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ロマンティックMMT−19: マルクス-MMT① 簡単!表券主義

 少し間が空きましたがマルクス-MMT論を真面目にはじめます。

 やっぱり、まず大事になるのは資本主義とか表券主義のような「概念」それ自体のことでしょう。

 ただ、それらの概念の内容の前に、日本語圏に顕著なある種の誤解のパターンに触れておく必要があります。

 日本語という言語の特性のせいで「ほんとうはカンタンなことをむつかしく理解しようとしていしまう」という傾向が強い。マルクスやMMTがすごく誤解されているのはこの要因が大です。

 とにかく。

 MMTやマルクスを、むつかしい言葉では考えないでくださいね。今回と次回はそんな話をする予定。

 まずは、「表券主義」という難しげな言葉から片付けていきましょう。みなさんわかっていないと思います。正しい「わかり方」にはコツがあるんです。

表券主義って何?

 MMTに関心を持って勉強しようとした皆さんは、これまでどこかで「表券主義」という言葉にぶち当たったのではないでしょうか。

 むつかしくないんです。要はこういうことですから。

 「お金は紙だよ!数字だよ!」

 これだけなんです。これだけのことを学者さんとかが、わざわざ「表券主義」と言っているだけ。

 おしまい。

 …

 ところが。

 そういうふうにイメージを知る前の、白紙の状態で教科書や wikipedia の文から理解しようとするのは危険なことなのです。知識とかイメージがほとんどない状態で「説明」を読んでしまうと「ズレたイメージの刷り込み」が起こるのです。

  Wikipedia だとこうです。

Wikipediaの「表券主義」

 表券主義(ひょうけんしゅぎ)とは、ある固有の国家がその国土内で財やサービスとの交換を可能とするために発行し、法律によって税の支払いなどを唯一認める貨幣の内在価値を表すという主義のこと。 対義的には金本位制などの金属主義がある。

 これ、理解できます?よく読むと日本語おかしいですが、とにかく、ぜったいわかりにくい!

 それと注目したいのは「お金は紙だよ!数字だよ!」というもとの意味よりも狭い理解になっていることです。だって、もともとは国の貨幣に限定する話ではないのですから。

 もう一つダメな例を。経済学者の内藤敦之さん。内藤さんはMMTをよく勉強されていると一目置かれる存在。

内藤敦之さんの説明

 Sorataさんの、こちらのエントリでも紹介されいる論文なんですが。。。

 原文から引用します。

 表券主義と信用貨幣論の貨幣の説明を簡潔に検討する。

 ここから、どう見ても簡潔ではない文が続きます。

 表券主義においては、計算単位を国家が指定することによって計算貨幣が生み出される。これは、国家が課す「税の支払手段」としての貨幣である。この時、国家は税の支払いの際に受領する実体としての貨幣も指定している。計算単位にせよ、実体としての貨幣にせよ、どのようなものであっても、国家が指定しうるという意味で名目的である。このような国家貨幣は通常、国家による財/サーヴィスの購入によって供給される。これはいわゆる財政政策に他ならないが、財の売り手が国家貨幣を受け取るのは、それは税の支払手段だからである。財の売り手自身が納税者でなくても、納税者は国家貨幣を必要とするため、受領性が高く、国家貨幣が流通する根拠となる。

 ダラダラ長い上に、Wikipediaと同じように「説明なのに意味が狭くなっている」ことに注目です。くどいですが、「お金は紙だよ数字だよ!」という話は、国が発行する貨幣だけの話じゃないわけで。

 では、この「表券主義」という言葉がどこから来たか。そこから考えてみましょうか。文章読解ではふつうのことです。

Chartalism と「表券主義」の大きな差

 表券主義という日本語は、英語の chartalism から来ています。オリジンは、ドイツのクナップという人が1905年に書いた、Staatiche theorie des Geldes という本で、1924年に英訳されたそうです。

 この本に書かれていることは、「紙が支払い手段になっているじゃん!」という話なんですね。

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 Chartal Zahlungsmittel という項目があるのですが。これは、「紙が支払い手段になっている場合」みたいな感じです。この本の中で、ラテン語の " Charta "を使えばいいんじゃね?と主張していて、それでこの本で生まれたのが chartalism という言葉です。

 chartalismという言葉の前に、「どうして Charta という語幹を含んだ単語を使うのか」の説明がちゃんとあるのです。当該箇所を引用します(英語版)。

When we send letters, we affix a stamp or ticket which proves that we have by payment of postage obtained the right to get the letter carried.
The " ticket " is then a good expression, which has long since been naturalised…
手紙を出すときに、切手を貼る。切手とは手紙を送る権利である送料をすでに支払ったということを証明するチケットだ。
この「チケット」というははるか以前から親しまれている良い言い方だ…
Perhaps the Latin word " Charta " can bear the sense of ticket or token, and we can form a new but intelligible adjective-" Chartal." 
チケットやトークンを表すために、ラテン語の” Charta” という語にその意味をもたせる事ができるだろう。そしてそこからわかりやすい形容詞" Chartal" を作ればいいだろう。

 おわかりになるでしょうか。

 クナップが言っていることは「紙が支払い手段になっているじゃん!」ということ。そしてそのビューで貨幣を理解することを chartalism と呼びましょうと、そういう話なんです。

 だから、わたしたちは「貨幣理論」とか「表券主義」などの言葉を介さずにこう理解すれば十分です。

 お金は紙だよ!数字だよ!と。

 そして、この問題は「表券主義」という概念に限ったことではありません。次のように一般化することが出来るでしょう。

教科書や言葉によって、もともとカンタンだった概念がわかりにくく、しかも的を外した理解につながってしまうという現象。

 そもそもMMTにせよマルクスにせよ、スケールの大きな議論です。ということは、いろいろな概念の組み合わせであるわけです。だから、だいじなところで概念を受け取り損なうと、理解がめちゃくちゃになってしまう。

 それが、マルクスとMMTの不幸でした。

 でもだいじょうぶですよ!

 どうか nyun の話についてきてください。基本はみんな同じですので!

 パターンはだいたい、次のような話だと思えば間違いないんです。そして前回のこの図の話ととても良く似ているのです。 

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教科書の「○○主義」が見落とすもの

 同じ話です。

 クナップの意図したもともとの Chartlism 、つまり「お金は数字だ!紙だ!」という議論は広い可能性を持っている。こんなかんじ。

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 ところが日本語で「表券主義」とか Wikipedia で「勉強」すると、下の図のように、可能性のほんの一部しか把握できなくなってしまう。点線のところをぜんぜん見なくなってしまう。

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 だからダメなんですね。

 もう一度、内藤の文章を引用します。

 表券主義においては、計算単位を国家が指定することによって計算貨幣が生み出される。これは、国家が課す「税の支払手段」としての貨幣である。この時、国家は税の支払いの際に受領する実体としての貨幣も指定している。計算単位にせよ、実体としての貨幣にせよ、どのようなものであっても、国家が指定しうるという意味で名目的である。このような国家貨幣は通常、国家による財/サーヴィスの購入によって供給される。これはいわゆる財政政策に他ならないが、財の売り手が国家貨幣を受け取るのは、それは税の支払手段だからである。財の売り手自身が納税者でなくても、納税者は国家貨幣を必要とするため、受領性が高く、国家貨幣が流通する根拠となる。

 おわかりでしょうか。

 この説明では、全然ダメ。
 民間銀行や一般企業が発行する借用証書(IOU)も貨幣であることがすっぽり抜け落ちてしまう。

 バカバカしい。。。

 そろそろ纏めに入りますが、最後に触れておきたいのがマルクスです。

 マルクスという人こそは、まさにそうしたバカバカしいことはやめようと、強く強く言い続けた人だったんですね。

 「マルクスは資本主義と闘った」というのは狭いのです。

 「マルクスは『自由でないこと』と闘ったのであり、自由を束縛するものがの一つが資本家的生産様式だった」のです。

 代表作の「資本論」だとこういう表現があります。

 諸商品は、それらの使用価値の雑多な現物形態とは著しい対照をなしている一つの共通の価値形態-貨幣形態をもっているということだけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。
(資本論、岡崎次郎訳)

「ガキでも知っていること」から論じること

 大事な個所を繰り返します。

...だけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。

 ここなんです。

「千円の値札が付いた商品は、千円払えば手に入ることになっている。」

 こうしたことは「だれでも知っていること」です。資本論という本の狙いは、だれでも知っていることから話を始めるという、まさにそこにあるのです。

 商品に値札をつけるのも、意味を読みとるのも人間だけ。

 だから、お金は社会的構築物、イデオロギーだよね!

 と、そんな話になるわけで。だからこそ、現行システムと異なる形を考えることができるのです。

 マルクスの共産主義とか、MMTのJGPという発想は、この認識からこそ出てくるものです。

つづく

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