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ロマンティックMMT−21: マルクス-MMT③ 資本主義って何だろう?

マルクス-MMTの三回目です。バックナンバーはこちら。

 ① 簡単!表券主義
 ② アンケート「資本主義って何ですか?」

 みなさんアンケートありがとうございました(頂いたご意見は見つけ次第②の記事にリンクしていく所存)。

アンケートの意図

 アンケートには小さな意図がありましたので、それを説明しておきます。 

 ①で説明した「表券主義」と「資本主義」という二つの言葉は同じ「◯◯主義」ではあるものの、社会的な受け止められ方に違いがあります。

 「表券主義」は言葉自体知っている人はほとんどいないのに対し、「資本主義」という言葉はかなりの大人が「知って」います。そしてアンケートでもはっきりしたと思いますが、みなさん思い思いの理解をされています。

 そしてそれでも別に、困ることはあまりない。困るのは、このことがMMTやマルクスの理解を妨げてしまっていることで、これは本シリーズの第一回から指摘してきたことです。

 ただ、nyunごときが「みんな誤解している!」とどれだけ叫んだところで、指摘されている側は「何を指摘されているのかを理解することができないという構図」があります。彼らの思考が先入観にハマっていることを、彼ら自身に気づかせることは容易なことではありません。

 ところで、マルクスの「資本論」における最重要キーワードは「資本」です。にもかかわらずマルクスがこの言葉に込めた意味をきちんと受け取っているマルクス学者は殆どいらっしゃらないように思えます。そしてそのことがマルクスの誤解、MMTの誤解に大きく関係していると考えています。

 みなさんも「資本」とか「資本主義」という言葉が意外と曖昧だということに気づかれたのではないでしょうか。

 そういうわけで、じぶんは「マルクス-MMT」と銘打った本シリーズにおいて「資本とは」「資本主義とは」という観点で、正面からこの誤解を解きほぐし、マルクスの普通の読み方をご紹介してみたいのです。

 ここで読者の皆さんの心には「なぜ専門家にできない読み方がにゅんという犬にはできるのか」という疑問が生じるのはモットモです。まあその理由を説明することもできますが、今はそこには触れません。

 一つの問題はマルクス自身が「資本主義」という言葉を使っていないところにあります。

マルクスは「資本主義」という言葉を使っていない!

 ここなんです。

 このことはマルクスを読み始めてかなり初期に気づきました。

 偉そうなことを言ってますが、かくいう自分も最初は先入観から「あのマルクスなんだから資本主義(Kapitalismus)という言葉がいっぱいあるに違いない」と思い込んでいたのですが、ある瞬間、自分の先入観に気づいたという順番です。

 ところで先日石塚さんが「Kapitalismus、一箇所あるよ」と教えて下さいました。感謝。

 ただこれ、資本論の第一部でなく、第二部ですね。。。

 マルクスが出版したのは資本論の第一部だけ。第二部と第三部は、マルクス自身の手によるものではなくマルクスの死後にエンゲルスが完成させたものなのです。だからエンゲルスの「地」が出てしまったものだと解釈することができます。

 そうすると「マルクスが資本主義をどう考えていたか?」という問いは、「マルクスは資本というものをどう考えていたか?」を考えなければならないということになります。

〇〇主義と〇〇イズム

 ここで、日本語で「〇〇主義」と言うときと、英語などで「〇〇イズム」言うときのニュアンスは結構違っていることを指摘しておきます。

 たとえば「楽観主義」とか「理想主義」というときは「その人が選び取っている価値観」という感じがするのに対し、「資本主義」は別に自分で選んだ覚えはない。けれど英語だと、オプティミズム、アイデアリズム、キャピタリズムと、みんな語尾に「イズム」がついているという共通点があります。

 じぶんは文学が専門(笑)なので、思い浮かぶのはまず「ヘレニズム」とか「ヘブライズム」。クラシカリズム(古典主義)、ロマンティシズム(ロマン主義)!

 これらの「イズム」は「主義」よりも「様式」と翻訳されることも多いです。けれど同じものなわけですね。だから、これらの「イズム」に共通する意味、とういうか「感じ」は掴んでおいたほうがいいというわけです。

ザ・古典主義のゲーテは「俺、古典主義」と言わない

 ドイツ古典主義の代表とされる芸術家は文学でゲーテやシラー、音楽ならベートーヴェンら、ということになっています。

 彼らが自ら「古典主義」と名乗っていたわけではありません。そして、このことは、マルクスが「資本主義」と言っていないということは似ているのです。

 彼らを「古典主義」と呼んだのはゲーテたち自身ではなく、続く時代の人々です。彼らはゲーテらの偉大さを認めつつ、新しい表現形式を模索する中で、ゲーテたちとはまた違う、別の新しい様式を発見し展開して行こうとしたのです。

 だから「従来とは異なる新しい様式が発見されることによって『ドイツ古典主義』が定義され相対化された」というのが本当のところでして。

 このように「〇〇イズム」は「自分で選び取るもの」であるとは限らないということがわかりました。ではどういうことでしょうか?

 そんなときは語源を調べるのがお勧めです。

「〇〇イズム」の語源

 イズムの語源はギリシャ語の horizein 。天と地を分割する「水平線(horizon)」と同語源。英語でいうと bound, limit, divide, separate というニュアンスだと言われています。

  いまネット検索したら素晴らしい説明があったので引用します。

In Old English, the word for horizon was eaggemearc, or “eye-mark,” meaning the limit of one’s view. Our modern word, however, derives from the Greek horizōn kyklos, “bounding circle,” from horizō, “to divide, bound, limit, separate,” and from oros, “boundary, landmark.” In other words, a boundary encircles us, delimiting the scope of what we are able to see. More importantly, however, that boundary also moves with us. By definition, we will never reach the horizon.

 要するに「〇〇イズム」は「ある〇〇から全世界を見渡す視点」と理解すると良いです。

 視点を定めないで世界を把握することはできません。

 ①の「表券主義(チャータリズム)」もそうでしたよね。チャートとは「紙」です。

 また、マルクスの博士論文は原子論(アトミズム)に関するものだったわけですが、アトミズムとは、世界の本質は粒(アトム)であると見なす考え方のこと。

 古典主義はどうでしょう。ロマン主義者が「イタリア旅行以降のゲーテが古典主義」というときに意味していることは、ゲーテは古代ローマの詩歌や建築物に代表される「過去に完成された様式」を理想としているよね、ということです。
 ロマン主義者は、それに対して「自分たちは大衆の活き活きした言葉(ロマン)で美を捉えるよ!」とやったわけですね。

思考の枠組みと〇〇主義

 ここで、皆さんに考えてほしいことがあります。

1.古典主義のゲーテにロマン主義を説明することができるますか?

2.金属貨幣しかなかった時代の人(お札の存在を知らない人)に、表券主義(お金は数字だよ!)を説明することができますか?

3.天動説を信じている人に、どうやって地動説を説明しますか?

 なかなか難しいですよね。
 でも、もっと難しいことがあります。

1.ゲーテとシラーとベートーヴェンが「俺たち古典主義!」と言ったか?

2.金属貨幣しかなかった時代の人(お札の存在を知らない人)に「金属主義」を説明できますか?

3.天動説時代の人に「地動説」を出さずに「天動説」を説明できますか?

 もっと難しいですよね。

 「累積赤字は危険!」と信じている人に「累積赤字こそ必要!」という考えを受け入れさせることと、同じ困難があるのです。

 天動説の人に「お前は天動説だ!」と言っても「ハア?」と言われるのと同様に、「累積赤字は危険!」と信じている人は「おまえは累積赤字は危険といっている!」といくらいっても「そうだよ?」ってなりますよね。

 つまり、人は新しい思考を理解するまでは、古い思考から脱却することはまずできない

 では、いよいよ、マルクスに即して「資本」主義を考えてみましょう。

マルクス ”Das Kapital” はどのような本か

 日本では「資本論」という日本語タイトルで有名なマルクスの本のタイトルは ”Das Kapital” 。英語なら The Capital。つまり「資本」です。

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 余談ですが、タイトルの感じが似てるなと思うのは、映画だと The Birds(邦題は「鳥」)や、The Fly(邦題は「ザ・フライ」)、小説だと「壁」、「It」。

 こういう単語一つのタイトルってちょっと怖くないですか?

  ”Das Kapital” は「恐ろしい叙事詩」あるいは「誰も逃げることができない悲劇」として読まなければならない本です。もちろんそう読まない自由はありますが、そういう人はこの時代の文のコンテキストがわかっていない。じぶんはそのへんにだけはちょっと詳しい者として「もったいないなあ」と思います。

 なにしろ書かれていることは、「この資本制社会は必然的に破滅する」ということ。

 それは第一部だけで十分だと思います。そして解説でなく「原典」を読みましょう。

資本論の読み方

 「原典」でなく解説本を読むとこういう事が起こります。この note の読者の方ならおなじみの図と思います。「解説」では解説者の視点から脱却出来るはずがなく、むしろ理解は確実に狭まります。

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 そして本当は、ドイツ語で読むのがベストですが。。。その話は次回にでも。なんとかしてあげます!

「資本論」から「資本とは?」を読み取る 

 ”Das Kapital” という本は、「商品」というこの世界の一番小さな原子(あるいは細胞)から出発して、「ヘーゲルの論理学」を忠実にひっくり返した形式で、淡々と、しかし豊穣な文章技術を駆使して「この世界の現実」を、記述したものです。

(そうした「作品」として仕上がっているのは ”Das Kapital” 第一部だけ。 単純な第二部、第三部は好きな人だけ教科書的に読めばいい。その差はまさに月とスッポンです。)  

 そこに書かれているのはまさに現実です。人間が作り出した資本という怪物が、人間を苦しめている有様です。

 タイトルが ”Das Kapital” なのですから、 ”Das Kapital” について書くよ!と、はじめから言っている。かといって「資本とは何?(Was ist das Kapital?)」というような説明があるわけでもない。

 だから読者は「資本とは…」という語を気にしながら読むわけです。ドイツ語だと、それは das Kapital ist... となっている箇所。それはいちばん最後の節で、さりげない形で書かれています。マルクスさん、ぜったい狙ってます!

das Kapital nicht eine Sache ist, sondern ein durch Sachen vermitteltes gesellschaftliches Verhältnis zwischen Personen.

 ここ、かなり感動しました!

 一冊丸ごと、全体で Was ist das Kapital? の説明になっていたのか。。。

 キャピタリズムとは、この認識から世界を把握するということだったのか。。。

 すると、MMTは間違いなくこの歴史の延長線上にある。。。

 

(上の引用は今はあえて翻訳しません。それは次のエントリで説明したいと思います。)  

つづく

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