コハルの食堂日記(第7回)~災害の多い時代②~
勲が高校を卒業して地元宮城県から東京に出てきたのは、昭和五十二年の春。
あくまでマイペースな勲は自宅浪人で東工大に入ることを決意する。自宅浪人といっても親元においてではなく、東京のボロアパートにおいて、である。
しかし、この頃の勲のような立場にある若者は「浪人生」という免罪符的な言葉を使うことも出来はするが、ただの無職のお兄さんともいえるのかもしれない。実家からの仕送りを喰い潰しつつ、勲はひとり「勉強」を続けていた。
だが結局、一浪目での東工大へのチャレンジは失敗に終