ブラタモリ高松編で語りきれなかったこと①高松城って何がすごい?
こんにちは、ブラタモリ高松編で案内人を務めさせていただいた香川大学の西成と申します。
皆さま、番組は楽しんでいただけたでしょうか?
私自身は案内人の一人にも関わらず、最後のほうは感動の嵐でウルっときてしまいました。(笑)
さて、ここではnoteを活用させていただき、番組内では紹介できなかった、よりディープな海城町(うみじろまち)・高松の魅力を連載形式で紹介していきたいと思います。
まず最初に紹介していきたいテーマは「高松城って何がすごい?」です。
何点かあるのですが、まずは入門編としてわかりやすいところから紹介していきたいと思います!
天守の高さがすごい!
お堀がすごい!
海ー城ー町の配置がすごい!
①天守の高さがすごい!
こちらの写真は番組内でも紹介されましたが、1882年(明治15年)にイギリスの地理学者であるヘンリー・ギルマールによって撮影された高松城天守の写真です。
この写真が撮影された2年後、1884年(明治17年)に高松城天守は破却されることとなります。
なぜこれほどの歴史的建造物を壊す必要があるの?と思われる方もいらっしゃると思います。
さて、なぜなんでしょうか?
現代から考えればとてももったいないことをしてしまったと言えるかもしれませんが、時は江戸から明治に移り、明治政府にとって旧政権である江戸時代の城郭は軍事上危険なものとみなされていました。
1873年(明治6年)、明治政府は日本全国に廃城令を通達し、一部の天守を除き、その他多くの天守や城郭建造物は取壊し、または売却されることとなりました。
高松城天守は老朽化を理由に取り壊され、1920年(昭和5年)に松平頼重を祀った玉藻廟が建立されました。
その後、2006年天守台石垣の解体修復工事に伴い、玉藻廟はすべて解体され、現在に至っています。
高松城天守が復元されたとすれば
さて、明治17年までは確かにここに存在した高松城の天守、一体どんな天守だったのでしょうか。
そして、その高さはどのくらいの高さで、全国の天守と比較すると、どのぐらいの位置にあるのでしょうか?
まずは結論からお見せしたいと思います。
(ほんとは番組本編で使用していただきたかった…笑)以下の図をご覧ください。
なんと、高松城の天守の高さは26.6m、図で示しているように、広島城天守と並ぶ高さとなり、現存・復元・復興天守のなかでは、全国8位という天守の高さ(※しゃちほこ除く)となるのです!
奇しくも広島城と肩を並べる天守の高さとなりましたが、高松城が復元・復興されたとすれば、中四国最大の天守の高さであることをうたって問題ないかと思います…!
なお、天守台も含めた高さでいえば、広島城39m(建物26.6m+天守台12.4m)、高松城39.6m(建物26.6m+天守台13m)となり、こちらもほぼ規模は変わらないと言えますが、若干、高松城のほうが高い結果となっております。
(広島の皆様、細かいことを言って申し訳ありません<(_ _)>)
現在の都市規模から考えると、中四国地方をみても、広島市119万人、岡山市72万人、松山市50万人、高松市42万人と、高松の都市規模は中四国のなかでも決して大きくはない規模です。
しかし、天守の高さという点からいえば、高松城天守は中四国最大の高さであり、かつ、復元されたとすれば全国TOP10に入る高さとなるんです!
そんな大きな天守が、ここ高松にあったんですね…(感動)
以下、高松市の天守復元に向けた取り組みや、NPO高松城の復元を進める市民の会の活動にもぜひご関心を寄せてください。
②お堀がすごい!
続いて、お堀の話に移りたいと思いますが、皆さん、じつは現在の高松城のお堀に、日本で唯一といえる、ある特徴があるのです。
さて、それは何だと思いますか?
正解は、「堀の水が海水100%である」という特徴です。
これはどういうことかというと、日本各地にある海城のなかで、以前は海と直接つながり、「堀の水が海水100%」という状態はむしろ一般的であったと考えられます。
しかし、その他多くの海城は城郭周辺が埋め立てられ(この話題については後日の投稿で深堀します!)、城から海は遠く離れることとなり、結果的に「堀の水が海水100%」という状態をキープできなくなっていったのです。
つまり、高松城のお堀には外部の河川や水路からの流入はなく、全て、瀬戸内海からの海水が流出入しており、それが現代でもキープできているのは高松城のみといえるのです!
(他地区の海城関係者の皆さま、うちのお城は海水100%だぞ、という事実がありましたら、ご一報いただけると幸いです…。)
ちなみに、高松城と同様、日本三大水城として有名な今治城とも比較してみたいと思います。
さすが三大水城に選ばれるだけあり、今治城は現代でも高松城に次ぐぐらい城と海の近さを誇っていますが、今治城の堀内には豊富な湧水が湧き出ている箇所があるようで、正確にいえば「堀の水が海水100%」とはいえず、「真水が混ざる汽水」であるといえるのです。
なお、今治城のお堀には、この汽水域で育つ魚が多く生息していますが、なかには淡水魚のメダカも生息しているようです。
今治城では、こうした淡水魚も生息しているお堀として、その魅力を発信されているようでして、海城同志、魅力発信をそれぞれ工夫していきましょう!<(_ _)>
さて、ここまでご紹介してきた高松城のお堀ですが、この「堀の水が海水100%」という状態をキープできているのは、明治後期につくられた海とお堀をつなぐ水門のおかげなのです。
また、この水門のおかげで、お堀にあるうれしい現象が起こっているのですが、果たしてそれはどんな現象なのでしょうか?
ここから先は、次の投稿で紹介していきたいので、ぜひ皆さんもどんな現象か考えてみてほしいと思います!
以上、一回目の投稿となりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
読んでいただいた方々はどんな感想をもたれたでしょうか?
(一回目のわりにはちょっと長すぎましたかね…(;^_^A)
よければ、一言でも反応をいただけると嬉しいです!
あとがき
ブラタモリ高松編の内容を検討するうえで、私自身、これまでたどり着けなかった(というよりも、番組内容を検討する機会がなければ、そこまで多くの疑問が湧いてこなかった)城と町と地形とのただならぬ関係について、より深く分析を進めることができました。
このnoteでの連載を通じて、少しずつご紹介していきたいと思いますが、先にこれからお話していきたいポイントをまとめると、以下のような内容になるかと思います。
そもそもなぜ高松に巨大な海城がつくられたのか?
日本の海城のなかで、高松城がもつ唯一の特徴とは?
井戸だけではない高松の特殊な扇状地が生み出したものとは?
投稿を進めるごとに、よりディープに、より楽しく、海城町・高松の魅力をお伝えしたいと思うので、ぜひフォローしていただけると嬉しいです!
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