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表現から得られる「情報の質量」について

タイトルが凄いものになった気がするが、「表現」の中でも、書く/体現/描く/話す/演じる/演奏などなど、様々な「表現」方法があると思う。それぞれにそれぞれの特徴があるわけですが、そこにどれくらい「情報」が詰まっているかというお話。

人はどうしても自分が注目しているものが「最高」だと感じやすいし、その想いがあるからこそ人にお勧めしたり、ブームが起きたりする。


これって最高だよね!?

の言葉の裏には、他のものと比較して一番という意味がこもっている。しかし、じゃあ他のものの詳細を知っているかと言えば、全然そんな訳もなく印象や感じたことをストレートにそのまま出してきているだけの場合が多い。

そこを徹底的に考察し、打ち出せば時代を超えて残る「評論」などになるのかもしれない。(と言っているこのnoteも感覚的である)

だからお止めなさいなんて偉そうに言う資格も当然なく、言うつもりもございません。むしろそういった「安易な」ものがないと、興味を持つ機会も少ないし、減ってしまう。

常に「本当の意味で最高」レベルしかない世界は息苦しい。もちろん、最高レベルを知ることも大切ですよ。

「残る」素晴らしい仕事を、完成度の高い仕事をする場合はそこまでやればいいけれど、基本的にはノリと感覚で、その時に感じた1番を打ち出さないとつまらないのも確か。

もちろん、そこを取っ掛かりに批判が生まれたり、議論や異見を呼び込んだりもする。時には炎上することもあるけれど。


さて、なんだか前振りが長くなってきた気がする
(重要だから書いたのだが)

最近は映像だ、音声がいい!という意見や投稿をよく目にする気がする。図解/イラストに情報が詰まっているなど。もちろん、書く/描くもそう。

だが、実際には素人では解らない。本当にその映像に「情報」が詰まっているのか?それぞれの専門家に聞くと物凄い説明を頂けることでしょう。それくらい各分野の奥深さがあると思う。

実際、スポーツ。特に競技に関しても表現=体現という考え方がある。指導者やトレーナーもそうだけど、見る人が見たら情報が一杯ある。凄く多く見える。それをフィードバックするのが役目。

ランナーなら目につくフォームはもちろんのこと、眼に見えない感覚やメンタル、一つ一つの動作や操作まで見ていくことになる。見ていこうとする事=情報を多く得る、整理する、分析することになる。

フィードバックも表現の一種だから、どうやって行うかを真剣に考える。

映像を利用するか、解析データを見せるか、実技をしながら行うか、文章や話で伝えるか・・・

今、自分がこうして書いたり、発信するのもその活動の一部でもある。

だから、あれが1番これが1番でどんどん乗っていくのも良い。だけど、他のモノが劣るという言い方は「それは違うよ!」と声を大にして言いたい。

全てにおいて奥深さは存在し、それぞれの良さと特性があるということはどこか頭の片隅に置いておきたいもの。

だから、新しい技術や表現方法が苦手だけど、例えば書くことは得意!でも、今の時代はshowroomだよな、Voicyをやらないと「表現の世界」で出遅れちゃうといって動いてやっていける人はいいけど、どうしても無理という人は自分の得意分野で勝負しながら、どうすれば届くかを考えた方が良いと思います。

他の方法がもてはやされて、自分のやっていることがちっぽけに見えたり、価値が無いように感じることもあるかもしれません。

が、実際はそんなことはない。もちろん、流行り廃りがあって厳しい状況もあったりするけど、優劣では考えない方がメンタルにとっても健全で、かつお客様/読者を含む様々な方にとっての(もちろん自分も含め)選択肢が多い方が嬉しいはず。


結び

なんかあっちいったり、こっちいったりしたnoteになったかもしれない。想いを載せた分、体系だったものになっていない(多くある気がする)。

私にとってはワークもライフも一体だし、オンラインもリアルも別に境目を考えすぎる必要はないと思っている。

表現も様々な特性があり、自分でも試したい。そして、選びたい。

出来れば、沢山の「表現」が多くの「表現」が誕生し、楽しみながらやっていきたい。

その中でも特に「体現」が私のコアにあるのは確か。ランニング/ウォーキング、トレーニング・・・様々な中でどんな情報があるのか?向上するなら、怪我を防ぎながら楽しめるのかを考えたなら、是非ご相談/ご依頼ください。

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