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ラグスタcolumnVol.8:我々が「ラグビー」との両立にこだわる理由①

幣団体が昨年1月より活動を開始し、約1年間経過しました。大学ラグビー部員として、そして二兎Beプロジェクトの代表として、1年間我々なりに「ラ業両立」向き合ってきました。そこで、今回から暫くの間、「両立」そして、我々二兎Beプロジェクトの原点についてのアウトプットを行っていきたいと思います。まず、なぜ我々二兎Beプロジェクトは、「勉強」との両立の対象として「ラグビー」にこだわるのか、徹底して深堀していきたいと思います。

部活動の引退時期が受験に限りなく近い、いわゆる高校の「ウィンタースポーツ」はラグビーだけではありません。サッカーであれば「選手権」、バレーボールならば「春高」、バスケットボールには「ウィンターカップ」があるでしょう。無論、そのいずれも優劣はつけ難く、どのスポーツも本当に素晴らしいものであります。その前提を踏まえた上で、幣団体が「ラグビー」にこだわりたい理由があります。

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結論、その答えは、勉強とラグビーが、高校生が体感できる「究極の両立」であることに尽きると思います。そこで、「ラグビーと勉強」の両立が「究極」の両立たる理由を4つの視点で紐解いていきます。(*毎週1テーマずつ更新する予定です。)本日は、一つ目の理由にフォーカスします。

理由①:「究極」の知的負荷・精神的負荷・肉体的負荷との両立

ラグビーは常に考え続けるスポーツでもあります。とりわけボールキャリアーはパス・ラン・キック・ランコース・仕掛ける位置・次のプレーにどうつなげるのか...など無数の選択肢と思考が求められます。常に最善は何なのか、この状況での正解は何なのか、「思考」し続けるのです。

この点では同じフットボールとして、サッカーと類似している点が多いかと思われます。しかし、サッカーとの違いは、サッカーが「連続」であるのに対し、ラグビーは「非連続」である点にあります。つまり、90分間プレーが継続するサッカーに対して、ラグビーはプレーが止まる時間が存在します。その分、ラグビーにおいては、デザインされた攻撃で必要とされる「熟考」とオンプレーでの「瞬間的判断」の両方が求められるのです。

また、他にも「精神的負荷」の違いもあります。ラグビーは、防具もせいぜいヘッドキャップくらいで、相手によっては時に死を覚悟する場面もあるでしょう。怪我の頻度や重症度も正直桁違いです。こうした、いわゆる生命的な恐怖に向き合った瞬間、人としての本質が試されます。言い換えると、生存本能、つまり逃げたいという気持ちに抗う必要性が時に生じます。ありのままの自分、弱い自分をさらけ出し、その上で己を超えていくスポーツ、それがラグビーです。

競技としての「非連続性」と生存本能に抗うレベルの「精神的負荷」という点では、フットボールの中でもアメリカンフットボールとの類似点があります。しかしその違いは、(元に戻るようですが)「連続性の度合い」と「肉体的負荷の種類」にあるわけです。連続性に関しては、アメリカンフットボールはラグビーに対して圧倒的に、プレーの途切れる回数が多いです。攻守の切り替えも明白です。つまり、その分デザインされたプレーの比重がより大きくなり、「熟考」の「瞬間的判断」に対する割合が高まります。また、後者の肉体的負荷の種類に関して言えば、ラグビーはアメリカンフットボールに対して、試合中に求められる走行距離が圧倒的に長いです。大きな体を揺らして速く・長く走るスピード持久力が求められます。

このように、僭越ながらサッカーとアメリカンフットボールとの比較により、ラグビーの、①知的負荷(熟考と瞬間的判断)②肉体的負荷③精神的負荷3つの要素のバランスの良さが見て取れるのではないでしょうか。

長短あらゆるスパンで常に思考し、生存本能に打ち勝ち、大けが・死を覚悟する体験を同時にしながら、勉強もやる。ラグビーと勉強の両立が究極たる一つの由縁です。

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