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終わりという始まり、始まりという名の終わり①~海外志向0の少年が国際系団体に飛び込むことになった話~

ここ数日、騒がしかったLINEの通知が減った。「あれ?なんか癪に触るようなこと言ったっけ?」数分考えて気がついた。業務連絡が無くなったからだ。
5月いっぱいで2年間所属した学生NPOのアイセックを正式に引退した。正確には2月頭に引退し、最後の業務をこなしていたのが完了した。気持ち的には2月の時点で引退したようなものだったが、意外にもここにきて改めて「終わった感」が押し寄せてきた。せっかくだし、これを機に人生の分岐点にもなったアイセックでの経験と思い出を感傷に浸りながら書き綴ろうと思う。今の”にたまご”が形成されるまでの過程をどうぞご覧あれ。
※とはいったものの書くことが多すぎて今回は入会まで。笑

第1章:衝撃的な大学生活の幕開け

3月29日。今でも覚えている2年前のこの日、運命の歯車は動き始めた。いや、人生を通して想いを溜め続けていたダムが決壊したと言う方が正確かもしれない。

出会い

合格発表の日、新歓のビラ配りに来ていた数少ない団体の1つがアイセックだった。他の団体の話を聞いていたら、なぜか先輩と母親が仲良くなっていたのが出会い。この時点で意味が分からない。話を聞いた第一印象は”興味なし”。それまでは「日本じゃ使わなくていいし、AIも発展するのに英語を勉強するなんて時間の無駄」「なんで平和な日本を出て海外に行く必要があるの?笑」と本気で思っていた。そんな僕に「国際系の団体だよ~」なんて勧誘が響くはずがなかった。

だが、それで終わらなかった。

合格発表から数日が経ち、先輩から聞いた言葉が頭に引っかかっていた。
「大学の新歓は高校までの仮入部と違って、楽しんで、友達作って、情報もらって、ただ飯食わせてもらうもんだから、是非とも来てね!」
高校で仲の良かった友達はみんな他の大学に行ってしまった。友達作りが心配だったから、新歓祭までに何かしら新歓に行こうと思った。
でも腰が重い。
だって心配じゃん?大学生がどんな生物かもわからない状態で、一人で飛び込むなんて。それにもし新入生が1人だったら、、という不安もぬぐえない。
でも、それと同時に過去の後悔が襲い掛かってきた。

ボランティアや社会活動に昔から興味があった。でも高校までは何もできずにいた。なぜか。一人で行くことに怯えていたからだ。超進学校に在籍していたこともあり、友達を誘っても行く人が見つからなかった。仲間と一緒に新しいことに挑戦するのは得意だったが、一人になると学校の外に出られずにいた。そうして取り逃した機会が何度かあった。それが頭をよぎった。

とはいえ、一緒に行くような仲間はそもそも同じ大学にいない。じゃあどのみち一人で動くしかないんじゃね?と思った。そして、もらったビラを見ながらスケジュールと照らし合わせるとアイセックしか行ける団体がない
困った。先輩がああ言ってたとはいえ、興味のない団体の新歓に行くのは気が引ける。でもチャンスが他にない。
親はアイセックの新歓に行くことを薦めてきた。「英語が大事」と「先輩いい人だったじゃん」という理由で。まさかのここでビラ配りの時の衝撃が新たな意味を持ち始める。

悩んだ。悩みに悩みながら情報収集のためにTwitterを見ていた。
そんなある日、こんなツイートが流れてきた。

「アイセックの新歓興味あるんだけど、誰か行く人いないかなあ。。」

チャンスだ!ここを逃すとこれまでと何も変わらないぞ!そう思った僕は勇気を出してDMを送った。「一緒に行きませんか?」と。その先に待っている運命を知る由もなく。。

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大学最初の友達は〇〇!?

そうして行くと決めたアイセックの新歓。一緒に行く人が見つかったとはいえ、初対面の見知らぬ人。会う前に相手のことを知りたいと思った。でもLINEのコミュニケーションがうまく進まない。質問に対してまっすぐな返信が来ないし、メッセージが殺伐としている。
「変な人を捕まえてしまったかな。。。」
正直、そう思い始めた頃に衝撃的なメッセージが飛び込んできた。

「申し遅れました。私キム(仮名)と申します!」

。。。え?
。。。。。え?え?
。。。。。。。ええええー!?!?!
そう、まさかの相手は韓国人の留学生だったのだ。
本当にビックリした。外国人と接することすら恐れていたのに最初の友達が留学生になるなんて。でも彼はその後も度肝を抜き続けた。

当日の新歓は午後からだった。せっかくだしお昼ご飯を食べながら話してから行くことにした。
そして三ノ宮駅で初対面。背が高くガタイもかなりいい。見た目にビビりながらも、食べるものを決めてラーメン屋へ。そこでの話がとんでもなかった。

「僕23歳で元軍人なんですよ~~」
「サンシャイン池崎が好きで、「イエエエエエエエエーーーーーーーイ!!!」って叫び続けてたら周りが興味を持って、軍の中で流行ったんですよ~~」

もう本当に意味が分からない。

浪人して入学した同級生に敬語使った方がいいのかな?なんていうそれまでの最大の悩みがどうでもよくなった。いや、それだけじゃない。自分の知っていた世界の小ささを突き付けられた。カルチャーショック?そんなものじゃない。僕を覆っていた壁はその存在を信じられなくなるほどに粉々に砕け散った。

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いざ新歓

キムの衝撃から覚めぬまま迎えた新歓。
出会った先輩の最初の一言がまた度肝を抜く。
「お前どんな奴がタイプなんや?」
いきなりそれ聞く!?大学生って怖いと思った。
(弁明しておくと、いきなりそんな話をする人にはその先出会っていないし、その先輩はそもそもそういう人です。)
でも怖いで終わらなかった。というのも、そこで話したことが恋愛観に留まらず、どこまでも広がっていく。こんなに深く話せる人がいるんだと感心した。

そんな話をしている間に会場に到着。この日の新歓はスポーツ大会。
始まる前にガムテープとペンを渡されて名前を書くようにと指示があった。
ここでふと「あだ名の方がいいですか?」と聞いたのがいい意味で間違いだった。
”にたまご”と書いたらえらく気に入られた。チーム名も「にたまごっち」になり、主役として(?)盛り立てられた。開会(閉会?)の言葉も言うことになった。
こんなつもりじゃなかったのに、、と思いつつも、これが楽しかった
楽しかったのはそれだけじゃなくて、メリハリがすごかった。盛り上がるところはとことん盛り上がり、まじめにするところは一瞬で静かに集中する。高校までに委員長を務めることが多く、そのあたりの苦労を感じていたこともあって、その雰囲気が素敵だと思った。

いざ新歓②

新歓はこれで終わらなかった。先輩と話す鍋会が待っていた。
本音を言うと当初は乗り気じゃなかった。実家通いなのにご飯をもらうことが申しわけなかったし、なんとなくおまけのようなイメージをしていたから。
でも、この鍋が人生を変えることになる。

鍋会で話し込んだ先輩は教育にアツい人だった。当時の僕は教員志望。
教師を志していた大きな理由は社会をもっとよくするため。だから社会への関心がバックにあり、そのうえで教育に興味を持っていた。でもそんなことを話せる相手は今まで存在しなかった。親も先生も「そのためにはいい大学に行かないといけないから受験勉強頑張りなさい」以上の言葉を与えてくれなかった。
でもその先輩は違った。教育のことを今まで出会った誰よりも考えて、学んでいて、親身に想いを聴いたり語ったりしてくれた。しかも実践も行っている。こんな人がいるんだ。。感動した。泣きそうだった。
それまで大学生は遊んで、バイトをして、だらだら過ごすものだと思っていた。でも、社会に対して、教育に対して、自分の未来に対してアクションを起こす過ごし方があることを知った。大学生って捨てたもんじゃないな。そう思った。

その夜、お風呂に入りながら一日の余韻を噛みしめていた。
好きな人への想いが溢れて、他の何も考えられない時のような感覚に陥っていた。完全に惚れ込んでいた。でも、それと同時に、大学ではバンドをやるという意思は越えられないとも思い、これで終わるだろうというもどかしさも感じていた。

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違和感と確信

そうして激動の3月29日が終わり、他の団体も本格的に新歓がスタート。
神戸大学は例年、4月1,2日に(ほぼ)全ての団体が集まり、話を聞けるイベントがある。多くの人は興味のありそうな団体を2,3個見たら、勧誘にうんざりして帰るけど、僕は違った。
元々興味の幅が広かったということもあるが、アイセックの新歓を受けて、知らない世界を知ったうえで進路を選びたいと思った。だから興味のある団体、何をしてるか分からない団体、声をかけられた団体のブースを全部回った。2日間フル参戦で計80ブース!”にたまご”の由来を聞かれること実に30回以上!こんな変な奴はそうそういないと思う。笑

余談だけど、この時の団体や人との出会いが学内で初対面の人と話す時の話題の種になったり、新入生のサポートにも活きている。そういえば当時は新歓マスターとか呼ばれてたなあ。笑

そうして80団体のブースで話を聞いたら次は団体別の新歓へ。2週間弱で13団体回った。内容は様々。元々興味のあった団体の雰囲気チェックから、なかなかできないスポーツの体験会まで色々参加した。終電後に集合して登山して100万ドルの夜景を見てから始発で帰るイベントと、なぜかセンス抜群で強く勧誘されたウインドサーフィンは特に思い出に残っている。

色々新歓を回る中でモヤモヤが生じていた。それは他のどこのサークルもアイセックの新歓ほどの衝撃や充実感がなかったこと。それは他の団体をネガキャンしたいわけではなくて、楽しいけどなんか違うな、合わないなという感覚。
入学するまではバンドで暴れようと思っていた。それ以外の過ごし方を考えたことがなかった。高校時代、作ったけど出せずに終わった曲がたくさんあったし、客観的に見て(技術はさておき)レベルの高い曲を作れている感覚はあった。少なくとも関西の軽音界隈で、状況次第ではインディーズのリスナーにまで名が知れるところまで行ける確信があった。でも大学の軽音サークルの体制と相性が悪かったし、万が一評価されてプロにでもなれない限り卒業後には活きないという確信もあった。

軽音を中心にたくさん兼サーして楽しく(fun)過ごすか、アイセックで楽しく(interest)過ごしながら未来を切り開くかの二択を迫られた。

13団体の新歓を回る一方で、アイセックの新歓も7回ほど参加した。感激が忘れられなかったこともあるが、何をしている団体なのかはよくわからなかったことと、あの先輩だけがすごい可能性もあると思ったからだ。入らなくても学びは得られるだろうから使わせてもらおう。そんな軽い気持ちで、暇さえあれば絡みに行った。
でも話を聞けば聞くほど興味が湧いてきた。
ただの国際交流団体じゃなくて、社会をよくするための手段として海外機会を作っている。
(当時は初めて触れたからそう思っただけかもしれないが、)組織の掲げるビジョンやミッションに死ぬほど共感した。素敵だった。
そして何より、どの先輩と話しても、自分が知らなかった世界を見せてくれるし、自分の体験を通して得た想いや、やりたいことを熱く語ってくれた。
さらには、高校時代に話を聞いて感銘を受けたものの遠い世界のように感じ、結果的に自分の可能性を諦める原因にもなっていたNPOの代表が、アイセック出身だということも知った。
OBには各国の総理や大統領、有名なサービスの社長も多数。
なんだこれは。こんな環境があるのか。

ここなら変われる。
まだまだ知らない自分の可能性を知り、飛躍するチャンスがある。

そんな確信を抱いた。そして、とある講演会がきっかけとなりアイセックへの入会を決めた。

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決め手

とはいえ、入会する決意をするにはやはり、英語と国際ということがネックであり続けた。自分に本当に合っているのか、本当にやっていけるのか、それだけはずっと心配であり続けた。
でもそれも前向きに捉えられた。
何をしているのかではなく、何のためにやっているのかが大事だと。
逃げ続けてきた海外とむき合ういい挑戦機会だと。
人の成長に本気の団体だから、教育にも活かせるなと。
そして何より教育問題に取り組めることは魅力的だなと。
そう考えると不安よりも魅力の方が勝った。
そして、バンドをしない後悔はPCでの打ち込みなり趣味なりで補えるけど、人生を変えられるかもしれないこの機会を失うことは絶対に取り戻せないと思った。
よくこの進路変更には驚かれるが、バンドをしたかったのも社会や人に影響を与えるために音楽と言葉の力を使おうと思っていたからで、根本的な想いは同じ
だから入会決定の連絡が来るまでは、最悪浪人で対応できる受験の結果発表よりも怖かった。入れなかったら人生が終わるとまで思っていた。笑

結果的に、あれほど海外を嫌がっていた僕が一人でカンボジアに行くことになった。行った時に改めて、この選択が間違っていなかったことを確信した。その話はまた今度。

伝えたいこと

こんな感じで、予想だにしなかった進路選択を入学と同時にすることになった。投稿の最後にこんな選択で未来を切り開いた僕だからこそ、伝えたいメッセージを書きます。特に新大学1年生と、高校生以下のみんなに読んでほしい。

①高校までの小さな関心に縛られないで
「大学ではこれをしたいです!」という想いは大切。でも、他の可能性も考えたうえで進路を選んでほしい。よほどの経験をしない限り、高校までで見えている世界は本当にちっぽけ。
部活も学部も学校も、与えられた選択肢から選ぶことしかできない。その中で育める興味も、見つけられる得意不得意も、悩むのがバカになるくらいちっぽけ。世界はもっと広いよ

大学の中でさえ、サークルという形で意味の分からない面白いこと、自分に合っているかもしれないことをしている人が沢山いる
授業が面白くないとか、いいサークルに出会えなくても、大学の外にはそれを満たしてくれる機会がいくらでもある

そして、大学生活の質は良くも悪くも関わる組織と仲間が大きく左右する。いや、大学生活だけじゃない。その後の人生の質も考えられないほど変えてしまう
でも悲しいことに、そのことに就活で苦労するまで気づかない人が多い。

1つ誤解してほしくないのは、僕が過ごしてきたようなもの以外の大学生活を否定したいわけじゃないし、アイセックに入れ!と言いたいわけでもない。同じことに打ち込み続けられることはすごいと思うし、楽しく遊び続ける過ごし方があってもいいと思う。
伝えたいことは、最初から決めつけるな。他の道の存在を知ってから道を選べということ。僕の例なんてちっぽけなものだけど、こんな選択を自分がする可能性がある事を知ってほしい。

②一歩踏み出すことを恐れないで
人はきっかけさえあればいくらでも変われる。でも、きっかけを掴みに行くことが難しい。この記事であれ、なんであれ、きっかけになりうることはそこら中に転がっている。でも、課題が忙しいとか、不安だとか、忙しいとか、一歩踏み出さない理由を並べて結局何もできずに終わる人が大半。
そうやっていつまでもズルズル生きるぐらいなら、一歩を踏み出してみて。

最初に踏み出した先が地獄かもしれない。でも、一度踏み出したことには絶対に意味がある。勇気の必要なことも慣れれば当たり前にこなせるようになる。合わないと知ることも大きな学びだし、今合わなくとも将来的に生きる可能性は十分にある。時間に余裕がある中で失敗を恐れずに挑戦できるのは学生の特権だよ。

③新型コロナによるオンライン体制はむしろチャンス
新入生と話していると「コロナのせいで友達を作れない」とか「サークルもバイトも始められない」と嘆く声をよく聞く。確かにそれはそうで気の毒だと思うけど、選択する上ではこの状況はむしろ大きなチャンス。

よくあるのが
・入学前にバイトを始めたせいで、新歓に行けず、サークル選びにも授業選びにも時間的制約がかかって、やりたいことができない。
・サークルを決めるまでの時間が短すぎるせいで、入ってからより魅力的な団体の存在を知る。


これを防げるのが羨ましいとまで思う。だって深い仲にはなれずとも、授業で顔と名前くらいは知り合った状態で新歓を迎えられるし、例年以上にSNSの交流も活発。バイトを始められないということは、時間に縛られずにやる事を選べるということだし、サークルもSNSを使って自分たちの魅力や競合団体との比較をする機会を作ってくれている。
これって結構幸せなことなんだよ。トータルで使える時間は減っても、春に迎える困難が軽減している。それは1度しか経験しえない当事者のみんなは気づかないことだと思うけど。

最後に

本当はアイセックライフを5章程度にまとめて一つの投稿にするつもりでしたが、濃すぎた出会いのせいでこんな形になってしまいました。笑
まあでも、大学生の進路選択においては参考になりうるエピソードだと思うし、これはこれでいいでしょう。笑

入会後、にたまごがどんなことをして、どのように変わっていったのかは次回以降の記事にて。
少し予告をすると、人生で初めて絶望のどん底に落ちた話。「関西を出たくない!」と言ってたのに日本中を飛び回るようになった話。3人の若者を育てながら自分も育った話。海外志向0からのカンボジア渡航の話。取り組んで感じた社会課題や教育、海外志向について思うこと。は絶対に書くと思います。

長編になると思いますが、全てのエピソードが伝えたいことなので、noteや各種SNSのアカウントをフォローして、次回以降も読んでいただけると泣いて喜びます。
そもそも1つの記事だけで関係が終わるの寂しいですし!
ではまた次回!

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