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コハルの食堂日記

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東京の下町で食堂を営む米倉春子(六十四歳)。十八歳のときに秋田の実家から家出同然で「東京に自分の食堂を持つ」という夢ひとつで東京に出てきて約半世紀。夫となる男性を見つけ、やがて食… もっと読む
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記事一覧

コハルの食堂日記(第1回)~プロローグ①~

 平成三十年十一月三日。  秋深まる「文化の日」の土曜日の朝。全国的に「文化の日」は晴れ…

海凪 悠晴
1年前
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コハルの食堂日記(第2回)~プロローグ②~

 一晩走り続けた夜行列車が東京の街に着いた。上野の駅で列車を下りる春子。  春霞なのか、…

海凪 悠晴
1年前
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コハルの食堂日記(第3回)~還暦を迎えまして~

 平成三十年十一月三日。お昼の営業を終え、のれんを一旦しまった午後二時半、片付けも粗方済…

海凪 悠晴
1年前
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コハルの食堂日記(第4回)~ゲームにハマる青春①~

 平成三十年十一月二十二日。明日の「勤労感謝の日」からの三連休を前にした木曜日の夜。  …

海凪 悠晴
1年前
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コハルの食堂日記(第5回)~ゲームにハマる青春②~

 昭和五十三年夏、東京。  この頃、この年に発表されたばかりのアーケードゲーム「スペース…

海凪 悠晴
1年前

コハルの食堂日記(第6回)~災害の多い時代①~

 平成三十年十二月十四日、金曜日の夜。今夜は坂田という、高校の社会科教師を務めている五十…

海凪 悠晴
1年前

コハルの食堂日記(第7回)~災害の多い時代②~

 勲が高校を卒業して地元宮城県から東京に出てきたのは、昭和五十二年の春。  あくまでマイペースな勲は自宅浪人で東工大に入ることを決意する。自宅浪人といっても親元においてではなく、東京のボロアパートにおいて、である。  しかし、この頃の勲のような立場にある若者は「浪人生」という免罪符的な言葉を使うことも出来はするが、ただの無職のお兄さんともいえるのかもしれない。実家からの仕送りを喰い潰しつつ、勲はひとり「勉強」を続けていた。  だが結局、一浪目での東工大へのチャレンジは失敗に終

コハルの食堂日記(第8回)~苦しみましたクリスマス①~

 平成三十年十二月二十四日。平成最後の天皇誕生日の翌日、振替休日の月曜日の朝。今日はクリ…

海凪 悠晴
1年前

コハルの食堂日記(第9回)~苦しみましたクリスマス②~

 十二月二十八日、春子の手術は無事成功した。それから一昼夜おいて二十九日。この日から明け…

海凪 悠晴
1年前
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コハルの食堂日記(第10回)~苦しみましたクリスマス③~

 明けて翌年の二月、「味処コハル」の営業が再開した。  前向きなはずの春子も一時は、それ…

海凪 悠晴
1年前

コハルの食堂日記(第11回)~新しい年が来た①~

 新しい年、平成三十一年、西暦二〇一九年が始まった。  今年は平成最後の年、だとのこと。…

海凪 悠晴
1年前

コハルの食堂日記(第12回)~新しい年が来た②~

 昭和五十四年。春子は二十四歳、勲は二十歳で二浪生だったお正月。  その一月五日の正午、…

海凪 悠晴
1年前

コハルの食堂日記(第13回)~今日は節分、明日は立春~

 平成三十一年二月三日。今日は節分である。  日曜日のお昼の「味処コハル」。常連客を中心…

海凪 悠晴
1年前
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コハルの食堂日記(第14回)~バレンタインデーって何だ?①~

 平成三十一年二月十五日。バレンタインデーの翌日、金曜日の夜の「味処コハル」。  春子は昨日のバレンタインデーの開店時から、常連客を含む、店を訪れる客一人ひとりへと「義理チョコ」をプレゼントしてきている。それは客の男女または老若に関係なく。ただし、数ダースをまとめ買いをしたぶんの「在庫限り」で、である。そして、もちろんそれはあくまで「義理」を超えるものではない。  今日の「味処コハル」。そのテーブル席では、中年というにはまだ若めの四十前後、要は巷でいう「アラフォー」のサラリ