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僕らは時間が欲しい(第1回)

 僕の名前は舘伝人(たち・つてと)。三十九歳、自由人。

 舘伝人なんて名前は戸籍名ではない。小説を書くときに使う名前。いわゆるペンネームである。
 親から受け継いだ名字と、親からいただいた名前は、別にあるが、そんなものに価値を見いだしてはいない。あれは社会で生きていくためのIDに過ぎない。本来の僕は「舘伝人」なのだ。
 W大学の文学部を卒業してから十五年、今は書店でのアルバイトで生計を立てている。
 もう少し若い頃はW大学卒業の経歴を買われ、塾などでアルバイトをしていたが、ろくに定職にも就かぬまま年月が経ち、風采の上がらないおっさんになっていった僕。上司から君なんて(勉強してもこんな人間になる、という意味で)生徒たちにとって悪い見本となるだけだといわれ塾をクビになり、それからどこの塾にも採用してもらえなくなった。
 正直、僕も国語の講師として塾に勤務する。そのうえでマニュアルに沿って生徒たちに教えるのは信条に反するものだったので、今更塾講師になれなくてもいいのだ。

 W大学を出ている身でありながらこんなことを言うのも何だが、受験のために国語を勉強する(講師側の目線では生徒たちに「させる」)、その中でここでの登場人物の気持ちを答えよだとかナンセンスな設問に対して、答えを定めるとか、いったい何なのとか思う。要は受験国語なんてものは僕は嫌いなのだ。
 今の書店のアルバイトは気楽でいい。僕の勤務先、アパートのすぐ近く、学生街の古書店である。そこで月に六万ほど稼いでいる。
 東京で暮らしていくのに月に六万でなんとかなるのかって。現に僕はなんとかなっている。
 月の出費を見てみよう。家賃が一万。食費も一万か多くて一万五千、光熱費も一万を超えない。そして大事な本代および執筆活動のための費用が二万ほど。ほれ、なんとかなるじゃないか。
 年金だとか健康保険だとかそんなものは払っていない。老後の心配とか病気の心配なんて阿呆らしい。そのときはそのときでなんとかなるのだ。
 金より大事なのが時間だ。

 僕はW大学に入学した二十年前から今に至るまで、ずっと家賃一万の今の部屋に住んでいる。
 東京、しかもW大学周辺で一万というのはもちろん破格中の破格である。
 四畳半一間。トイレは汲み取りで共同。風呂はなし。築五十年のおんぼろアパートという条件下でも、だ。
 破格の理由は、幽霊が出るということで、世の人は誰も借りたがらないから、ということである。

 俺はその幽霊さんとこの部屋に越してきてからすぐに友達になってやった。
 俺は二十年前、故郷である東北地方の寒村を捨てて、W大学入学のために東京に出てきた。
 見知らぬ人しかいない、人がいっぱいの東京での、初めての友達が幽霊さんだ。
 彼(彼女?)からはいろいろな話が聞ける。なにせ築五十年、いろいろな住人さんを見て来ただけに見聞は豊富である。
 あと共同トイレの太郎君だとか。他、たのしいおともだちがいっぱいである。
 こんなに楽しい物件で一万とか、僕は非常に満足である。六○木ヒルズなんて目じゃないくらいだ。

 幽霊さんと友達になるなんて、同窓の人間と友達になるよりずっと簡単で、楽しいじゃないか。
 彼らはキャリアだとか年収だとか、あるいは婚活がどーのこーのと、くだらないことに躍起になって、落とすか落とされるかの世界で生き延びている。完全に本来の自分というものを見失っているのでは。

 上京して初めての年の暮れ。故郷の親から手紙が来て「寂しくないか。せめて正月ぐらいは帰ってこい」と。しかし、幽霊さんをひとり残して帰郷するわけにもいかず。だが、幽霊さんにそのことを話すと、挨拶をしておきたいというので、幽霊さんと一緒に帰省することにした。
 夜行列車で、故郷へ。切符は大人一枚、幽霊一枚と注文したら駅員さんに怒られた。なんだ、やっぱり幽霊さんは無料か。
 幽霊さんをタダ乗りさせて、故郷に、そして実家に着く。
 両親に紹介したいひとがいる、と告げる。興味津々になる両親。幽霊さんが挨拶したら、親父は心臓麻痺を起こして入院、母親も錯乱し、精神科に入院する羽目になった。あれ以来実家には帰っていない。

 W大での四年間(プラスアルファ)、幽霊さんのおかげで楽しい学生生活をおくれたと思ってはいる。単位くれなかった教授の部屋に幽霊さんと一緒にお願いに行った。その後、すんなり単位をくれた。その他いろいろと思い出が出来た。


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