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幸せって感謝の連続なのかな。

生きてます。絶賛、毒母と戦い中。

今回の議題は宅配が毎日きすぎて頭がおかしくなりそうなことについてらしい。

宅配で購入しているお金の出どころはすべて自分が稼いだものだ。
だから、お金がよほど余っているのかとお思いになった毒母は生活費を入れろと言ってきた。まぁ、余談だが生活費は父親が管理しており母親は全く関与していない。食費から生活費から父が管理しているものでうちでは父お小遣い制度なんてものは存在していない。それは父があの女に渡したら大変なことになると察知していたからだ。

話がそれてしまったが、じゃあ、どの程度の頻度で宅配来ているのって話だ。正直、一週間に2回ぐらいがつきに2回。回数で言ったら4回だ。多いのかな。それらはすべて過去に頼んだものがようやく届くといった感じのものばかりだ。こういう時、一人暮らしをしていたら楽なんだろうなと思う。それか、毒母より先に帰宅をするか。

まず、一人暮らしから考えてみる。正直に言って無理だと思う。発達を言い訳にするのはよくないが、部屋はぐちゃぐちゃになるだろう。

後者の毒母より先に帰宅の件も無理だろう。私のほうが遅いから。

じゃあ、何がよいのか。毒母がどこかに行くのがちょうどよいのだ。以前、毒母は親族の関係で家庭にいなかった時がある。その時はパワハラ職場にいて大変だったこともあるが、それでも楽しかった。楽だった。

ぽつりと毒母がこぼした「死んでみようかな」「心療内科に行こうかな」「それで発達障害?」「薬捨てて…」といった言葉の数々は忘れられないだろう。

死にたいのなら実行すればいいし、心療内科に行きたければ行けばいい。発達障害に関して馬鹿にされるのは本当に腹立たしかった。それに薬は日々処方されるものが体調によって異なり今の形になっているから、OD防止も含めて処分するのが正しいだろう。

過保護のカホコをみて「うちみたいだね~ケラケラ」と笑う毒母の姿は今でも忘れられないし、録音しておけばよかった。

さて、タイトル回収でもしよう。タイトルにもあるように最近、感謝であふれている場所こそ幸せの場所なのではないかと思っている。

今私がいる場所は、毎日感謝の言葉であふれていて、とても心がポカポカする。だが、家だと感謝されない。やって当たり前、高い点数取って当たり前、”私(毒母)”の言うことを聞いて当たり前。

そんな日々の連続だ。感謝がなければ幸せにはなれないし、息をしていても楽しくない。

ならいっそ、毒母の代わりに実行してやろうか。

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