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【赤裸々大人中学女子】めんどくさい私の生い立ち

モデル/レンタル彼女PREMIUM/心理カウンセラー/結婚相談所助手/イラストレーター/西岡まゆ(@mayu_rkp)です。

突然ですが、幸せってなんだと思いますか

幸せなんて絵空事だと思っていました。
近所で話題の美少女で地方局の取材がやってきて一晩にしてシンデレラストーリー!なんてことは起こらなかったし、優しい母や頼れる父のいる温かい家庭ではなかったし、県下一の進学校に通えるような頭脳も持ち合わせていなかったし…。


幸せって、『ある時王子様が白馬にまたがってやってくる』って思っていたのかもしれません。
でも当然のことながら、待てど暮らせど白馬の王子様などやって来なかったのです。
それどころか、私は辛いことや悲しいことに敏感で「どうして私ばかり…」「どうせ私は」と悲劇のヒロインになってばかりいました。
自分が可哀相って思ったらちょっと気持ちは楽になるし、「大変だったね」「辛かったね」と優しい言葉をかけてもらえるから。
(これ以上私を傷つけないでね、の免罪符のようにも思っていたのかもしれませんね…)

つまり私は、「頑張っていて偉いね」と褒めてもらえることで自分を満たそうとしていました。
しかし、その状態で幸せなど見つけられるはずもありません。

どれくらい前でしょうか。私はストレスが溜まりに溜まり、実家の祖母につい愚痴をこぼしたのです。
「毎日ただ勉強や仕事をしているだけでちっとも楽しくない。お婆ちゃんは幸せでいいね」と。
どう転んでも無事に人生を「あがれる」であろう祖母に、半分皮肉を込めて言った言葉でした。
それに対し祖母は怒るでも咎めるでもなく、あっけらかんと言いました。
「幸せって簡単に言うけど、貴方にとって幸せって何なの?」
意外な返答に言葉が詰まり、もごもごしている私に祖母は続けて
「私も毎日辛いことばかりだよ。でも幸せなことがないわけでもない。卑屈になっているようじゃ本当に幸せなんかになれないよ」
と諭したのです。
その時私は祖母にうまく言いくるめられたような気がして、素直に頷くことができませんでした。


しかし同時に思ったのです。
「私は、自分が満たされないことを人のせいにしていないか」……と。

そのことに気づき、私は自分がどういう時に幸せだと感じるのかをよく覚えておくよう意識するようになりました。
例えば「たまたま持っていた○○が誰かの役に立った」とか「何気なく塗ったマニキュアを誰かに褒められた」とか。
最近では、レンタル彼女として出会ったお客様に「まゆさんと話せて本当によかったです」なんて言われました。
その時は、麻薬でも盛られたかのような幸せの爆弾を受けました。
つまり、私は人とのかかわりの中で「役に立った」と言ってもらったり褒められたりすることで、自分が満たされて来たのです。


思えば子供の頃からそうだったかもしれません。
滅多に親から褒められたことのない私でしたが、母の手伝いをしたり、妹の面倒を見た時だけは「偉いね」「いい子」だねと褒めてもらえました。
ピアノを長年頑張ったのも母から褒められたいためだし、勉強を一生懸命したのも母から褒められたい一心でした。
けれども望んでいたように褒めてはもらえず、そんな自分を不幸だと思っていたし、幸せというものがどういうものか分からないまま漠然と「幸せになりたい」って思っていました。


大人になるにつれて、褒められたい対象が母から全人類に変わったものの、私の判断基準は「褒められるかどうか」であることには変わりません。
人に何かをしてあげて褒められれば素直に嬉しいし、褒められなかったら「どうせ私なんて」って落ち込んでしまう。
勝手に人をアテにして、アテが外れたら世界一の不幸者のように落ち込んでいる私を見て、祖母は『卑屈になっている』と言ったのでしょう。

本来、人から褒められるって悪いことではありません。
けれども私は、人の役に立ってありがとうと感謝してもらえることにどこかやましい気持ちがありました。
それは、自分を喜ばせるために他人を利用していたという下心があったからかもしれません。
けれども、他人が喜ぶことをすること、他人が喜んでいる姿を見て自分も嬉しいなら、どちらも幸せで問題ないはずなのです。


良くないのは、良かれと思って他人にしたことが喜ばれなかった時に落ち込んでしまうことなので、感謝されなかったとしてもやってあげたいかどうかを自問自答してから動くようにしました。
「ありがとう」が欲しかった私ですが、どうやらそれだけでもなかったようで、「ありがとう」と言われなくてもやってよかったと思う時が多々あります。
すると、「今の私は褒められたくていいこと言ったな」とか「今は本心だったな」と自分の心が自分でも分かるようになってきました。
褒められたくてついいいことを言ってしまったとしても、「私ってホント欲しがりだな」って思うようになったのです。
つまり、それまでダメだと思っていたことを受け入れることができて、なんていうか……「褒められたがりの私ですが、何か?」と、居直ることでどこかスッキリした気持ちでいます。


もちろん、性格や考え方のクセというものは、ある日から急に180度変わるわけではありませんが、私ってこういう人というのが分かっただけでも生きることが少し楽になりました。
でも私のように人の顔色を窺って相手に合わせて生きてきた人っていると思うんです。

あなたはどうですか?


それで幸せならいいけれど、ストレスが溜まってしまっていたり、自分ってなんなんだろうって思う時があるようなら、一度お話を聞かせてくださいね。
あなたがどんな風にめんどくさい人なのか…さらにめんどくさい私なら、きっと受け止められるはずです。

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