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人生で起きることにはきっと全て意味がある

今日は新幹線の「S-Workシート」を予約し、名古屋から東京へ向かう移動中に記事を書いています。周りの方たちもカタカタとPCを触っているので集中できます。

「S-Workシート」とは、モバイル端末などを気兼ねなく使用して仕事を進めたい方向けの新幹線車両。気になる方はこちらの記事を読んでみてください。


他の方のnote記事で「今年やりたいこと」として書かれていて気になり、早速次の日には予約した自分の行動力よ。
ちなみに私の新しい経験のきっかけとなった記事はこちらです。


さて、本日は学生時代を振り返ろうかなと。
今でこそ、いろんなことにとにかく挑戦してみよう!と刺激ある充実した日々を送っているのですが、子供のころはとにかく親を喜ばせるために自分の気持ちは二の次。一生懸命いい子ちゃんを演じて生きてきました。

そんな私が、学生時代どんな経験をして今の私が形作られていったのか。

少しの時間、私の学生時代を覗きに行く小旅行にお付き合いいただけますと幸いです。


小・中学校時代

私は長女として富山県で育ちました。
妹は小さいころからわがままでいつもお母さんを困らせている印象でした。その様子を見て、「私はお姉ちゃん。いい子でいなければいけない。」と小さいながらに思っていたのでしょう。私は反抗期が無く育てやすかったと母にも言われました。

小・中学校では
勉強を真面目にしていつも成績上位、
部活でも経験者ばかりの中未経験の私が評価されて副部長に任命され、
先生からも頼み込まれて生徒会長をやる。

自分で言うのもなんですが、本当に絵にかいたような優等生でした。
私の根っからの真面目な性格は、この時代に形成されていったのでしょう。

父や母が私の事を自慢気に親戚などに話す様子を見ると、自分を肯定されている気がしてうれしくて。きっと全然いい子ちゃんではなくても変わり無くたっぷり愛情を注いで愛してくれる親だとは分かっています。でも、やっぱりずっと認められていたかった。自慢の娘でいたかった。

高校時代

そして真面目に優等生として小中学生を過ごしてきた私は、見事地元でも進学校として知られている高校へ入学しました。そのためより、今までに増して「やっぱりさすがだね」と言われることが増えました。

ただ、進学校なだけあり周りは優秀な人ばかり。
自分は全然すごくない。もっとすごい人がいっぱいいる。

とても打ちのめされた気分でした。

勉強は学校の中で言うと中盤より下くらいに落ち、なんだか勉強が楽しくなくなりました。
その代わりに打ち込んでいたのが部活。

実は小学校の時に1年だけバスケをやっていて。
高校でもバスケまた再開しようかな。と部活見学に行ったんです。
すると、ここでも周りは上手な人ばかり。ああ、自分には無理だ。中学で習字を習っていたので書道部にでも入ろう。
と入部届を書道部で出しました。

その時、

「〇〇さん!バスケ部に入ってください!!一緒にバスケしましょう!!」

と、先日バスケ部の体験で一緒にバスケしていた新入生たちが書道部に押しかけて私の事を引き抜きに来てくれたのです。

なんだか私を肯定してくれる場所を見つけた気がしてうれしくて。
結局バスケ部に入ることになりました。

みんなとの実力差が大きかった分、毎朝5時半に起きて始発電車に乗り、体育館でランニングしたりシュート練習をしたり。とにかく追いつきたくて必死でした。

そして身長が一番大きかった私は”センター”としてだんだんと試合に出れるようになり、高校の部活でも副部長に任命してもらえました。

努力は絶対に裏切らない。

中学、高校と過ごしてきた経験が裏付けてくれたこと。
努力していれば何かしら引っかかるところがある。見てくれている人がいると。

大学受験と

実は大学は、前期は隣の県で家からも比較的近い大学を受けたのですが、落ちました。
そこで後期で受かった大学が奈良にある大学。
前期に落ちたときはとっても泣きました。
受ける前、先生から私の実力では少し難しいと言われたけど挑戦した大学。やらないで後悔するくらいならやって後悔したい。そう思って見事に砕けました。

でもそこで母に言われた言葉を今でも忘れません。

これから起きることには全部意味がある。きっと落ちたことも、後で振り返ったときにこれからの人生で必要なことだった、これでよかったと思える日がくるよ。

この言葉はいつも私の心にあります。
本当にその通りで。

この時落ちていなかったら、奈良の大学に行っていなかったら。
そう思うとぞっとします。

大学時代にたくさんの人と出会い、この時代に奈良で出会った人たちとのつながりが一番続いています。今日、はるばる千葉へ会いに行く人達もその一人。

落ちていなかったらその人たちとの出会いが無かったかもしれない。
落ちていなかったら地元だけの狭い世界で生きることしかできなかったかもしれない。
落ちていなかったら、今の旦那にも出会えていなかったかもしれない。

人生すべて起きることには意味がある。

そう思ってからは、私の人生の中で大きく後悔した出来事は無いかもしれません。落ち込むこと、こうしておけばよかったと思うこと、たくさんあります。でも、それにはすべて意味がある。
人生はまだまだ長い。その中のたった一部なんです。これからどうにでもなる。

きっとみんな落ち着くところに落ち着くのでしょう。

就職活動

大学時代を奈良で過ごし、親からはやっぱり地元に帰ってきて欲しい。公務員になったら?
と言われ、言われるがままに公務員になるべく、大学の学費に加えて高い授業料を払って国家試験の勉強に励んでいました。

そして国家公務員のインターンとして、地元に帰り数週間実際の職務を経験した結果。

「ワクワクしない。毎日この仕事を続けていくのはなんか違う。」

そう違和感を抱きました。公務員だから安定はしているし、母もそれを望んでいる。

だけど、なんだかこの違和感を放っておいてはいけない気がして。

そこからはいろんな一般の企業を見て、自分のやりたいことがだんだん明確になっていきました。

自分の挑戦したい企業が固まったころ。

両親に自分の本当の気持ちを伝えました。
「地元を離れて、一般企業でいろんなことに挑戦していきたい。」

それはおそらく初めて、両親に対して自分の気持ちをぶつけた瞬間でした。

いままで反抗することなく言われた道を進んできた私が、そう強くやりたいことを訴えている姿に両親は驚いていました。

「自分がやりたいようにやりなさい」

私が手元を離れることはとっても寂しかったと思います。それでも、私のやりたいことを快く許してくれた両親に感謝しかありません。

その決断が自分の「やりたい」と言う気持ちを少しづつ見つけられるようになる本当に初めの一歩でした。


そして " いま "

社会人になってからのことは以前こちらの記事で書いていますので、もしよければぜひ。

今の私は幸せです。

自分の気持ちを優先して生きていけばこんなに心地良く生きていくことができるんだ。と身をもって感じています。

そして今日も、

あと少しでみんなに会える。
話したいことがたくさんあるな。
元気かな。
みんなの赤ちゃん早く見たいな。

と大学時代の友達に会えることにわくわくしながら電車に揺られています。

友達に会うために新幹線で一人旅する

少し前の私であれば考えられなかったことです。

電車の窓から差し込む太陽の光。
窓から見える青い空。
隣で楽しそうに会話している老夫婦。

全てがきらきらして見える。

今日も幸せ。
これからもきっと、もっと幸せ。

そろそろ友達の最寄りの駅に着きそうなのでここらへんで。

みなさまも良い連休となりますように。

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