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ロマンティックMMT−26: マルクス-MMT⑧ 経済学批判2020への序説(4/n 記号・論理・デジタルな価値)

 マルクス-MMTも八回目。イメージとしてはあと三回くらいでまとめたいかなと。

 ① 簡単!表券主義
 ② アンケート「資本主義って何ですか?」
 ③資本主義って何だろう
 ④資本論は救いの書?
 ⑤経済学批判2020への序説(1/n)
 ⑥経済学批判2020への序説(2/n ロマン主義の継承者)
 ⑦経済学批判2020への序説(3/n マルクスの弁証法=パスカルの怒り)

 前回は、マルクスの経済学批判は「パスカルのデカルト批判」や「ゲーテのニュートン批判」と同じだという世界初!?の指摘をしました。

 実は大発見がまだあるので、今回はそれの話をします。

 ライプニッツ(1646 - 1716)と論理の話だと予告しました。ライプニッツは微分の発明者として有名ですが、計算機科学や論理の科学の始まりとなった一人です。詩人ノヴァーリスはライプニッツの数学に多大な影響を受けていて、マルクスはその理論を良く知っていたはずだという話は前回説明しましたね。

 nyunの大発見とはこれです\(^o^)/

マルクスは経済や価値がデジタルであることを発見した!

 では行ってみましょう。 

資本論第一部の幾何的な構造

 前回、この「資本論はこういう話だ!」という図を示しました。

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 資本論第一部は資本主義体制の批判だけではなく、副題の「経済学批判」の部分を読み取らない人が経済学者を始めとしてすごく多いのですが、こうやって図にして表すとわかりやすくないですか?

 第一に、初めは小さかった円が、やがてずんずん大きくなるイメージ。

 第二に、思考の向きが大事であるという論理。

 この二つはどちらもライプニッツの数学と結びついています。ノヴァーリスはそれを意図的に芸術の創作に応用した人です。だからノヴァーリスの読者はその思考が「身につく」のですが、マルクスもまたそうだったはず。

 まずは第一のイメージの話から。

雪だるまイメージ

 それは、ずんずん拡大する雪だるま的なイメージです。

 雪だるまは最初小さい塊ですが、それを転がすことで回りに雪が付着して巨大化していきますね。こういう↓

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 (この図は、こちらのサイトからお借りしました。)

大富豪バフェットの資産

 ここでもう一つ図を。

 大富豪として知られるウォーレン・バフェットが本格的に資産を増やし始めたのは50歳を超えてからだそうです。

 下の図は拾い物ですが「形」が似ていると思いませんか?  

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 ノヴァーリスの理論には、こういう曲線のイメージが原型としてあるのです。

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 これ「ノヴァーリス-マルクスの基本図」と名付けたいくらい、この二人の思想にとって重要なイメージになっています。

 人類が作るものはこうした軌道をたどるというイメージ的な思考があるのです。文化にせよ、人格にせよ、システムにせよ。

 数学的に、これは「累乗」の思考です。

 関連するノヴァーリスの断章を紹介しましょう。

Zahlenmystik(数の秘密)
 便宜上の計算に使う数と、
 生命が必然的に画定する数では
 全く性質が異なる。
 生命の放つ数字から、私たちは世界の秘密を読み解くことができる。
 数学において、累乗は理念的に掛け算に先行する。
 なぜなら、掛け算が計算のための体系であるのに対して、
 累乗は生命の描写であるから。 

 累乗のイメージは、ノヴァーリスにとって生命を考えるときの重要な枠組みだったのです。

 累乗を忘れてしまった人のため、ちょっと高校数学やってみましょう。 

 経済の成長でもなんでもいいのですが、成長率を年率1%に固定するとして、それが十年、百年と長期に続くと規模はどのように成長するでしょうか?いわゆる複利効果の話です。

 初年度の規模を a 、一年あたりの成長率をxとします。すると n 年後の規模(y)は次の式で予測することができます。

 y = axⁿ

表の数列をグラフにする

 まず表を作ってみましょう。

 仮に初年度の a を1として、n年後のYがどうなっているかを表にすると500年で144.8倍になります。

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 これをそのまま表計算ソフトでグラフにするとこうなりました。

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  カクカクしているのは表が100年刻みだからです。

 次はこれを50年刻みにしてみると、表はこうなって

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 グラフはこうなります。

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  さらにもっと刻んで10年おきにすると…

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 かなりなめらかなグラフができました。

 いま順番に表の間隔を100年おき→50年おき→10年おきとどんどん小さくして行きました。

 ここからさらに→1年おき→0.1年おき→…0.00001年おき、という具合に「もし(What if)どんどん小さくしてゼロにしたら?」。

 人類の歴史でそうしたことを初めて考えたのがライプニッツ(とニュートン)でした。微分の誕生物語です。

イメージ、記号、データ

 パソコンがなかった時代のライプニッツにはこんな膨大なノートが残っています。

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 関数と表とグラフ。

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 関数と表とグラフ、これらはみんな「概念」です。そして言葉もまた概念です。神を前提にせず、何らかの概念を現実に当てはめるのが「理論」です。500年後が予測できましたよね。

理論、予測可能性

 ここでもう一度資本論第一部のイメージ図。

 資本論第一部は「現実はこうなっています」という理論の記述です。

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 だからマルクスは医学が細胞の観察から始まるように、商品という最小単位の分析から書き始め、次の結論が導かれています。

地球と労働は有限である一方、資本は累乗的に蓄積し、その所有が少数者に偏るシステムなのだから、このシステムがそのまま回り続けたら、いつか必ず破綻する!

 この資本論の理論は二度の世界大戦で証明されたと言えます。そしてこの理論が正しければ、わたしたちは次の破綻に向かっているのです。システムが変わっていないのですから。

 暗い気持ちになりますね…

 しかも経済学者は大洪水が見えない。

 マルクスは他人の悪口を言うと饒舌になる(他方、体系的な文章は遅筆)ことが知られています。それは「見えているもの」が違いすぎていたからでしょう。

経済学者はどのようにダメか

 マルクスは価値がデジタルであることを発見したと書きましたが、それは次のようなことです。

 長期ではなく短期という細部をどう見るか?

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 この見方こそがマルクスの革命だと思います。

 経済学者はここをただ漠然と見ています。

アナログとデジタル

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 しかし、こんなことは子供でも知っている、見ればわかるわけですね。

サルト・モルタル(Salto mortale):命がけの跳躍

 マルクスはそこを批判します。知らなければいけないのは観念でなく「どのように増えているか」の法則だからです。

 そして細かく観察すると法則はこうだろうと。

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 商品の価値は、商品の売り手が値付けをした価格で売れた瞬間に増えている。この人為的な値付けは自然現象のように「増えている」ものでは断じてない。

 商品の価値というものは、人間が頭の中で「増やしている」のです。そして商品が狙い通り売れる瞬間「命がけの跳躍(サルト・モルタル)」をしているのですね。

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 資本論の初版出版の翌1868年にマルクスがクーゲルマンに宛てた手紙が残っています。

価値の観念(Begriff)と価値の法則(Gesetz)

 価値の観念(Wertbegriff)について、こう書かれています。

 Das Geschwätz über die Notwendigkeit, den Wertbegriff zu beweisen, beruht nur auf vollständiger Unwissenheit, sowohl über die Sache, um die es sich handelt, als die Methode der Wissenschaft. Daß jede Nation verrecken würde, die, ich will nicht sagen für ein Jahr, sondern für ein paar Wochen die Arbeit einstellte, weiß jedes Kind
 価値の観念を証明する必要性がある、などというおしゃべりは、問題とされている事柄についても、また科学の方法についても、これ以上はないほど完全に無知だからにほかならない。一年どころか数週間の間だけでも労働が止まったら国が滅びることくらい子供なら誰でも知っている。 

 直後、価値の法則(Wertgesetz)について。

 Die Wissenschaft besteht eben darin, zu entwickeln, wie das Wertgesetz sich durchsetzt. Wollte man also von vornherein alle dem Gesetz widersprechenden Phänomene "erklären", so müßte man die Wissenschaft vor der Wissenschaft liefern. Es ist gerade der Fehler Ricardos, daß er in seinen ersten Kapitel alle möglichen Kategorien, die erst entwickelt werden sollen, als gegeben voraussetzt, um ihr Adäquatsein mit dem Wertgesetz nachzuweisen. 
 知識(科学)は、価値の法則それ自身が現れるのかを正確に構成することにある。したがって、法則に反する現象を最初から「説明」したいならば、知識に先立つ知識を示さなければならない。リカードの間違いは、価値法則の妥当性を証明するためにと、最初の章で、最初に開発されるべきすべてのカテゴリを所与としたことだ。

 少し置いて経済学者批判。

Der Vulgärökonom hat nicht die geringste Ahnung davon, daß die wirklichen, täglichen Austauschverhältnisse und die Wertgrößen nicht unmittelbar identisch sein können. Der Witz der bürgerlichen Gesellschaft besteht ja eben gerade darin, daß a priori keine bewußte gesellschaftliche Reglung der Produktion stattfindet.
 下品な経済学者は、現実の日常の交換関係と価値の大きさが直接一致することはありえないという考えを全く持っていない。このブルジョア社会のジョークは、生産の意識的な社会の規制は先験的には存在しないというアプリオリな事実の上にまさしく成り立っている。

ピケティは r >gというけれど

 ピケティはベストセラー『21世紀の資本』で、所得の不平等化の原因は(税引き後の)資本収益率(r)>経済成長率(g)にあると書きました。

 それも観念にすぎません。

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 ここでモズラー(MMT)が出てきます。

 MMT的に考えると、ちょっと驚くことがわかります。

Marx-MMTによる資本論

 MMTは通貨は数字だということを暴きました。

 MMTでいう「純金融資産」とは、資本論における商品の貨幣形態と同じものなのです。

 そうすると資本論の冒頭の文。

 Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.
 資本主義的生産方法に支配される社会において、その富は「商品の巨大な蓄積」ということになっている。その最小単位は一商品である。

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 この社会の富(Der Reichtum)、つまり「商品の巨大な蓄積( ungeheure Warensammlung)」をミクロで見ると、こうだと言っているのです。

社会の富が変動する法則

 こうです。

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 青の「サルト・モルタル(命がけの跳躍)」は現実の日常の交換関係(die wirklichen, täglichen Austauschverhältnisse)で発生する剰余価値。この価値はわたしたちの日常の売買行為によって、ジャンプアップしています。

 緑の財政支出もサルト・モルタルの一種ですが、政府が関わる取引を切り離してGとします。

 赤の税・社会保険料は貨幣の破壊、すなわち富の名目価値の破壊です。

 以上は現実です。

社会の富の変動の見た目(概念)

 わかりやすくするために、点線を補います。

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 なんのことはない。ピケティは「経済成長率(g)」というけれど、SもGもTも、みんな人間が取引ごとに値札を付けた結果だったんです。

 今の生産様式における社会の富、つまり Der Reichtum der Gesellschaften は日々のSとTとGの集積の歴史だった。。。

 マルクスの理論は論理的なストーリーだから怖ろしい。「人びとは生きるために賃労働せざるを得ない」という前提を受け入れたらこの結論に至るのです。

 こういうのは全くデタラメです。

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 だって、連続でない関数は微分できませんよね。。。

 年金がある日とつぜん、キーボード操作でドカンと株を買う。

 そんなんが混じっている数列を微分???それって、たとえば、自分の手でこしらえた人工階段の傾きを「計算」して「計算したら傾きはこうなってました!」、みたいな。

 あほか...

 国債??それ価値の増減に関係あんの?あ!金利を資本にプレゼント!

 というわけで。

 こんな感じで経済学者たちによる壮大なデタラメが世界中の学生に教え込まれてきただけだったのです。

 目の前には大洪水が見えているのに!!!


 気を取り直して。。。

抽象化とは記号化であるという考え

 よく「現実の数字」とか「現実的な政策」などといいますが。

 あれいったい何だったのでしょうかね?

 GDPにしても、予算にしても、いわゆるインフレ率も「あるルールに従って何かを数えたもの」つまり人為的な概念です。概念は言葉です。そして言葉は文字の列です。

 政策も同じで例えば「消費税廃止」とは「しょうひぜいはいし」という九つの平仮名の列です。

 これは実は詩の創作に関わります。

 近代俳句の最初期の女流詩人、杉田久女(1890 - 1946)の話でもします?

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 彼女の代表句の一つとなったこちらで考えてみましょう。

谺(こだま)して
 山ほととぎす
  ◯◯◯◯◯

 修験の山として知られる英彦山を登った折に聞こえてきたホトトギスの声によって、久女の頭の中ですぐにできたのはここまでだったそうです。下の句の五文字が出てこない。

 これを数学的に考えると最初の一文字は何通りでしょうか?日本語は母音が5つ子音が14なので、その組み合わせで5×14=70通り、母音だけの「あ」「い」「う」「え」「お」の5とおりと合わせて75通り。下の句は五文字というルールに従えば、その五文字は 75×75×75×75×75 通りの組み合わせから選ぶという問題になり…

 久女はこの五文字を捻り出すためその後数回英彦山に上り、ようやく得たぴったりな下の句が「欲しいまま」という五文字だった。。。

 言われてみるとこれしかない。

ゲーテの「野ばら」

 このように詩人は新しい言葉の組み合わせを発見します。

 ゲーテは恋を歌う "Heidenröslein(野ばら)”において、何の変哲もない morgen(朝) と schön (美)の二語を組み合わせた morgenschön という新しい単語を作り出します!

 それまで誰も考えたことのなかった言葉を、ここしかない!という場所に入れてのけたのです。

Sah ein Knab’ ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell es nah zu sehn,
Sah’s mit vielen Freuden.

こどもは見つけた、小さな薔薇(Röslein)があるのを
野中に Röslein を
それはなんとも若い morgenschön
よく見ようと思わず駆け寄って
見ると喜びでいっぱいに

 すてきなものを見つけたときのあの感情。それにぴったりで、なおかつ n で終わる言葉をキメる。

 ゲーテはわたしたちの認識空間、思考空間を広げたのです。

 これ本当にすごい。。。

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 前々回にコロンブスの卵の話をしました。「言われればわかるけれど思いつくのは大変」ということがあります。

 詩人の言葉は「言われてみると」これしかない。これしかないということは言われれば「わかる」。

 なぜ「わかる」のか?

 ここでロマン派の詩人は次のように考えました。太古の人間には「霊感」があったのではないか?現代人はそれを失っただけでは?失われた能力を取り戻すにはどうしたらいいか?

 そこから次の発想が出てきます。

 「言葉の順番を入替えてみたら?」
 「単語を変えてみたら?」

 こうした「もし…だったら?(What if?)」という問いが大事なんです。

「もし…だったら?(What if?)」という問い

 ライプニッツの逸話です。1695年、ライプニッツは数学者ロピタル宛の手紙で歴史を変える質問をしたそうで。

Can the meaning of derivatives with integer order be generalized to derivatives with non-integer orders?
整数次数の導関数の意味を非整数次数の導関数に一般化することはできるだろうか?

 ロピタルはこう返したそうです。

What if the order will be 1/2?
もしも次数が1/2だったら?

 ライプニッツはこう返したそうで。

It will lead to a paradox, from which one day useful consequences will be drawn.
それはパラドックスになるが、いつかそこから有益な帰結が導かれるだろう。

 ここから数学の爆発的な発展が始まったと…(ネタ元はこちら)。 

 ここで注目したいのは、“What if …?”、「もし…だとしたらどうなる?」という問いの形式の発見です。「もしゼロで割ったら?」という問いから始まる微分の発見の物語もまたそうですよね。

 ライプニッツはこの方法で新しい概念の世界を切り開いていきます。

ケルトンの新著における What if?

 たとえば、ケルトンの新著。

 今調べたら12回の ” What if ” がありました。序章では三連投している箇所がありました。

 What if the federal budget if fundamentally different than your household budget? What if I showed you that the dificit bogeyman isn't real? What if I could convince you that we can have an econmy that puts people and planet first?
 もし連邦予算が家計と根本的に違うとしたら?もし私が、赤字のオバケなんていないことを教えてあげられたら?もし人と地球を第一に考えた経済ができるとしたら?

 いかがでしょう。「もし…だったら?(What if?)」という問いの威力はすごいですよね!

 そしてこの問いは「思考の向きの論理」と関係しています。

 これを説明するために将棋の話をしましょう。

将棋の戦術革命と順列・組み合わせ

 将棋というゲームがありますね。

 今は藤井聡さんが大スターですが、過去に大山名人とか中原名人とか古くは坂田三吉とか江戸時代の天野宗歩とか天才と言われた人がたくさんいます。

 ところが、今のアマチュア高段者がもしタイムマシンで過去に行けたら、彼らといい勝負ができるのです。ほとんど負けないのではないでしょうかね?

 近年はAIの進歩でもはや人間はとてもAIには勝てなくなっていますが、人間は人間でどんどん強くなっているからです。

 そこには「手順をどうするか」の考え方の革命的な進歩があったのです。ライプニッツに始める順列組み合わせの論理から発展したマーケティングや意思決定の理論が将棋に応用されたもの、と言えると思います。

手順前後の論理

 単純化すると、まず「意味ある選択A」と「同じくらい意味がある選択B」があるとして。

 このとき「選択Aをしてから選択Bをする」のと「選択Bをしてから選択Aをする」のではどちらが有利かだろうか?という問題。

 図にしてみます。

 選択肢が2つしかない行動Aと、選択肢が3つある行動Bの組み合わせは6通り考えられますが、AとBのどちらを先に実行すべきでしょうか?図の右と左でどちらが有利か、ちょっと考えてみて下さい。

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 これには現実的にはっきり正しい「考え方」があります。

 これは思考の順序問題でもあり、経済政策の問題でもあります。

 何度か出したこの図ですが、このセオリーを適用するとTeam「ブルジョア」の考え方が人びとにとって不利なものになるのですよ。

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 さてどうでしょう。「2✕3」の順番が良いか「3✕2」が良いか?答えは。。。???

手順のセオリー

 セオリーはこうです。

「次の選択肢が多く残る選択」を先にする
「次の選択肢が少なくなる選択」は後回しにする 

 左の「2✕3」が正解なのです。

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 これ、いわゆるリスク管理の問題とみなせます。将棋などのゲームなら、まず相手に考えさせるという効果がまずあります。

 現実の問題は、最初の行動をとった後に「状況が変わる可能性」があるわけです。予想していない何かが起こったときに、選べる選択肢が多い方が有利ということです。

 「後回しにできる手は後回しにする」、つまり「できるだけ多くの選択肢を将来に残す」という思想によって将棋というゲームの世界は一変したのです。ご参考

"現代将棋"の特徴をいくつか挙げるなら、①飛車先不突矢倉から生まれた「後回しにできる手は後回しにする」という考え方が、あらゆる戦法に波及した。

樹形図で考えるマルクス−MMT

 この樹形図で考えるとマルクス−MMTと経済学の違いがいっそう明らかになります。

 経済学は決して「ダイレクトに人びとの生活を保証せよ」とは言いません。ということは「人びとの生活ではない何か」を目安にするのが「経済学」の骨格です。

 上の二つの選択は、独立した要因に見えます。

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 前回のエントリを見てくださった方はわかると思いますが、これってこうですよね。

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さらに。。。

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 対してマルクス−MMTerはこう見ている。

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 というわけで、経済学は科学ではないんです。デタラメです。

 前回の図をもう一度。

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「何かを政策目標にする」とは「政策の限定」だということ

 くどいかもしれませんが、これは「できるだけ多くの選択肢を将来に残す」セオリーで考えても同じです。

 前回は【将来の〇〇からの人びとの幸福】という考えは「手段の目的化につながるから良くない」と書きましたが、こうしてみるとこの考えが悪手なのは「政策を限定すること自体」にあると言えるでしょう。生産様式をあらかじめ決めることを意味するからです。

 それは結局マルクスが「哲学の貧困」で書いた以下の自体を想定することになるからです。

 みんなのように、晴れているので大勢が散歩に出かけるという代わりに、プルードン氏は晴天であることを確かめることが可能になるよう、みんなを散歩に行かせるのである。

 そうすると、こうなるわけですよ。

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 「事後の視点」とは "What if..." を問わないという意味になっていることがわかります。

 そして以上のように考えると、ちょっと面白いことがわかります。nyunの法則というのを作ってみたのですがいかがですか?

nyunの法則

「人びとの生活」以外の一般的政策目標は、必然的に人びとの不幸に帰結する

 これ将棋で言えば「戦う前に自分の戦法を敵に明示すること」に相当するでしょうか。少し考えてみたら当たり前と思うのですが、もし政府の方針が予めわかっていれば、誰かが必ずそこにつけ込みます。

 「◯◯はいいことだ」という何らかの価値判断を先に決めてしまったら、そこに悪いことを忍ばせようと支配者が考えることを止めることはできません。

 JGPでも同じです。

ミンスキーの"Employer of last resort" の含意

 ハイマン・ミンスキーは政府が人びとの雇用を保証する政策のことを
" Employer of last resort " (ELR)と呼びました。

 これは「最後の雇い手政策」と訳されるのですが「人びとにとっての」最後の手段であって「政府や産業にとっての」手段ではありません。最後の手段とは文字通り「最後までとっておくこと」。みなさんは自分の最後の手段を簡単に使いますか?

 そして「最後の手段」を予め放棄することは、そのシステムのバグです。そのシステムは長期的には必ず破綻するということを決めているのですから。

資本主義的生産様式の「バグ」

 資本論第一部の図をもう一度。

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 マルクスが表現したかったことを今の言葉で言えばこうなると思います。

今の社会様式には根本的なバグがあるから必ず暴走するという予言」

 これはnyun法則で言えば、「金儲けが良いことである」という価値観を先に決めてしまったら必然的に人びとは不幸になるという話です。

 これは新しいことを言っているつもりではありません。マルクスが書いたことを今の言葉に翻訳したに過ぎないつもりです。単に、当時はバグという言葉がなかっただけでして。

 いま「バグ」という表現の意味が通じるのは、わたしたちがバグに由来する被害を経験しているからです。しかしライプニッツはもちろんノヴァーリスもマルクスもそれを知っていて、別の言葉で言っていたのです。

マルクスは「デジタル/アナログ」や「バグ」を語っていた! 

 ライプニッツは記号論理学の原型に到達していました。だからこそプログラムを走らせる計算機を自作することができました。

 もし論理ステップに「バグ」があったならそのプログラムは目的通りの動作をしません。

 前回書いたようにマルクスはノヴァーリスの盟友であるアウグスト・シュレーゲル教授の講義を熱心に聴講し、同時期にこの理論に基づく詩を書くことに熱中していました。だから「意味がない論理」「有害な論理」とはバグであるという論理を知らないはずがないのです。

 デジタル/アナログも同じです。

 マルクスが「命がけの跳躍(サルト・モルタル)」という言葉で言っていたことを現代の言葉に直せば「ここはアナログでなくデジタルだよ」と同じなのです。

 マルクスはバークやプルードンの政治学やスミスやセイやリカードの経済学を社会に実装してはいけないということを知っていました。だからこそ、資本論によって「そうでない経済学」を構築してみせた…

 本シリーズで何度か引用してきたマルクスの単著デビュー作「哲学の貧困」のこの指摘は深い意味があったのです。

 みんなのように、晴れているので大勢が散歩に出かけるという代わりに、プルードン氏は晴天であることを確かめることが可能になるよう、みんなを散歩に行かせるのである。 

 

 お疲れさまでした。今回はいかがでしたか?

 今回と前回の話は、これまでマルクスを学んだ人もそうでない人にも新しい話ばかりだったと思います。

 マルクス経済学って、ここから始めればよかったんです。行列計算なんていらないんです。

 置塩・森嶋の「マルクスの基本定理」

 ゴミです。

 ホーキンズ・サイモン条件?

 現実とは何の関係もありません。

 無理もないのです。マルクスが時代の先を行き過ぎていたせいで、現代の人でもノヴァーリスとMMTを知らないで資本論を読むのはちょっと難しいと思います。

 そして自分はノヴァーリスとMMTを知ってから資本論を読んだ、たぶん世界で初めての犬だろうと思うわけです。さらになぜか将棋や数学をちょこっと知っているとかあれこれを思うと、これまでの人生じゃなくて犬生は、以上のことを世界に伝えるためにあったような気がしてならないワン。


 次回は、いよいよ資本論第一部「剰余価値」の論理に切り込んでみましょう。もう、難しくないはずです。しかし本当に大洪水は論理として避けられないのです。

つづく


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