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自傷自得

『どうしてこんなことしなきゃいけないんだろうね』

吐き捨てるように呟いた言葉は、体育館全体に響き渡る応援によって、誰の耳にも届いてはいなかった。当の本人マモルも、チームメイトに伝えたいと思って発した訳ではない。隣のコートでは勝負が決まったらしく、三組の男女がハイタッチを交わしていた。クラスマッチで生まれた関係性がいつまで続くのか。マモルの頭の中では、どうせすぐに消える、という簡易的な答えが用意されていた。

「ほら、マモル、頼むぜ」

前衛のコウキからボールが回ってくる。『頼まれたくない時はどうしたらいいんだろうね』現実からの逃避を許さないと言わんばかりに、サーブの笛が鳴った。マモルは深く構え、ボールを下から打ち出した。それは誰の目にも明らかな低空飛行だった。案の定、ボールはネットを越すことなく、パサっという乾いた音がその場に残った。

「えー、もったいな」「おい、あいつアンダーサーブミスったぞ」

コートの中央で生まれた些細な音は、水面で起こった波紋のように、不穏で、不必要で、不寛容な音色として体育館全体に広がっていた。

☆☆☆☆☆☆

試合終了の笛が鳴った。両チームが整列し、挨拶を済ませる。

「ごめんなぁ、俺がもっとボール取れてればな」

コウキはそう言いながら、応援していたクラスメイトの元へ向かった。「お前のせいじゃないって」チームメイトは皆一様に言う。

『じゃあ、誰のせいなんだろうね』

付け加えるように、マモルは音にすることなく口を動かした。マモルはこの試合で、一度もサーブを決めることが出来なかった。

「えー、もったいな」「アンダーサーブミスったぞ」

試合中に聞こえた言葉が、マモルの頭の中で反響するように再生されていた。『じゃあやらせなきゃいいじゃん』『出来る奴にやらせりゃいいじゃん』ループする雑音を黙らせるようにそう言い聞かせる。しかしながら、言い聞かせればするほど、不快さは増すばかりだった。『どうせ僕のことなんて忘れるんだから、気にするなよ』簡易的な答えは、気休めにはならない。焦らせるような何かが、モヤのようにして思考の視界を奪っていった。

『哀之助』

アイノスケ。マモルは心の中でそう唱えた。すると、その言葉で呼び出されるように、マモルの目の前に一人の男が現れた。格好は武士そのもので、端正な顔立ちをしている。凛々しさと勇ましさ、両方を兼ね備えているといった面持ちだった。

『今日も頼むよ、哀之助』

マモルがそう言うと、目を合わせるようにして武士は応えた。

『相分かった』

静かな返答とともに腰の刀に手をかける。武士の重心がゆっくりと下がっていく。そう、そこまでは見えていた。突如としてマモルの視界から武士は消え、体育館の床が空を成していた。エンドライン、アタックライン、そして、センターライン。時間を追う天体のように、コート全体が回転していく。

『へー、これが届かなかったんだ』

期待されたサーブの距離を確認すると、マモルは自分が急降下しているのを感じた。ジェットコースターにも似た感覚。違っているのは首から下が繋がっていないことだった。

マモルの顔が落ちると、その音に気づくようにしてコウキは振り向いた。マモルは視線が合うのを感じると、そっと目を閉じた。

『負けたのは僕のせいなんだろ、これで許してくれるかい』

☆☆☆☆☆☆

「コウキ、どこ見てんだよ」「いや、誰か見てなかった、今」

コウキの視線の先には、見つめてくるような生徒はいなかった。

「なんか見られてた気がしたんだけどな」「自意識過剰じゃね」


マモルは一人、クラスマッチの対戦表を眺めていた。屍ではない、しっかりと地に足をつけたマモルである。

『へぇ、負けたんだね。うちのクラス』


マモルは一つのルーティンを形成していた。それは「嫌悪に苛まれる自分を記憶と共に消し去りたい」という願いが発端となっていた。溺れるような感覚がつきまとう嫌な出来事。マモルは自分の中で、それらを深刻に捉えてしまう傾向にあった。どうしたらこの厚いモヤから脱することが出来るのか。それは自分が前を向くための、真っ先に解決すべき問題であった。

嫌なことが起こったときの、心に刃物を当てられるような感覚。辛い感情がずっと続くのなら、いっそのこと消えてしまいたい。マモルのそうした痛みを伴う感覚が元となり、哀之助が作り出された。名前の由来は悲しみから救って欲しいという願いからだった。

記憶を消すという設定は、マモル自身突拍子もないと思っていた。しかしながら、ルーティンを続けていくうちに、一時的な記憶をなくすことに成功していた。それは全校集会の挨拶を任された時の出来事だった。壇上の記憶が気づいた時には消え、クラスに戻るや否や、身に覚えのない励ましとからかいの声をかけられていた。どうやら自分は緊張のあまり、何を言っているのか分からないくらい噛んでいたらしい。壇上で記憶を消すため、哀之助に斬られた。マモルがその時思い描いたのは、さながら中世の公開処刑だった。


『今日も、僕は何かやらかしたようだね』

『左様で』

哀之助は静かにそう言うと、刀の鍔を鞘に打ち付け音を鳴らした。

『急かさないでよ。またお願いね、哀之助』

『相分かった』

『相分かったって、哀之助の哀とかけてるの?』

マモルが横目で確認すると、哀之助は既に消えていた。代わりに体育委員が対戦表に結果をつけている。

『そこは左様でって言うとこでしょ』

マモル達に勝ったクラスの横に、バツ印が加えられていた。





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