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【ワケアリケイ】『形見の痣』(第3回)

 そのうち、七月も月末近くになった。
 もうすぐ八月。ナツミの誕生月であるが、今年はアヤカの亡き夫・ユウキの「新盆」も控えている。そして、ナツミの誕生日当日はまさにちょうどお盆の中日である八月十五日なのだ。

 今年はちょうど「海の日」を含む連休に入るタイミングでこの地方の「梅雨明け宣言」が気象庁より発表された。それ以来、平年並みかそれ以上の猛暑の日々が続いている。このアパートにも部屋ごとにエアコンは設置されているが、それはかなり古い年式のものである。なかなか冷えないくせに電力を大食いする、つまりは効率が悪いものだ。

「今日もまたカンカン照りで暑いよねぇ……。ナッちゃんの生まれた日ってもっと暑かったけど……」
 アパートの狭いベランダで洗濯物を干しながら、三年前の夏、ナツミの生まれた日のことを回想するアヤカ。三年前の八月十五日。確かにこの日もまた記録的な猛暑の日であった。ナツミはそんな日のうちでも、ちょうど昼の十二時というタイミングで生まれてきたのだった。

 ナツミの名前、漢字では夏の海と書いて「夏海」だ。の盛りに生まれてきたことと、その両親夫婦であるユウキとアヤカはともにが好きだった。それだけで決まった名前なのかもしれない。
 しかし、実は予定日は八月だと産婦人科医より告げられた頃からアヤカはお腹の子を「ナッちゃん」と呼んでいてあげていた。そう、夏生まれの子になるはずだから「ナッちゃん」と。

 さて、ついこないだ、わずか十日ほどでスーパーのパートを辞めて、無職の身に戻ったアヤカ。二十一歳にしてまだ仕事らしい仕事をしたことはないが、結婚前、というか高校生の頃にもアルバイトはしていた。それらは、あるときは学校の近くの個人経営の花屋さんで、べつのときはチェーン店のファミリーレストランでと、「普通の高校生」らしいものであった。「あの事件」の前までは。

***

 アヤカが高校二年の秋。高校生活もちょうど折り返しとなろうとしていたとき、アヤカの身の上にある「事件」が起こった。その影響でアヤカのこれまでの「普通の高校生」としての日常は暗転した。

 その「事件」が起こったのは高校二年の十月の初め、オーストラリアへの修学旅行中だったのだ。

 アヤカの母校では毎年十月上旬、その年に二年生である学年の生徒全体が三つの班にわかれて修学旅行に出かけることになっている。それが多くの生徒にとって、高校三年間の学校行事の中でももっとも思い出深いものとなる。
 学年全体のうち、半数ほどの生徒は国内での旅行を希望するが、のこりの半数ほどは海外への旅行を希望する。海外への行き先は二通りあり、台湾や韓国などアジアの中でもわりと日本の近くの国に出かける班、そしてヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど「遠出」する班にわかれる。

 修学旅行の行き先および班構成は、一年生の夏休み明けすぐ、つまり実施の約一年前までに、生徒それぞれの希望を最大限に尊重した上で決定される。それからの一年間「旅行積立金」として毎月集金があり、それが旅行費用として充てられるシステムだ。もちろん行き先別に応じて毎月の集金額も異なる。
 となれば、生徒それぞれの家庭にも、ある程度の経済的余裕がないと海外への旅行を希望することもできないのである。「渋々、国内旅行へ」という生徒も毎年のようにいることにはいるわけである。それでも後に高校時代の貴重な思い出となるものではあるのだが。

 アヤカの母校である県立L高等学校。学力的には県内の公立高校の中では平均を上回るところで、毎年八割九割の卒業生が大学あるいは短大、専門学校へ進学している。そして県内の公立高校のうち、修学旅行で海外へも行けるという点ではアヤカの在学当時唯一の高校であった。

 アヤカは高校一年生の秋、「しっかり勉強すること」を条件に、両親に翌年のオーストラリアへの修学旅行への参加を許可してもらった。ともなれば、とくに英語に関しては今まで以上に頑張らなくては。アヤカにとっては小学校の頃以来英語は得意かつ好きな科目だったので、英語学習へのモチベーションも「修学旅行に向けて」という理由が乗っかり、さらに上がったのだった。経済的な事情に関しては「ごく普通」というべき当時のアヤカの実家だったが、この頃アヤカは卒業後の進路として大学への進学を視野に入れており、高校入学からの学業成績も「まずまず」で推移していた。

 その頃、アルバイトを始めた表向きな理由は、将来の学費とか修学旅行の費用を、少しでも「自分の稼ぎ」で補填したいというものだった。そんなアヤカの健気な気持ちに対して、親からはお金は出すから、高校生のうちはむしろ学業のほうに集中しなさいと諭された。だが、アヤカの本音としては「背伸び」をしてみたいという気持ちがあったのだ。

(つゞく)

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