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目の見えない人は世界をどう見ているのか

人が得る情報の8割から9割は視覚から得ていると言われていますが、これは裏を返せば目に頼り過ぎていると言えるのではないでしょうか?
今回の推薦書“目の見えない人は世界をどう見ているのか/伊藤亜紗 著”はそんな疑問からはじまります。


例えば目が見えなくても、空間を知る方法に足の裏の感触で畳の目の向きを知覚し、そこから部屋の壁がどちらに面しているかを知ったり、音の反響具合からカーテンが開いているかどうかを判断したり、時間の確認に外から聞こえてくる車の交通量からおよその時間を推測しているとあり、本当は耳で捉えた世界や、手で捉えた世界があることを教えてくれます。

1章の“空間”の中で、目の見えない人にとって富士山は“上がちょっとかけた円すい形”のイメージとして捉えていて、見える人のほとんどが“上がちょっと欠けた三角形という平面的なイメージに捉えているとあります。
“見える人は2次元、見えない人は3次元”なんだか不思議な話に聞こえましたが、その理由に、同じ空間でも“視点”によって見え方は異なるのと同様に、見える人にはあくまで“自分の視点から見た空間”しかイメージできないところ、見えない人にはこの“視点”というのがないため空間をきちんと3次元で認識できている。そして、目の見える人は浮世絵や絵画などの今まで見てきた文化的イメージも影響して、本来3次元にある富士山を2次元的に捉えてしまうのだそうです。
また他の例で、「岡本太郎作の太陽の塔には顔がいくつあるか知っているか」と聞くと、見える人の多くは2つという答えが返ってくるが実は裏側にもう1つの顔があって、模型を触って理解している視覚障害者の場合、こういった誤認は起こりにくいそうです。アートに詳しい人なら裏にもう1つ顔があることを知っているかもしれませんが、この“裏”にあるという認識は、自分の視点から見た反対側にあるという認識なので、先天的に見えない人にとっては裏や表という感覚がないとありました。

“内”と“外”についても同様で、ある盲学校の美術の先生が紹介した例の中で、その先生は粘土で立体物を作らせたところある生徒が、壺のようなものを作りその内側に細かい細工をし始めたのだそうです。見える人からすると細工をするのなら、外側の表面に施すのが自然ですが、その生徒さんは内側に手を入れ始めた。つまりその子にとって、ツボの“内”と“外”は同じ価値だったという事を示しています。

こうやって文章で見えない人の空間感覚を伝えようとするのはとてもムズカシイですが、自分の中の“当たり前”から離れることで見えてくる物はかなり多いなと思いました。


中途失明の難波創太さんはこう語っています。

「見えない世界というのは情報量が少ないんです。コンビニに入っても、見えた頃はいろいろな美味しそうなものが目に留まったり、キャンペーンの情報が入ってきた。でも見えないと、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね。」

仕事しようとパソコンを開いたのに、油断するとすぐにAMAZONやメルカリを検索し買い物していたなんてよくあります。
都市自体が大きなコンビニエンスストア化している今の時代、自分が情報を使っているのか、自分が情報に使われているのかがよく分かる本書。(見えない)ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれることだと教えてくれます。

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