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萩原 昌明&悦子/南郷トマト生産組合

所属:南郷トマト生産組合
農園所在地:福島県南会津郡南会津町
就農年:2018年〜
生産品目:南郷トマト「桃太郎セレクト」「桃太郎みなみ」
HP:南郷トマト生産組合Instagram

no261

スノーボード選手から、夏はトマト栽培、冬はスキー場の二刀流へー

■プロフィール

 1979年、群馬県片品(かたしな)村の民宿経営で生まれる。関東有数の豪雪地帯にある同村は、「かたしな高原」などのスキー場が多く、民宿にもウインタースポーツをしに訪れる宿泊客が多かったことから、子どもの頃から自然とスキーやスケートボードに親しんで育つ。
 
 群馬県立片品村立片品中学3年生の時に初めて触れて以来、スノーボードに夢中になり、高校卒業後もプロの道へ。大手スノーボードメーカーとスポンサー契約を結び、国内外の競技大会に出場したり、メディアに多数出演。プロのライダーとして活躍する姿を見て、ファンになった悦子さんとも知り合う。
 
 冬は各地のスキー場に遠征しながら、夏場は実家近くの農家でアルバイトするうちに、農業への興味を持つように…。
 
 30代半ばに差し掛かった頃、スノーボードで訪れたことがある福島県南会津町の知人の勧めで、非農家であっても就農できる方法を知る。移住・就農するにあたって、悦子さんと結婚。
 
 2016年、南会津町に移住し、南郷トマトの生産組合からの紹介で、元スノーボーダーで、トマトの生産者とスキー場のゲレンデ整備を両立させている小山貴広さんのもとで研修を受けるようになる。
 
 2018年4月、小山さんの知り合いを通じて農地と住まいを紹介され、独立就農を果たす。この際、悦子さんとは2人で経営するにあたって、方針や役割分担などを話し合って取り決める「家族経営協定」を締結。
 
 1年目は、雨不足の影響もあって水やりの加減が分からず、果実が裂けてしまう裂果ばかりできてまともに出荷できなかったが、2年目以降は失敗を教訓にして、10アールあたりの収穫量(反収)が10トン前後まで安定して作れるようになった。

■農業を職業にした理由

 豪雪地帯の群馬県片品村の民宿で生まれ、スキーやスノーボードを楽しむ人たちに囲まれて育ったため、子どもの頃から自然とウインタースポーツやスケートボードに親しむ。
 
 高校卒業後も、大手スノーボードメーカーとスポンサー契約を結んで、国内外のさまざまなスノーボード競技の大会に出場したり、雑誌や映像メディアに多数出演。
 
 冬はプロスノーボーダー/ライダーとして、夏は、群馬県では大根、コンニャク農家のほか、栃木県のナス農家や植木の苗木の生産者などでアルバイトする二刀流の生活を続けていたが、30代半ばに差し掛かった頃、年齢や体力を考えると「このままスノーボーダーを続けていて大丈夫なのだろうか」と将来が不安になり、転職を考える機会も増えた。
 
 そんなときに、スノーボードをしに訪れたことがある福島県南会津町の知人から、「南郷トマトの生産組合では、新規就農者に対して手厚い支援をしているので、一度こちらに来てみないか?」と誘われる。

 それまで、「農業は農家に生まれなければできない仕事」だと思い込んでいたことから、非農家であっても新規就農する方法があると知って驚き、すぐに南会津町を尋ねた。
 
 福島県の南西部に位置する旧南郷村地区は、1960年代からトマトの栽培を始め、標高の高さや昼夜の寒暖差など恵まれた自然条件によって品質の良い「南郷トマト」をブランド化している。
 
 生産者の高齢化が進むなか、1990年からは新規就農者の受け入れに力を入れており、最近では「会津高原南郷スキー場」にやって来た若者が、夏はトマト栽培、冬はスキー場で働きながらスノーボードを楽しむというライフスタイルに惹かれて移住するケースが増えていることを知って、好きなスノーボードと農業を両立できるなら、と移住を決意。
 
 移住と就農には、パートナーがいることが条件になっていると知って、長年交際してきた悦子さんにもプロポーズを果たして結婚と同時に2016年に移住。
 
 南郷トマト生産とスキー場勤務を両立している先駆者の小山貴広さんを師匠に仰ぎ、栽培方法を2年間研修し、2018年4月に独立就農を果たした。 
 
 研修中も「農業次世代人材投資資金(準備型)」という1人年間150万円(夫婦だと300万円)の生活支援が受けられるので生活面での心配は感じなかった。

 独立就農後も経営が安定するまでの5年間、支援金がサポートされるほか、パイプハウスや水やり設備を設置するための初期費用や資材購入などの補助、種苗代の補助があることが非常に役立ったという。

■農業の魅力とは

 就農当初から25アール(a)、11棟のハウスで管理しています。当初は、新規就農で、この規模は広すぎて大丈夫だろうか、と心配になったのですが、今となっては、最初からこれくらいの規模で自分を追い込んでいて良かったと思います。

 僕はプロのスノーボーダーの頃から、冬はスキー場、夏は農業のアルバイトをしていたので、もともと農業に関心はあったのですが、「農業は農家に生まれないとできないもの」だと考えていましたから、自分がゼロから農業にたずさわれるなんて楽しくて!(笑)

 性格的にあまり深刻に悩むことはありませんが、30代半ばに差し掛かったときに「このままずっとアルバイトとスノーボードを続けるだけでいいのかな」なんて将来について考えるようになりました。何せ、会社勤めしたことがないので転職しようにも想像がつかない(笑)。

 そんなときに、南会津出身のスノーボード仲間から、「南会津で南郷トマトを作るなら、ほかの地域にはない手厚い支援体制があるので、一度こっちにきてみたら?」と誘いを受けて、ホームページなどでいろいろ調べた結果、すぐに話を聞きに行きました。

 南郷トマトの生産組合では、約20年前にトマト作りを始めた元スノーボーダーの小山貴広さんを師匠に紹介されました。国や県などの自治体、JAなどが役割分担して、補助金を受けるための事業計画の作成指導にはじまって、住まいや農地の斡旋、ビニールハウスや水やり設備の初期費用の助成など、至れり尽くせりのサポートには、「ありがたい」と感謝しています(笑)。

 今年(2024年)45歳になりますが、そもそも農業できるなんて想像もしてなかったから、この6年間はおもしろくて! 農業は全部自分で方針を決めて管理しますし、その責任も全部自分に返ってくる点では、スノーボードと共通点があると思います。

 最初の年に水加減で失敗したから、その点に関しては今も慎重です。トマトは一般的に「小さく育てろ」と言われ、甘味を引き出すためにも水やりは控えめにしますが、1年目は雨不足の影響もあって、乾燥がひどかった。灌水量も少なく、日陰となる枝の葉が作れなかったため、硬くなった果皮が裂けてしまう裂果がたくさんできてしまった。こうなると出荷できません。

 その反省から、日々データを取って水加減には注意しているのですが、前の年の数字がアテにならないところも農業のおもしろさだと思うんです。そこで、まわりの生産者とはしょっちゅう意見交換するようにしています。

 目標は反収12トンです。就農して6年になりますが、大失敗した1年目以降は、例年安定して10~11トンは収穫できていますし、これまでに2回は目標に到達しています。見た目やサイズの良いトマトを収穫する秀品率は40%程度だが、適切な摘果管理によって出荷率は8〜9割を維持しています。

 南郷トマトでは、これまで「桃太郎セレクト」をメインに作ってましたが、最近「桃太郎みなみ」という新品種も始めました。「桃太郎みなみ」は、裂果が少ない品種ですが、水加減も異なるので管理方法も変わります。枝の中段以降にできる実が小玉傾向にあるので、肥大化させるための栽培管理を模索中です。

 僕はとにかく楽しみながらトマトを作ってます。妻はもともとデスクワークの仕事をしていたので、行政や生産組合との交渉、事業計画の作成、収穫量や出荷量の記録など、僕が苦手な部分を担当しながら、2人でいつも相談していろいろなことを決めています。

■今後の展望

 トマトは収穫時期が最も忙しく、農繁期には、高校生や退職者などのアルバイトを雇用していますが、ふだんは夫婦2人だけで経営しているので、これ以上、規模を拡大する予定はありません。

 今の25アール、11棟のハウスでどれだけ品質を向上できるか、どれだけ秀品率を高められるか、自分の農業を追求していきたいし、冬は南郷スキー場の従業員として、スノーパークの整備や圧雪作業を行いながらスノーボードを楽しみ、夏は頑張ってトマトを作るというこのバランスがちょうどいいんです。

 南会津町は僕が生まれ育った片品村と同じように豪雪地帯で冬は2mを超える積雪があるので、全部で4カ所のスキー場があります。

 師匠の小山さんも栃木県宇都宮市から移住して、南郷トマトを作りながら、冬は南郷スキー場でゲレンデの整備や圧雪隊として一緒に働いています。県外からやってきたスノーボーダーが、スキー場で働いたり、アルバイトしている僕らトマト農家と交流したことがきっかけで南郷トマトの生産に興味を持ってくれるケースも増えているので、僕もそんなふうに南会津に貢献できたらと思っています。

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