海凪 悠晴

ペンネーム:海凪 悠晴(みなぎ・ゆうせい) 1981年(昭和五十六年)石川県生まれ。富…

海凪 悠晴

ペンネーム:海凪 悠晴(みなぎ・ゆうせい) 1981年(昭和五十六年)石川県生まれ。富山県出身。旧ペンネーム・杜埜 不月(もりの・ふづき)。趣味として物書きを楽しんでいます。 Web:https://www.nekoogle.com/

マガジン

  • ブックマーク代わり

  • コハルの食堂日記

    東京の下町で食堂を営む米倉春子(六十四歳)。十八歳のときに秋田の実家から家出同然で「東京に自分の食堂を持つ」という夢ひとつで東京に出てきて約半世紀。夫となる男性を見つけ、やがて食堂の夢は叶い、さらにそれを三十年余りにわたって経営を続けてきた。食堂の活き活きとした様子を描きながら、それが歩んできた平成史をも俯瞰する一作。

  • 連載「十九の夏」

    北陸新幹線の開業前、2001年頃の夏の富山を舞台にした青春小説「十九の夏」です。東京の「大江戸理科大学」への進学のために故郷の富山を離れ、上京した主人公「折原夏樹」(おりはら・なつき)が、大学最初の夏休みに地元の富山に帰省するところから始まる物語です。地元での幼馴染の女の子との再会、そして……。十八、九の年頃の初(うぶ)な男女同士ふたりの日々が描かれています。

最近の記事

意味不明会話.txt(其之三)「しわ三十二」

まえがき※意味不明会話シリーズ。第一回は30、第二回は31という連続した整数を、測らずともテーマにしたので、次は32にしておきます(笑) 甲「問題です。しわが気になり始める年齢といえば?」 乙「そうだな。まぁ、30歳を少し過ぎたあたりかな」 甲「ほぼ正解ですね。32歳が正解です」 乙「ああ、しわ32(4×8=32)ね」 甲「ありゃ、種明かしがバレたか」 乙「お手々のしわとしわを合わせて」 丙「南無~」 甲「ナム、なら 7×6=42 だな。42歳は「死に」に通じるから厄年でも

    • 意味不明会話.txt(其之二)「31番の受難」

      先生「よし、じゃあ、今日は5月30日だから。30日ということで、30番の渡辺。178ページ頭からの段落を読みなさい」 渡辺「あの、先生……、今日は5月31日です」 先生「ああ、そうだ31日だ。じゃあ、31番の安藤に読んでもらおうか」 安藤「えぇ……、はい。……第二次性徴期を迎えると男性には精通、女性には初経が起こり、徐々に大人の身体へと向かっていくことになります……」 ――今はここ某高校での2年Q組。保健体育、その座学の授業中である。   このクラスは理系クラスなので男子3

      • 意味不明会話.txt(其之一)「三十歳の約束」

        ~里鵜さんと棚加くん編/「001回目のプロポーズ」の巻 ――ある秋深まる頃の晩、里鵜(さとう)家の玄関のインターホンが鳴る。インターホンの向こうにはスーツ姿の男性が花束を携えて待っていた。里鵜家の長女美景(みかげ)が不審に思いつつも扉を開ける。スーツ姿の男性は美景の幼馴染・ヒデこと棚加秀雄(たなか・ひでお)であった。 秀雄「里鵜美景さん、僕と結婚して下さい!」 美景「え、な、何? 久しぶりに顔見たかと思ったら、突然!?」 秀雄「あのさ、今日、ミカゲ誕生日だよね?」 美景「

        • 名前のおはなし

           個人情報保護の観点からも、ここに私の実名を直接書くようなことはしませんが。私にとって、自分の名前はなんだかんだでお気に入りなのです。 小学校の学習参観にて。 小学校三、四年の頃だったはずです。学習参観のときの授業のテーマが「自分の名前の由来」についてでした。それに先立ち「自分の名前の由来を親や祖父母など家族に聞いて調べてくること」という宿題が課せられました。そして、自宅にて両親に実際に聞いてきて、参観日に発表しました。  その由来を書いちゃうと私の名前が類推されちゃう可

        意味不明会話.txt(其之三)「しわ三十二」

        マガジン

        • ブックマーク代わり
          1本
        • コハルの食堂日記
          20本
        • 連載「十九の夏」
          17本

        記事

          「地学室で待っています」

           今年も七月に入りまして、もうすぐ「七夕」。  ですので、今回はちょっと前に書いた七夕をテーマにした短編「地学室で待っています」をご紹介します。  三十歳のおっさんが中学時代を回想するというちょっとキモい話かもしれませんが……(苦笑)  二〇一五年七月七日。僕、星科一彦(ほしな・かずひこ)は三十歳の誕生日を迎えた。もう「若いから」という言い訳が通じない歳になったのかもしれない。  IT関連でも零細の企業に勤務していて一応は正社員だが、下請けとしていただいた仕事をひたすらこな

          「地学室で待っています」

          僕らは時間が欲しい(第1回)

           僕の名前は舘伝人(たち・つてと)。三十九歳、自由人。  舘伝人なんて名前は戸籍名ではない。小説を書くときに使う名前。いわゆるペンネームである。  親から受け継いだ名字と、親からいただいた名前は、別にあるが、そんなものに価値を見いだしてはいない。あれは社会で生きていくためのIDに過ぎない。本来の僕は「舘伝人」なのだ。  W大学の文学部を卒業してから十五年、今は書店でのアルバイトで生計を立てている。  もう少し若い頃はW大学卒業の経歴を買われ、塾などでアルバイトをしていたが、

          僕らは時間が欲しい(第1回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第10回)【最終回】

           帰り道は、ユウキの父親、つまりアヤカの義父であり、ナツミの祖父が車でふたりを遠くのはずの自宅アパートまで送ってくれることになった。  もちろんユウキの故郷の町を去る前に、岩谷家のお墓参りをしてから、だ。とんだ新盆となってしまったものだが。 「ユウキ、ごめんね。こんなにも情けない妻で、さ……。でも、ナツミと、そして……。あなたと私のふたりの子を守っていくから。安らかにね……」  墓前に手を合わせているとき、心のなかでアヤカはそうつぶやいた。天国のユウキに向けて。  海岸を

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第10回)【最終回】

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第9回)

           利用客も駅員も、誰もいなかった無人駅の構内で共倒れになっていたアヤカとナツミ。迎えに来たタクシーの運転手により発見された。  機転を利かしたタクシーの運転手はすぐさま一一九番通報し、駆けつけた救急車に乗せられたふたりはこの町ではいちばん大きい町立総合病院に搬送され、親子二人は同室でしばらく入院することとなった。公立病院ということでお盆の期間中でも診療を実施していたのは幸いだった。  ふたりとも熱中症ということで。とくにナツミは発見がもうしばらく遅ければ生命に関わっていたか

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第9回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第8回)

           アヤカにとって、ユウキとの出会いは高校三年の夏休みに入る直前だった。  前年の秋の修学旅行で受けた傷。そして、それに対する周りからの不当な冷遇で受けた傷。  そのためにできたしまった心の隙間。それを埋めることができず、学校すらも休みがちの日々が続いていた。アヤカは、先生や両親からは「卒業を控えているのに、勉強もしないつもりか。この後、進学も就職もしないつもりか」などと言われている。これ以上休んでばかりいるなら、留年するぞ。それとも退学するつもりなのか、などとも。  それで

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第8回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第7回)

           アヤカが高校二年生の秋。オーストラリアへの修学旅行のときのこと。  アヤカにとっては人生初めての海外旅行だ。異邦の国に来ることになったアヤカを含む五十人余りの生徒たち、そして同行した数名の教員。当然ながらも生徒たちへは、日本とは事情がいろいろと違うから、くれぐれも注意して海外旅行という「非日常」を過ごすようにと、事前より指導されてきた。  旅行の初日。この日、豪州では最大規模の都市・シドニーを訪れていた一行。この夜は予約の都合の関係で生徒たちはふたつのホテルにわかれて宿

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第7回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第6回)

           八時半を過ぎる頃、アヤカとナツミはユウキの実家の最寄り駅に降り立った。ここは無人駅。アヤカは切符回収箱にふたりぶんの切符を入れる。これなら、ちょっとしたごまかしをしてもバレないかもしれない、などとは思うのはそれだけでセコいのだけど。  駅構内に貼られているポスターも今年のものあれば、二十年、三十年前のものだろうというのまであった。すっかり色あせてしまったポスター。掲示許可の日付印が平成一桁というのは……なら、「昭和」のもひょっとして……。キョロキョロと駅全体を見回すアヤカ。

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第6回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第5回)

           そのうち八月の日々も過ぎていき、その月の半ば・お盆の時期を迎えた。また、八月十五日はナツミの誕生日。今年で三歳になるナツミ、来月から保育園に通うことになっている。  しかし、いくら「保育園」とはいえど、「小さな社会」ではある。とくに入園後の人間関係の面で母親のアヤカは心配を感じている。年度途中からの入園でもあるから余計に、だ。保育園のクラスでは「転校生」的な立場に置かれるだろう。友達はちゃんとできるのだろうか。いじめられたりはしないだろうか。他いろいろと心配はある。  思え

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第5回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第4回)

           今日から八月に入った。  そして、毎年八月一日の夜といえば、この地域では市と地元新聞社の共催による納涼花火大会である。毎年の風物詩のひとつであるが、その来歴はといえば、終戦の年、つまりは昭和二十年の八月一日の深夜にこの都市が米軍による大空襲にやられ、甚大なる被害と犠牲に見舞われたことによる。つまり本来は戦火による犠牲者の慰霊とこれからの平和を祈念する意味での花火なのだが、今やその謂れを知る人も少ない。  だが、毎年多くの市民がこの花火大会を楽しみにしており、八月一日の夕方か

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第4回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第3回)

           そのうち、七月も月末近くになった。  もうすぐ八月。ナツミの誕生月であるが、今年はアヤカの亡き夫・ユウキの「新盆」も控えている。そして、ナツミの誕生日当日はまさにちょうどお盆の中日である八月十五日なのだ。  今年はちょうど「海の日」を含む連休に入るタイミングでこの地方の「梅雨明け宣言」が気象庁より発表された。それ以来、平年並みかそれ以上の猛暑の日々が続いている。このアパートにも部屋ごとにエアコンは設置されているが、それはかなり古い年式のものである。なかなか冷えないくせに電

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第3回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第2回)

           「死人に口なし」などと言われる。誰が言い出したことばなのかはわからないが、全くもってその通りである。  ユウキの煽り運転事件。「被害者」がとくにいなかった――敢えて言えば車の持ち主であり運転していたユウキ自身が被害者。つまりは「自爆」したのだったが――それだけにとくに騒がれることもなく、さらに月日の経つうちに、そのまま近所の人々の記憶からも風化されていった。  六月最後の日曜日にあった四十九日法要と納骨式。それが終わる頃になると、ナツミは元気を取り戻していた。お父さんは

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第2回)

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第1回)

          この痣はユウキの生きていた証拠。つまりは形見なんだから……。 ※ワケアリケイ=「訳有り系」創作品。本作品はフィクションです。  季節は大型連休も過ぎた五月の半ば。時刻はもうすぐ真夜中の零時。五月の真夜中にしては蒸し暑い夜だった。二十一歳のアヤカは、この夏三歳になる娘・ナツミの泣く声に起こされた。  この築四十年余のアパート。旧耐震基準の制度下で設計されているうえに作りもちゃちである。そのぶん家賃は地方都市のしかも郊外、ハッキリ言って田舎のこの辺りとしても、破格ともいえる

          【ワケアリケイ】『形見の痣』(第1回)