遠き80年代 202307

「80年代に対するノスタルジーを思いきり書こう」と思ったが、80年代後半から90年代初頭の時代の「いやな」雰囲気を書いておかねばと思い、前回、そういうことについて書いた。

そうでないと、そのことばっかり書いちゃうからね(笑)。

で、それを済ませておいてまず思うのは、
「ノスタルジーの感覚も時代とともに変わる」
ということ。
「80年代」とはどういう時代だったかというと、2000年代くらいまでは「浮足立った、軽薄な」イメージがあった。が、現在、80年代も含めた「昭和レトロ」というと、「めちゃくちゃでバイタリティーがあって、でも価値観が古臭い」というふうにとらえられることが多い。

というか、「昭和レトロ」というくくり自体がざっくりしすぎている。「昭和レトロ」には、昭和30年から60年代くらいの30年間が混交して入っている。

80年代を印象で分けると、80年代初頭はまだ70年代の空気を引きずっている。
後期になると、完全にバブル期。

中間の80年代半ばは「これからバブルが来るのか? 来るのか?」みたいな、様子をうかがうような感じ。

何にしろ、こっちも知識がそこそこ付いてくるので、同時代にはわからなかったことが後からわかったりするね。

「太陽の牙ダグラム」(1981~83年)や「メガゾーン23」(1作目。1985年)が「体制への反逆」をテーマにしていながら、作品の結末はグズグズな感じになってしまうのが当時、もどかしかったのだけど、70年代を経ていたなら当然だな、と今では思える。
「ダグラム」ではベトナム戦争の泥沼化が影を落としているし、第一回目で「朽ちダグラム」が登場するのは、当時からするとひと昔前の「アメリカン・ニューシネマ」の影響ではないか?
「メガゾーン23」は、70年代頃までエンタメの中によくあった「いつまた、戦争が起こって人々が徴兵される時代が来るかもしれない」という恐怖感が、80年代半ばになってもまだしつこく投影されている。
また、アメリカン・ニューシネマの影響が感じられるのも「ダグラム」同様である。

「超時空要塞マクロス」(1982~83年)も、リアルタイムでは「ガンダムに比べるとずいぶん戦争に対する描写がヌルいな」と思っていたが、あらためて見るとそうでもない(ファーストガンダムは、その辺やはり秀逸だった)。しかしアイドルの歌をフィーチャーした感じは、明らかに80年代的な軽薄さ、パロディ根性を如実に反映している。
この辺は、説明がむずかしいのだが。

やはりマンキンで「戦争娯楽作」を描くには、「ボトムズ」(1983~84年)のキリコのような「少年ではない」主人公象が必要だったのだ(同時代に「モスピーダ」で、若すぎる主人公が設定されてますけどね)。

逆に80年代の「未来」である90年代から観ると、90年代の「鬼畜サブカル」ブームは明確に80年代からつながっているのがわかる(レンタルビデオ店の増加にともなうスプラッタ映画ブームがあったし、OVAでも、残虐描写やえげつないエロ描写に価値があった)。
小山田圭吾のいじめインタビュー記事(1995年頃)は、ネットではひたすらにリベラル的な、現在の反差別的観点から糾弾されたが、過去(70年代、80年代)から観て行かないと、何であんなもんが公開されたかの流れは見えてこない。
そもそも1995年のインタビューが2020年代になって大炎上する、という現象に関しても、実は非常に不可思議なのだが、私の観測範囲では考察した例は見られなかった(もちろん95年以降、断続的にプチ炎上したのは知っているが、それにしても、である)。
ほとんどの人が「今のリベラル的な思考」が最善のものであり、それがある程度広まったからこそ、1995年時に無知蒙昧だった人たちの悪の所業が、「目を覚ました私たち」によって、正当に断罪することができるようになった、みたいな感じであった。

まあ「90年代鬼畜サブカル」の話を続けていると話が90年代に行ってしまうのでやめておく。

80年代に話を戻すと、ファーストガンダムにしてもイデオンにしても、やはり「勧善懲悪的なクライマックス」は微妙に(わざと)はずしている。
ガンダムもイデオンも研究されつくしていると思うので、あまり余計なことは書けないが、直観的にはそのように感じる。

一方で「スクールウォーズ」や「スチュワーデス物語」などが、「ベタな青春もの」、「根性もの」として評価されてもいたのが80年代だ。

と、こんな感じで、昔みたいに素直にノスタルジーに浸れなくなってしまった。現在、未来によって過去の評価は変わる。
なんか今回はうまく行かなかった。
次回があれば、なんとかして80年代ノスタルジーに精神をダイヴさせたいところだ。

おしまい

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