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コハルの食堂日記(第8回)~苦しみましたクリスマス①~

 平成三十年十二月二十四日。平成最後の天皇誕生日の翌日、振替休日の月曜日の朝。今日はクリスマスイブである。
 平成最後のクリスマスイブの今日。東京では晴れ。冬場の東京では数週間にわたって雪はおろか雨さえ全く降らないということも珍しくはない。
 春子の故郷である秋田では年末を迎える頃にはもう連日雪だろう。クリスマスには「サンタクロース」は来ないかもしれないが、秋田では毎年大晦日には必ず「なまはげ」がやってくる。本当に小さかった頃はなまはげの「泣く子はいねぇが」の威圧ある声に対し、本気で泣き出していたな、というようなことをふと思い出す。

 雪こそ降ってはいないものの時折凍えるような寒い風が吹く東京の下町。春子は「味処コハル」の店の扉、その表に今日と明日限定でクリスマスリースを飾る。巷では早くも十一月初めからクリスマスの飾り付けを行うところが多いが、「味処コハル」では毎年十二月二十四日と二十五日、まさにクリスマスの二日間のみ店の表の扉にリースを飾ることにしている。それが終われば、注連飾りへと。「味処コハル」では毎年、大晦日と正月三箇日の計四日間のみを年末年始の店休日としている。毎週水曜日の定休日を除けばお休みするのは一年通してこの四日間ぐらいだ。お盆も大型連休も店を開け、お客さん、とくに常連客のためにせっせと働く春子である。

「春ちゃーん!」
 クリスマスリースを飾り付けたところで春子に声が掛かる。
「あら、小森さんじゃない」
「メリークリスマス!」
 小森と呼ばれたのは、六十代くらいと思える女性。つまり春子と同世代のおばあちゃんである。ベレー帽をかぶり、黒いカーディガンを羽織った小森さん。どことなく上品な雰囲気がある。
「今日はね、イエスさまのご誕生をお祝いする日。ほら、ケーキ持ってきましたわよ」
 実は小森さんはクリスチャンであり、この近くの教会に通っている。また趣味として絵を日常的に嗜んでおり、油絵で絵手紙を書いて知り合いらに配るということをよくしている。
「あら、毎年毎年どうもありがとう。メリークリスマス、ね」
 春子はそう返して小森さんからワンホールのケーキの入った菓子箱を受け取った。
「それからクリスマスカードね」
 小森さんは春子と勲の連名の宛名のクリスマスカードを春子に渡した。中には小森さんが描いたかわいい油絵の絵手紙が入っているのだ。

 小森さんがクリスマスケーキを持ってきてくれるのは「あの一件」以来すっかり毎年恒例となっているのだ。その「あの一件」とはクリスマスイブに春子が足を骨折して入院してしまった、ときのことである。
 それは平成十六年の出来事であった。つまりは足掛け三十一年間だった「平成」のちょうど真ん中の年、その暮れだ。春子がちょうど五十歳になった年である。
 平成十六年十二月二十四日。その日は金曜日だった。その日もリースを店先に飾り付け、開店準備に勤しんでいた春子。ところが高いところにあるものを取ろうとしたときうっかり踏み台から滑り落ちてしまい、床に右足を強打した。さらにその取ろうとしていたものが上からガツンと落ちてきて春子がちょうど今傷めたところの右足に直撃、である。
 時刻は午前十時半を回ったところ。勲も出勤中。あと一時間もしないうちに開店しなければならない。ちょっと打撲でもしたのかしら、と思い、なんとか痛みを堪える春子。ところが足の向きをそろえようとすると、強打した右足が耐え難きほどの痛みに襲われる。立とうとしてもまともに立ち上がれない。そんなうちにも開店時刻の十一時半が迫っていく。
「今日は折角のクリスマスイブだけれど、お店お休みしなければならないのかしら……」
 ひとり厨房にいる春子は気を落としてそうこっそりつぶやいた。しかし、痛みが引くどころか、その間にもどんどんレベルアップしていく。もう、救急車に来てもらうしか、ないのかしら、と春子は思う。そして痛さに耐えつつ這いながら電話のある厨房の角っこへと向かう。受話器を取り一一九番通報して状況を伝える。

 しばらくすると救急車がやって来た。ちょうど救急隊員が駆けつけてきたところへ、たまたまその辺りを通りかかった当時の常連客の吉田という六十ほどの男性がやってくる。
「あれれ、ど、どうしたの? 大丈夫なのかい?」
 吉田の質問に、春子は答える。
「足を打撲して、もしかすると骨折かもしれないの……。お店しばらくお休みすることになると思うけど、ほかの皆さんにもどうかよろしく……」
 そこで救急隊員は吉田のほうに向かい、緊急事態なのでということで今は引き下がるようにお願いする。
 さらに数分後。身元の確認や、とりあえずの応急処置を終え、春子は救急車の中に入れられる。クリスマスイブの下町にサイレンを鳴り響かせながら、救急車は病院のほうへと向かって行った。

 案の定、春子の右足は骨折していた。全治一、二ヶ月。医者からそう宣告される。腓骨という骨がややこしい感じで折れてしまったとか。人体を構成する数ある骨たちの中でも大変細いデリケート骨なので若い人でもよく骨折することがあるらしい。春子は運ばれた先の総合病院の整形外科へ手術とそのケアのためにしばらく入院することになった。
 当然、「味処コハル」はそのあいだお休みしなければならない。もう二十年近く経営してきた「味処コハル」。春子がひとりで切り盛りしていたが、これにて閉店となるのであろうか。思えば十八歳で故郷の親の反対をよそに上京し、十五年も掛けて三十三歳でようやく開店した「味処コハル」。修業時代を含めると三十年余り毎日毎日ひたすらがんばってきたけれど、私のお店、これでもうおしまいなのかしら、といったように、自分の骨のことより、店・「味処コハル」のこれからのことのほうがどうしても心配になってしまう。
 とりあえず、十二月二十八日に手術することが決まる。病院としても仕事納めの日であり、翌日から年末年始の休暇へと入る。まさに駆け込みでの手術だ。今シーズンは病院で年越しをすることになる春子。こういうのも、というか、そもそも入院というもの自体、春子の五十年の半生で初めてのことである。

 実は春子と小森さんとはその入院中に知り合ったのだ。小森さんは春子と同室の患者として入院していたのである。


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