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いい意味での雑さ

フランスの人々はやさしい。


先日、バスが見つからずに困っている時、通りすがりの人に助けてもらったことについて書いた。
地図を見ながら立ち尽くしているわたしに「お手伝いしましょうか?」と声をかけてくれ、バス停まで連れて行ってくれた人がいた。

あれから数日経って、あれくらいの親切はこの街の人々にとって当たり前のことなんだと感じている。

◇◇◇

通りを歩いていて、なんとなく誰かと目が合ったら、とりあえずにっこり。
語学学校では、生徒でも先生でも、すれ違えば誰とでも挨拶。
スーパーのレジに並んでいて、わたしがちょっとしか買わなくて、自分がたくさん買うなら、快く順番を譲ってくれる。

もしかしたらフランスだけのことではないのかもしれない。
語学学校には様々な―ヨーロッパ、アジア、南アメリカ―地域から生徒が集まっているけれど、みんなとても自然にそんな風に振る舞っている。
一度席が隣になっただけなのに休み時間に話しかけてくれたり、「よぅ」って声を掛けてくれたり。

にこやかでオープンでラフで、人懐っこいというか、笑顔や小さなやさしさを出し惜しみしない。
とにかくみんな感じがいい。

◇◇◇

昨日の帰り、スーパーで買い物をしていた。
レジまで来て、あとはお会計というところでレジの女性に何か言われた。
野菜の買い方がおかしかったらしいというところまではわかったのだけど、その後がわからないでいたら、後ろに並んでいた男性が英語で説明してくれた。

”野菜売り場の近くに秤があるから、それで重さを測って。
画面からどの野菜か選ぶと、横から値段を書いたシールが出てくるから、それを貼って持ってこないといけないんだ”

日本で言えば、お肉屋さんの秤売りみたいな感じだったのだ。
そういえば売り場にいる時に「なんで秤があるんだろう?」と思ったんだった。
気になるんなら誰かに聞いておけばよかったなぁ…。

どこから売り場に戻ればいいのかわからずにきょろきょろしていたら、さっきの男性が”ここから行きなよ”と並んでいた列の端を手で示してくれた。
夕方で割と並んでいて、”すっすいません!通して!”と言いながら通ったのだけど、いい意味で誰もわたしのことを気にしない。
よくあることなのかなんなのか、みんな自分の連れとのお喋りに夢中になったまま、ひょいっとよけてくれるのだ。

戻ってきたらわたしを飛ばしてお会計が進んでいて、レジの女性に手を振ったらいちばん前に通してくれた。
その時も、他に並んでいた人は"あ、そうなの?まあいいや"みたいな感じで順番を譲ってくれた。

またさりげない人のやさしさに助けられた。

◇◇◇

親切にしてもらえるのは、わたしが見るからに外国人だからかもしれない。
この街では東アジア系の顔立ちをしている人は少数派だし、”この人フランス語わかんないかもな”と察してもらえるのだろう。

(ヨーロッパ系以外なら、北アフリカではフランス語も話されているから、アフリカ系の人はフランス語が流暢なイメージだ。
南アメリカ系の人、特にポルトガル語圏の人なら、ポルトガル語とフランス語は似ているから、フランス語もそこそこ話せるイメージだ)

でも、なによりも根底にあるのは、いい意味での雑さだと思う。

昨日のレジでの一件だって、ひとりくらいレジの順番を抜かそうがなんだろうが、だーれも気にしてない。
そもそも店員さんとお客さんがぺちゃくちゃ話しながらお会計しているので、早さなんて大して重要じゃなさそうだ。

あんまり「あれはだめ、これはだめ」と厳格な感じがしないというか、適当で、その代わりにお互い多少の粗相は許しあっている感じ。
みんなにこやかだし、「こんなの他の人に迷惑かも」みたいにびくびくする必要を感じない。

特に海外では、その国のマナーやルールがわからなくて、おどおどしてしまうこともあるのだけど。
今のところ、そういう窮屈さを感じないで済んでいる。
わかんなかったら誰かに聞けばいいや、なんとかなるでしょ、とのんきに構えていられる。
(もちろん、本当に危ないことや悪いことをしていたら、怒られるだろうけど)

わたしは海外=すばらしい!みたいな、とにかく日本を下げて海外を礼賛するような態度はあまり好きじゃないのだけど、この雑さは積極的に真似していきたい。
日本に帰っても、いい意味でゆるい感じでいられたらいいな。

◇◇◇

帰りのバスで大あくびしていたら、近くにいた女性と目が合って、2人でくすくすと笑った。
フランスに来て初めての週末、いい気分で迎えられそうだ。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。