。



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