大学だからできる!?紙の教科書使わない講義スタイルは小学生に向いているのか?
タイトル画像:机の上にノートPCとメモ帳とコーヒー、の写真
不思議だなー不思議だなーと思ってるんです。ええ、稲川淳二風に読んでいただいても構いません。
大学の自分の講義では、一切教科書を使いません。自作のスライドを当該講義の数日前に配布します。
小中学校に比べて、かなり概念的にも内容も複雑な話をしてるんですが、このスタイルでなんとかなる。
なぜだろう??
予習はむしろさせないで、講義時間に集中してもらいますので、このスタイルにしています。当然紙の教科書の持ち歩きは発生せず、ノートPC一台で何とかなります。
なぜこのスタイルが許されるのか。
理由を考えてみました。
①予習はしたくないよね
私が学生の時もそう。予習はしたくありません。実際しなかったし。
その代わり授業中に集中し、不明点はなるべくそこで解決してました。
つまり、大学生と小学生の目的意識の違い。決して安くはない授業料を払っている自覚は、年齢的な判断にプラスされればそれなりの行動のモチベーションになります。
②切り貼り編集自在
パワポとPDFの両方で配ってます。
講義内容の中で気付きや不明点は即座にメモできます。要領のいい学生はむしろ分散する教科書より、手元に全部の気づきが整理できるスタイルの方が効率がいい。
スライドは所詮他人が作ったものです。それをかなり簡単にカスタマイズできる。
前向きな人にとって、毎度カスタマイズしながら講義を受けられれば、インプットとアウトプットが隣同士にあって、かなり習得の度合いが高まります。
③過去スライドはいつでも参照可能
投下するのは直前ですが、過去のスライドは全て参照できます。復習したい人はいつでもどこでも。
また、こちらも講義の中で過去のスライドをすぐに出せる形にしてるので、数ヶ月後の伏線回収なども効果的に使ってます。
④受験に繋がらない
大学生の多くはその後に受験する人は少ない。
そのため、ふりかえり型の勉強の定量的なものは無い。
なのでこのスタイルが容認されているかも。
絶対に復習する、とは言い切れないから、いつでも参照できさえすれば許される。
⑤全員ノートPC
入学時に学校で使うマシンを全員購入してもらうシステムなので、全員同じ環境です。
ネットは自前ですが、これもリモート講義があることが前提なので、全員が使える。
さらにその活用ツールも全員アカウントを発行し、運用。
⑥何より便利
忘れる、ということがなく、データ的な再利用も簡単。カスタマイズの自由度も高い。
書いてみて気付いた「リテラシー」
これらの成立条件を並べてみると、物事の分別が付かない小学生にはまだまだ無理だなーと。
マシン利用のリテラシー
現在学生に持たせてるPCは普通にフルスペックでなんでもできます。
でも、何かをやるために集まってるので、それで悪さをすることはしません。
対して小学生。
ちょっと変なことができる子はクラスでマウントを取りやすく、脱線もエスカレートしやすい。何より歯止めがかけにくい。自分がそうでしたから。
ツールのリテラシー
連絡やサポート用のSlackの使い方も特に教えてませんが、どこに何を書き込むとどうなる、という仕組みは全員わかる。
こちらも小学生だとどうなるか。
ツールの運用は大人でも難しい。対面せずに意思を伝えられるツールは、かなりセンシティブに使う必要があります。
無頓着に、カオスなネットの外部に出られる仕組みを持つマシンをそのまま渡すのは愚の骨頂。
見えないと思って書いた悪口が友達関係を簡単に壊す、などの事故は簡単に起こり得ます。また、そんなつもりでは無い!系の取り違えも必ず。
この辺りがポイントか。
小学生にこの条件は当てはまるか
ここまで大学生を考えると、いくつか成立させるパーソナルな能力が見えます。
●目的意識
●抑止力
●リテラシー
これ、小学生全てにありますでしょうか?
間違いなくバラツキはかなりあります。
リテラシーは単にツールの操作方法だけではなく、影響範囲の把握など、経験が必要なところもあります。
結局のところ、同じ状況にしたければ、「完全にコントロールされた専用PC」と「いつでもデータにアクセスできる通信環境」と「利用する技術習得」が揃ってる必要があります。
今、小中学校ではこれができない状況だと認識してます。
紙が安全です、と自分では結論付けます。
というか、紙の教科書だって、授業のスタイルや進行の工夫でまだまだ効果上げられるやり方はあると思ってます。
ここまで小学生に教えた経験がない自分の妄想。ぜひ、現場の方とも意見交換をしたい。お気軽にコメントを。
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