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【ホラー小説】呪い殺されない方法【3/10】

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 例の女はサダコと名乗った。

 仲間由紀恵のヘアスタイルで、紙おむつ履いたあの幽霊のことではない。   
 あの霊が見える、という自称霊能者の女のことだ。

 たぶん、偽名だろう……まあそれでもいい。
 わたしたちはお互いのLINEを交換し……今度は違う 店で会った。

 場所は、お腹に溜まる食べ物を出しているビアホールだった。
 もちろんわたしは用心深いので……この店に来るのは、その 日がはじめてだ。

 店の中は広々としていて、各テーブルはそれなりに盛り上がっている。
 店員たちはみんな忙しそうだ。
 予想どおり、わたしたちが目立つ ことはないだろう。

 サダコは、少し遅れて店にやってきた。

「あれ、先客がご一緒だね」とサダコ。「ども! 元気? ……あれ……まだ首に絆創膏してる」

 相変わらず髪の色は真っ白で、目の周りは真っ黒だ。

「……目立つかな?」

「いや、けっこう似合ってるよ」

 ネズミ色とグリーンが複雑に絡み合った奇怪な色のパーカーを脱ぎながら、サダコが元気よく声を上げる。
 さっきサダコは、わたしに挨拶したのではなく、後ろにいる亡霊に挨拶したようだ。

「今日も後ろにいるのは……前とおんなじ女かな? ……ほら、仲間由紀恵スタイルの髪の……」

「いや、違うよ。今度の人は、かなり顔がマシ。前の人よりは……そんなに美人じゃなかったかも知れないけど……って……睨むなよ、あたしのこと。 恨むなら、このおっさんを恨めよ」

 サダコはわたしを指差した。

「どんな女かな?」

 当然わたしにも見えるが、もう一度サダコを試してみた。

「四〇歳くらいで天然パーマ。オバサンっぽいかなあ……あ、また睨んだ。睨むとやっぱ、すごい顔だねえ」サダコがテーブルにつきながら言う。「……あはは。このま まじゃあたしも呪われちゃうかな」

「何か飲む?」

「大ジョッキでビール」

 テーブルにはソーセージと、サワークラフトが並べられていたが、あくまで一人ぶんの分量だった。

「何か食べていい? お腹空いてんだ」

「ああ、好きなもの食べて」

 わたしはサダコのために生ビールを注文し、嬉しそうにメニューを眺める彼女を見ていた。
 しかしサダコは、わたしの後ろにいる亡霊のことを認識している。
 よほど神経が図太いか、もしくはわたしと同じタイプの人間なのか。

「でも、なんであんたに取り憑いてる幽霊はみんな、紙おむつ履いてんの? ……これまでいろんな幽霊、見てきたけど……紙おむつ履いてる幽霊なんて初めてだよ」

「それについてだけど……」わたしは煙草を咥えて、サダコにも一本差し出した。「君は、いつからそんなふうに……幽霊が見えるようになったわけ? …… 何か、どこかで修行かなんかしたわけ?」

「“修行”って……」煙草を受け取ったサダコが吹き出す。「別に山奥で滝に打たれても、幽霊が見えるようになるわけじゃないと思うよ。まあ、見えるようになる人も いるんだろうけど……あたしの場合は……そうだなあ……たぶん、遺伝じゃないかな。ホラ、あるじゃん……ハゲとか近視とか、そーいうの」

「ご両親のどちらかが、そうだったわけ?」

「ううん……おばあちゃんがそうだった」

「へえ」

「あ、すいませーん!」

 サダコがホール係を呼び止めて、ソーセージの盛り合わせと蒸し鶏のサラダを注文した。
 そして、またわたしの背後をちらっと見る。

「……どうしてる? ……おれの後ろの幽霊さんは」

「わめいてるよ。ものすごい勢いで、まくしたててる」

「何て言ってる?」

「『死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!』って、繰り返してる。もう、ケダモノじみた顔で」

「なんでおれには聞こえないのかな?」

「……あんたに聞く耳がないからだよ」

「センスの問題ってわけ?」

「それもあるけど……あんたが、そういうことを、まったく気にしない人間だからじゃない? ……たとえば、あんたは今、あたしと話してるけど、本気で話して るわけじゃないでしょ。いや、あたしから何かを聞き出そうとしてるかも知れないけど、あたしがどういうふうに感じて、どんな気持ちで話しているか、ってこ とは、あんた、まったく興味ないでしょ? ……そういう人は多いけど……あんた、その点はずば抜けてるよね」

「ほう」

 サダコは幽霊が見えるだけではなく、人間に対する洞察力も優れている。

「あんた、徹底的に自分のことしか考えてないでしょ」

「だから、呪われてるんだろうなあ」

「だよねえ。呪われる人はみんなそう。でも、そんな性格だから、呪われてたとしても……自分の身の回りが幽霊でいっぱいになったとしても……ほとんど気に しない。自分に何か、具体的な害がない限りは」

 サダコの大ジョッキがやってきた。
 むしゃぶりつくように、彼女は泡に口をつけ、一気に四分の一ほどを飲み干した。

「……ぷはあ……」泡のついた口元を拭わずに、サダコがわたしをじっと見る。「何かあったわけ? 幽霊に殺されそうになったとか? そんな感 じ?」

「そんな感じだよ」

「……オバサン、今もあんたの左の耳にぴったり口をつけて、『死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!』って繰り返してるよ……でも、オバサンは今のとこ ろ、あんたには何の害も与えてない。あんたに害を与えてるのは……別の幽霊ってことか。あの……この前の、紫色の舌の仲間由紀恵さん?」

「……いや、彼女じゃない……別のやつだよ」

「どんな奴?」

「もっと若いな……若い……女の子だ」

サ・イ・ア・ク」サダコがまた笑う。何もかもが彼女にしてみれば冗談の種だ。「殺る前に、ヤッちゃったとか?」

「心外だなあ……おれがそんな男に見えるかい?」

「だってあんたこの前、あたしをホテルに誘ったじゃん……ヤッてから、殺すつもりだったんでしょ?」

「社交辞令で言っただけだよ。殺すつもりの相手とセックスするなんて、変態のすることだよ」

「傷つくわー」サダコがケラケラと笑う。「殺すだけかよ」

 サダコの料理がやってきた。
 猛烈な勢いで、サダコがそれを貪り始める。

「君は、怖くないの?」

「誰が?」

「人殺しとこうして一緒に飲んでて、怖くないの?」

「べつに」

「君のこと、殺しちゃうかも知れないんだぜ? ……仮に、おれが人殺しだったとしたら、の話だけど……それなのに、やたらリラックスしてるよな、君。ひょっと して、おれ……君に信頼されてんのかな?」

「それはないな」サダコが笑う。「……別に、生きてたくないから。それって確か、最初に言ったよね」

「自殺すればいいじゃないか」

「そこまで積極的に死にたいわけでもないし」

「投げやりなんだな」

 サダコがフォークを投げ出して、口を紙ナプキンで拭った。

「うん。投げやりで、ありきたりでしょ……まあいいや……で、あたしに何の用? ……あんたを殺そうとしてる霊を、あたしに祓ってもらおうとか、そーいう安 易なこと考えてるわけ?」

「ムリかな?」

「え、マジでそうだったんだ……笑っちゃうね。そんな勝手、通んないでしょ? フツウ……だってあんた、人殺しなんでしょ? ……自分は好き勝手に人 を殺しといて、自分が幽霊に狙われたとなったら助かりたい、なんて、ちょっとムシがよすぎると思わない? そりゃ呪われるわな~……そんな自分勝手が通 ると思ってんだったら」

「いや、助かりたいね。悪人には生きる権利はないのかよ」

ないでしょ、普通」

 パクパクと料理を口に放り込むサダコ。
 この女を生かしておくどころか、この店の支払いを持つのさえ勿体ないように思えてきた。

「たのむよ……なんとかなんないかなあ……死にたくないんだよ。女房子供もいるしさあ」

「えっ、女房子供いるんだ、あんた」

 サダコが、大きく目を見開いた……本気で驚いたようだ。

「えっ……そんなに驚くことかい?」

 サダコの口に、また笑みが戻ってくる。

「幽霊よりずっとブキミだわ、あんた」

殺さないで!

 少女の顔は真っ青だった。

 もともと幽霊のように色の白い子だったが、死の恐怖を前にして蒼ざめたその顔は、さらに幽霊じみていて……実に美しかった。
 澄んだ美しい瞳に、今は涙が一杯に溜まり、水晶のように透き通っている。

 肩より少し長い髪。

 その艶やかさまで、怯えのせいでくすんでしまったように見えた。

 迫り来る死が、人間をどこまでも醜くすることもあれば、このように美しく輝かせることもある。
 わたしはその両方が好きだ。

 わたしは少女と、自分のハイエースの中にいた。

 ここは真っ暗な山奥の路肩。
 これまでに、わたしたちの車を追い越していった別の車両は一台もない。
 夜明けまでのんびりしていても、たぶん車が通ることはないだろう。

 わたしは命乞いを聞くのが好きだ。
 いつも、相手の命乞いをしっかり聞いてから殺すようにしている。
 その少女だって、最期は必死だった。

 小便を漏らすかも知れないが、わたしがすでに紙おむつを履かせていたので、車が汚れる心配はなかった。

 とても美しく、可憐な少女だった。

 しかし、ちょっと夜遊びがすぎたことが……
 いや、夜遊びが過ぎたことは別に彼女の失点ではない。

 夜遊びをする中学生の女の子は何も彼女だけではない……そんな日々を送っているうちに、わたしのような中年男を簡単に信用してしまったことが、彼女の失敗だった。 

 そして今、彼女はわたしにペーパーナイフで脅され、ミニスカートとブルーのショーツを脱ぎ、紙おむつを履いたところだ。

 こんなに美しい少女なのに、紙おむつを履いて死ぬ羽目になるとは。

 運命というものは本当に残酷だ。

「なんで? ……なんであたしを殺すの?」少女は泣き叫んだ。「……なんで? ……ヤらせてあげるつってんじゃん! ……お金もいらないっつってんじゃ ん! ……それでもダメなの? ……それでもあたしを殺すの?」

「ああ」わたしは言った。「殺す」

「なんで? ……あたしの親に電話したら、お金あげるよ? ……ミノシロキン、払うよ? ケーサツにも言わないよ? ……それでもあたしのこと、殺すんだ? …… なんで? なんで殺さなきゃなんないの?」

殺したいから」

「殺すだけが目的なわけ? ……セックスしたいとか、お金ほしいとか、そういうのはないわけ? ……つまりあんた、頭おかしいわけ?」

「セックスのほうは、奥さんがいるしなあ……そういう方面で奥さんを裏切りたくはないし…………あとカネかあ……カネなあ……うん、確かにほしいけど、 お金はそれなりに稼いでんだよなあ……自分と家族を食わせていけるくらいには……それに、君のご両親から身代金を取るって、それって営利誘拐だよねえ…… そんな大それたこと、おれ、向いてないんだよね」

「……お、奥さんがいるの?」

「ああ」

「こ……子供は?」

「ああ、いるよ……」できるだけ、面倒くさがらずにいろんなことを話してやることが、死にゆく者への心ばかりの礼儀というものだ。「君と同じくらいの中学生の男の子がね」

「そ、そ、そんな……」愕然とする少女。「子供がいるんでしょ? ……あたしと、同じくらいの子供が? ……それなのに……それなのに、意味もな くあたしを殺すわけ? ……自分の子供と同じくらいの歳の子供だよ? ……ぜんぜん気にならないの?」

「さっきは君……『あたしはガキじゃない』つってたじゃないか」これには呆れた。「さっきは十八歳だ、って自己申告しただろ? ……言ってることがメチャク チャだよ……君、俺とセックスして、カネをせしめるつもりだったんだろ? やってることは、確かにガキじゃないよなあ」

 自分が恐ろしく薄っぺらで道徳的なことを言っている気がして、少し吐き気がした。
 この発言は今も後悔している。

「あ、あんたの子供が……あんたの子供が……同じ目に遭ったら、とか……あんたそんなふうに考えたことないの……?」

「君の親御さんはどう思うかなあ……どうだと思う?」わたしは震える少女の頬に触れた。「……やっぱり悲しむかな? 悲しむだろうな あ……もし、自分の娘が殺された、と思ったら」

「………………」

 少女は何も言わない。ただ震えてわたしを見ている。
 そこで、わたしは一息ついて、少女に笑いかけた。

「でもどうだろう? ……おれは、君の死体をちゃんと見つからないように処分する。ああ、半永久的に見つからな いくらいに……となると、だな……君が『殺された』って可能性は、ご両親の心配の中でもだいぶ低くなる。『行方不明』ってことになるんじゃないかな? ……まあ、殺されたんじゃないか、って心配はするだろうけど……そういうとき、親ってもんは、『どこかで娘がまだ生きてるんじゃないか』って一縷の望 みにすがり続けるもんだよ。だから、おれに任せておけば、ご両親の心配は、多少、軽減される……どうだい? さすがに一人の子の親だけあって、親心っ てもんがわかってるだろ? ……おれの息子が突然いなくなったら……おれはたぶん、息子はきっとどこかで生きている、って願い続けて、その望みに頼り続ける よ………たぶん」

「……………」

 少女は目を見開いてわたしの顔を見ているだけ。

「君、さっき言ってたよねえ? ……ご両親とそりがあわなくて、しょっちゅう家を飛び出しては友達の家を泊り歩いたり、おれみたいな男に声かけて、セックス で宿を得てるって……いやあ、立派だよ。ホントに立派だ……皮肉で言ってるんじゃない……ほんとうに君は、自立していて、自由な人間だ。そこは尊敬してる……それに、そんな子だったら、ご両親が捜索願を出すのも、警察が君の失踪に関して事件性を感じ、本格的に動き出すのも……かなり時間がかかるだろうな あ……その頃には、おれはたぶん、別の人間を殺してるよ。君は自分に正直に生きた……すばらしい人生だったろ? ……おれはこれからも君のぶんも……すばら しい人生を生きるよ」

「な……」少女の目からひとしずく、涙がこぼれた。「なに言ってんの?」

「死にたくないの?」

 わたしはわざと、意地悪に聞いた。

「あたり前でしょ? あたし、まだ十五だよ? ……死にたくないに決まってるでしょ?」

「でも……ほんの一時間ほど前は……“もう死にたい”って言ってたじゃないか……家族も、学校も、友達も、もうなにもかもウンザリで死にたい、って君が自分で言ったんだよ? ……で、これから、望み通りに死ねるんだよ? ……おれに感謝してくんなきゃ……」

「人でなしっ! ……悪魔っ!

 少女が叫ぶ。
 ゾクゾクするほど素晴らしい響きだ。

「じゃあ、そろそろ殺すけど……ほかに何か、言い残すこととかないかな?」

 しばらくの沈黙があった。
 少女はとても大人しくなり、結局、涙もひとしずくこぼしただけだった。

 わたしたちはしばらく、車内灯をつけた薄暗い空間で見つめ合っていた。

「……さっさとやれば? なに言っても殺すんでしょ? なにしても殺すんでしょ?」

「ああ。でも、まだ命乞いとかしてもいいんだよ。誰も聞いてないし、おれは誰にも言わないし」

「さっさと殺れよ」

 少女はぴしゃりと言った。

 仕方ない……もう少し命乞いを聞きたかったが、観念してしまった相手を、もう一度怖がらせるのは至難の業だから。
 わたしは某有名雑貨チェーンで買った 手術用の薄いラバーのゴム手袋を嵌めると、百円ショップで買ったタオルを取った。

「……それで絞め殺すの?」

「いや、違う。これで君の首を優しく包んで、ゆっくり手で絞め殺す。跡が残らないようにするからね……ほら、頭をかがめて」

 少女は大人しくうつむき、わたしがタオルを首にかけるままにした。
 まるで死刑執行人に首を差し出す死刑囚みたいに。

 そして、垂れた髪の奥から、透き通った大きな目でわたしを見上げる。

「……………」

 黒目が真っ黒だった。
 その目に、はっきりとわたしの顔が映っている。

「……すごいな。そんな目で見られると、おれ怖くなっちゃうよ」

「……怖い?」

 ……怖くないこともなかった。
 その黒目は、漆黒の闇だ。

 闇自体は恐ろしくない(むしろ落ち着く)が、闇のような黒目は異様であり、それにじろっと見上げられると、さすがにぞっとする。

「怖いな……ぞっとするよ」

「そう」

 少女が笑った。
 これまた、薄気味悪くてぞっとした。

 わたしは少女の首にタオルを巻いてしまうと、子供を寝かしつけるようにベンチシートに彼女をやさしく押し倒した。

 少女は素直に従った。今にも、“おやすみ”とでも言いそうな様子で。

「さて………」

 タオルの上から少女の首に手を添えて、力を込めようとしたときだった。

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 いきなり、少女が笑い出した。
 思わず、手を引っ込めてしまう。

「ど……どうしたんだ?」

「あっはっはっはっはっはっはっははははははははははははははは!」

「……おいおい、何だっての? ……そんなにウケるか?」

呪ってやる!」少女が叫んだ。「あんたを、呪ってやる! ぜったい、ぜったいにあんたのとこに戻ってくるよ! あんたを、呪い殺してやる!」

 少女が歯を剥き出しにしている。
 歯並びの美しい子だった。

 ぞろりと並んだ歯は真っ白で、ピアノの鍵盤のようにも見える。
 美しい少女が、そうして猿のように歯を剥きだしている様は滑稽だ。

 携帯カメラで撮影しておきたいくらいだ……

 つまらない証拠を残すことになるので、実際にはしないが。

「……そうかい」

 あいにく、呪われることには慣れている。

「あっはっはっはっはっはっはっ! ……あんた、絶対、小便チビってあたしに命乞いするよ! ……ぜったい、あんた、あたしに命乞いするよ! ……あっ はっはっはっはっはっはっ! あっはっはっはっはっはっはっ!あっはっはっはっはっはっ………はははははは!」

 笑いが止まないので、わたしは手に力を込めた。
 とりあえず笑い声は止んだ。

 少女はしばらく手足をばたばたさせたが、それもやがて止んで、車内は静かになった。

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