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Feel different! 断章e「けものたちは数えない」【無名性とは何か】

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Feel different!のシリーズではないが、上の記事の流れも含めつつ、今回の記事を記す。

0 ジェイラボへようこそ

今回は「数」の話をしたい。

そのために、僕が運営している謎のコミュニティ『J LAB(ジェイラボ)』の話をしよう。

サイトを訪れると

J LAB(ジェイラボ)は、東大/京大/医学部受験指導のプロ、そして、新しい価値観を追求するNISHIMURA Motoi が情報発信の核となる、全ての「無名人」のためのオンライン「学び」コミュニティです。

という、よくわからないコピーが待ち受けている。

「新しい価値観を追求」というのもよくわからないだろうと思うが、それはいまはいい。そう、それよりも「無名人」という全くもって謎な表現について、以前からちょくちょく使ってはいたのだが、遂にきちんと話をしようと思う。

まず、自身でも運営している以上、オンラインコミュニティ(サロン)についてある程度の持論をお話しせねばならないだろう。

普通、オンラインサロンは「有名人(目立った実績のある人)」が運営するものである。むしろ、「有名人」でなくては成り立たない。「無名の人間」(目立った実績のない人)が運営するオンラインサロンなど、はっきり言って、あやし過ぎてたまったものではない。

オンラインサロン自体に否定的な人も多いが、肯定的な人であっても、上のような考えの人は多い。なるほど、そうなのだろう。しかし、その「理屈」を掘り下げて考えてみたことがあるだろうか。

そもそも「あやしい」とは何だろうか。

1 あやしいサロン

あやしいとは人間の信用に関わる「印象」の問題である。言っていることとやっていることにズレがある。信用できない。その印象があやしさを生み出す。

オンラインサロンという形式は、本来は「有名人」が旨味を味わう(潜在的な収益を顕在化させる)ためのシステムである。それゆえ、無名の人間がオンラインサロンを運営しようと思うと、ある種の「有名人的振舞い」をトレースすることを余儀なくされる。

そして、無名な人間が有名人的振舞いをしようと思うと、どうなるか。有名と無名のギャップを代替物で埋めねばならなくなる。埋めるとはどういうことか。何らかの代替エネルギーでユーザーを引き付けねばならないということである。エネルギー?

欲望である。

多くの場合、それはお金を対象としたものであるが、お金ではないこともある。有名でない、つまり「名前」に力がない(大衆に対する単純接触回数が足りない)なら、名前以外で引っ張る(釣る)しかない。その時に、ソーシャルメディアのような浅い接触空間で人を引っ張るには、とにかく「わかりやすい」エネルギーが必要になる。

「名前(認識のシェア)」の次の欲望の対象として最も有力なものが「お金」であることは、ほとんどの方に認めてもらえるだろう。その次は「ポルノ」だろうか。ビジネスにはならないだろうが「正義感」なども、一応エネルギーには成り得るはずだ。

「お金が儲かる」と言われれば、多くの人間が釣られるのは道理である。しかし、本当に、誰でも彼でも皆がそんな簡単にお金儲けなどできるのだろうか。そもそも、お金儲けそれ自体は誰もが幸せになれる(幸せの総量が増加する)持続的な行ないではない。特に、価値の創出を伴わないただの情報流通においては、誰かがお金を得る裏で必ず誰かがお金を失うことは確定している。ビジネス情報系の無名サロンだと、お金儲けが活動目的である限り、その周辺では不幸な人間の生産が起こることは確定しているということである。もちろん、お金儲け以外が活動目的ならそうはならないこともあるだろうが、無名の人間がお金儲けを主目的としない活動を行なうのは(僕もやっているが)実質不可能と言えるほど困難である。

有名人ならどうだろう。有名人とは、特定のある文脈において「大衆に対して単純接触回数を十分に稼いだ」もののことであり、自身の情報自体に一定の付加価値(ポジティブなものとは限らないが)を認められた者のことである。つまり、「十分に」有名な者は既に「有名(認識のシェア)」というエネルギー(欲望の対象)を獲得しているので、基本的には有名であること以外の要素で「釣る」必要がない。名前自体が「共有したい」という欲望の対象として成立しているからである。もちろん、より「多く」を求めるなら更なる釣りは有効なのだろうが、必須条件ではない。何より、ビジネスサロンと違って、基本的にはユーザーはお金儲けのために集まるわけではないので、ユーザーが騙されて(情報の非対称性に無自覚で)不幸に堕ちてゆくということはない。自らの意志で好き好んで「名前」に「支払って」いるだけである。

わかるだろうか。

そのようなオンラインサロンの文脈で、名前を持たない無名な人間が有名人のように振舞うためには、どこかの段階で、「自分を盛って」「対価で釣る」必要性が必ず出てくる。

だから、言っていることとやっていることにズレが生まれ、「無名な人間が運営するオンラインサロンなどあやし過ぎて信用できない」という文脈ができあがるのだ。

しかし、それは無名な人間が「有名人のように」振舞おうなどとするから起きる現象である。

僕はここに大きな疑問を持っている。

ちなみに、「有名人のように」振舞った結果、実際に「有名になった」者は、その後は主催者がただ旨味を味わうという本来のオンラインサロンの形式に成り上がる。おめでとう。

2 無名性という概念

僕は、数年前にジェイラボのコミュニティ運営を試し始めた当初から、「無名性」というわけのわからない用語(概念)をコミュ内でも時々使っていたが、メンバーからはほぼ何の反応もなかった笑 ほとんどの方は意味不明に感じていたことと思う。今も、もちろん、何の反応も得ていない笑 だから、こうしてそろそろ説明を試みようとしている。ちなみに、「匿名」と「無名」は全く別物である。「匿名」とは『名前を隠している』というれっきとした「名前(ラベル)」である。名前が無いわけでは全くない。

僕は、以前からずっと

無名な人間が無名なまま活動する

ことを強く肯定したいと考え、主張し続けてきた。その感覚に「無名性」という名前を付けている。

無名な人間には、多くの人間を引き付けるような特別な「数の引力」があるわけではない。多くの無名な人間は、数に憧れ、数を求め、自分も「有名人然」として振舞おうとする。

僕はそれをやめて欲しいと願っている。

無名な人間であっても、無名なりの平凡な価値は生み出せる。それをある程度の規模感で共有することができれば、「平凡な価値のちょっとしたまとまり」くらいは作れるだろう。

無名なりの平凡な価値の積み重ねに集中する。

それが無名人として生きるということである。メリットは、無名な人間が無名なりの自身のナマの価値と真摯に向き合えることである。有名を目指す「ポピュリズム」に染まってしまうと、「数の暴力」に心を強姦されてしまい、視野を奪われるため、ナマの自分と向き合うことが難しくなる。「需要と供給」というフィクションをそのまま受け入れて、「自分自身」の商品化(外部化)を承認してしまい、自己評価を外部の数字に直結してそのまま同期してしまう。つまり、「自分」がシステムに上書きされ消えてしまうということである。無名人として生きるデメリットは、僕には共感はないが、「数」を無視するため、資本主義的な「数への憧れ(欲望)」が満たされないことだろう。

僕は一応ソーシャルメディア上でささやかな活動をしているが、YouTubeのチャンネル登録者数がせいぜい7,000人弱である。ほとんどのYouTuberはチャンネル登録者を増やすことに全力を注ぐが、僕はそれどころか、定期的に視聴者厳選(視聴者減らし)すら続けてきた。これも念を押しておくが、何も崇高な目的のために身を犠牲にしているわけでは、全くない。情弱の(再)生産に自分は加担したくない。それが偽らざる自分の「心からの欲求」だっただけだ。ポルノ的な動機で大衆から自分への動線を作る「教育系YouTube」活動、そんな情弱牧場の運営に手を染めることは、逆にそのまま自分の「未来」を壊すという強い確信がずっとあった。

ところで、「未来」とは何だろうか。

3 未来

札束を握りしめて「数えて」いても「未来」にたどり着くことはできない。これも以前から言っていることだが、もう、この際である、もっとはっきりと誰にでもわかるように過激に宣言しておこう。「未来」にたどり着くには、残念ながら「札束は投げ捨てねばならない」とすら感じている。何故か。

お金とは、固定された「過去」だからである。

お金とは「成功」に対する報酬である。当たり前すぎることだが、「成功」とは「成功した」の意味であり「成功する」の意味ではない。言われてみれば当然と思うかもしれないが、正直なところ、この事実を日常的に意識できている人は、もしかしたらこの世に一人もいないのではないかとすら、僕には感じられる。過去成功した者が未来また成功する保証はどこにもない。なのに、過去の個人的成功こそが未来を切り拓くかのように感じるのは、我々がある程度の線形性(予測性)を保つようにデザインされた人工的な社会システムで暮らしているからだ。しかし、勘違いしてはいけない。その「システム」は確実に誰かが管理している「作られたもの」である。自然物ではない。その「システム」内では過去の成功が未来を決めすぎている。確かに実績は大切だが、行き過ぎた実績主義こそが金融主義となり、理論的に既得権益を野放しにする。

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