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セルジュの舌/あるいは、寝取られた街【12/13】

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「う、うそだろ……そ、そんなバカな…………」

 暗闇に目が慣れてくるにしたがって、セルジュの舌の様子が見えてくる。

 自分のへその上、20センチほど上空に、油じみたヒゲまみれの顎の存在を感じる。
 そのいかつい顎が少し開き、ガサガサに荒れた唇から、それが覗いていた。

 いや、覗いていたのではなく、だらりと垂れ下がっていた。

 人間の舌の長さではない。

 そのいかつい顎の下……のどぼとけくらいの位置まで、赤黒い腐肉のような色をした、太く長い舌が垂れさがっている。

(こ……これは悪い夢だ……こんなこと、絶対にありえないっ……)

 理性によって目の前の現実から逃避しようとする恵介。
 母が恵介に囁く。

「……け、恵介、じっとしてるのよ……これから、セルジュがすっごく気持ちよくしてくれるからね……そうしたら、何もかも忘れて…………楽になれるわよ……お母さんの言うことを信じて、ね」

 自分の両腕を頭の上で押さえつけている母が何を言っているのか、よくわからない。
 いやもう、恵介には……理解する気すらない。

 セルジュが顔を寄せてくる。
 しゅう、しゅうと獣じみた鼻息を立てながら。

 へそのあたりにその先端を乗せていたセルジュの舌が、べろり、と恵介の平らな腹を撫で、鳩尾を舐め上げる。

「んっ……んんっ!」

 舌は長く伸び、まるで独立した意志を持った生き物のように動いた。
 
 長太い舌の先端が、“きゅっ”と細くなる。
 先を尖らせた舌が、ぬるぬると恵介の胸の上を這う。

 最初に舐められたのは、左乳首だった。
 その熱く尖った舌先が、チロチロと左の乳首を転がす。

 そのまま舌先は右の乳首に歩くように移動して……左乳首と同じように右乳首を弄んだ。

 セルジュの頭が近づいてきたことで、息が詰まりそうなほどの獣臭が恵介の鼻腔を襲う……
 が、それに不快を示している場合ではない。

 いま自分は、あの悪名高いセルジュの舌に……身体を嬲り回されようとしているの。
 そうこうしている間に、舌が首筋に吸い付き、這い回ってくる。

「んっ……くっ……!」

 その先端には、吸盤でもあるのだろうか。
 恵介の首筋を、小さな唇に強く吸われたような感覚が襲う。

 顔を背けてもムダだった。

 背けたために晒した首筋が、舌先でくすぐられ、吸われる。

 次に右の耳の穴を、その次に左の耳たぶを……そして……

(……え、ええっ? …………う、ウソだろ? …………)

 自らの身体を襲うおぞましい感覚以上に、不気味なことが起こったことに気づく。
 

 じゅるり、と音を立てながら、セルジュの舌が恵介の首を一周した。

 確かに恵介の首は、少女のように細い。

 が、それにしても……人間の舌が人の首周りを一周できるわけがない。
 ぎゅっ、と恵介の首をセルジュの舌が絞める。

「うっ……くっ……ううううっ!」

 呼吸を止められ、恵介はあがいた。

 セルジュの顔は胸の上にある。

 あの類人猿を思わせるあの巨大な顎を恵介の胸板に載せ、ひさしのように飛び出した額の奥の、洞窟のような瞳から……恵介の表情を伺っている。

 セルジュは長い、長い、長い舌を出しながら、ニヤニヤと笑っていた。
 恵介の苦しむ様が、楽しくてたまらないように。

 しばらく恵介の首を絞めた後、両方の鎖骨のくぼみを丁寧に舐め、セルジュの舌が首から遠ざかっていく。

 天井に顔をあげるセルジュのシルエット。

「う、うそだ…………そ、そんなっ…………」

 セルジュが頭を回し、自分の舌を振り回していた。
 まるでアスリートがハンマーを回すように。

 半径1mを雄に越える半径で、天井に添えつけられた扇風機のように、セルジュの舌が唸りを上げている。
 

 ブゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーン……ブゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーン……と音を立てて。

(あ、ありえないっ……違う……や、やっぱりこいつは……に、人間じゃないっ……!)

 
 そうしてしばらく舌を振り回していたセルジュは、巻き取り式のメジャーが巻尺を巻き取るように、自らの舌を吸い込んだ。

 じゅるじゅるじゅるっ……といやな音を立てながら。 

 ……嘘じゃない。

 舌はまるで夜店で買える吹き戻し笛のように……
 まるでカメレオンの舌のように、内側に丸まってセルジュの口内に収まった。

「ほレ、恵介、四つん這いに なれ"や ……なア、オカン も、手伝う たってんか……」

「あっ、い……やだっ……絶対にいやだっ!」

 暴れて抵抗しようとしたら、セルジュにごろりと身体を裏返され、尻を持ち上げられた。
 前に回った母が、恵介の両手首を床に押し付けてくる。

 恵介は残酷な鞭打ちを受ける罪人のような姿勢で、床に這わされた。

「だ、だいじょうぶだからね、恵介……痛くないから……ちょっと恥ずかしいだけで、気持ちいいだけなんだから」

 母は真剣な顔で、そう言って恵介を落ち着かせようとする。
 

 なんだこれ?
 意味わかんねえ。

 なんなんだ?
 ……なんでおれが、こんな目に遭わなきゃなんないんだ?

 和男もそう思っただろう。
 セルジュから、同じような仕打ちを受けたのだろう。

 和男だけじゃない。

 担任の江藤先生も、それ以外のたくさんの人間も……

 セルジュに何かを奪われたものは、みんな、こんな思いだったに違いない。
 和男の父も、自分の父も……町中の男たちも。
 

 這わされ、尻を突き出す格好になっている恵介の腰に、セルジュの舌が「びたっ」と落ちてきた。

 それはヌメヌメとナメクジのように這い出し、くるり、と恵介の細い腰を一周した。

(ありえない……こんなの絶対ありえない……)

 だが、恵介が体験しているのは現実で、この先に待っているのは残酷な運命だ。

 舌先はさらに伸びて、下腹のほうへと這っていく……。

(……そ、そんな……そんなバカなっ……)

 一体、この舌は何メートルあるんだろう? 
 どう考えても、現実にはありえないことだ。

 やはりこれは……悪い夢かなにかなのだろうか?

 

 下腹に回ってきていた舌先が、恵介の秘所の根元に、くるくると巻きついてきた。
 そして……ぎゅっ、と締め上げる。 

「うううっ……!」
 
 和男の言葉を思い出す。

“セルジュの舌は……巻き付いてくるんだよ!”

(……ああ、和男)と恵介は思った。(おまえはおかしくなってたんじゃなかった……ぜんぶ、ほんとだったんだな)

 根元をしっかりと締め付けたまま、舌が本体にも巻きついてくる。

 何重にも絡みついた舌が、ぬめぬめと動き、締め上げてきた。
 少年の肉体は、もうすっかり望まない反応を見せている。
 

「ぐっ……く、くうううっ………………ん、んんんんっ!」

 さらに舌は伸びた……
 恵介の分身をしっかりと戒めたまま、脚の付け根を這い降り、高く持ち上げられた尻の狭間にわけ入ってくる。

「あっ! ……そ、そんなっ……ま、待って……!」

「大丈夫よ、恵介……大丈夫、痛くないから……」

 舌先が窄まった出口を、くすぐり始めた。
 舐め上げられるたびに、恵介の全身が激しく反応して跳ねる。

「い、いやだっ……いやだっ! お、お願い……母さん、助けてよっ……」

「大丈夫よ……ぜんぶセルジュに任せておけばいの……母さんだって最初は…………」

「し、知らねえよそんなことっ! ……あっ! あああっ!」

 
 にゅるり。

 舌先がめり込んできた。

「う、うそっ……あ、くううううっ……!」

 ズブズブと侵入してくる熱い舌。

「もう少し、もう少しよ恵介っ!」母が叫んだ。「がんばれ! がんばって恵介っ!」

「……あっ……ああっ……はっ……」

 一気に激しい感覚が堰を切ろうと押し寄せてくる。
 しかし、絡みついている舌が、ぎゅっとそれを遮断する。

「た、助けてっ…………お、お、お願い……しますっ…………………………も、もうやめてっ……ゆ、許してっ……」

 恵介は許しを乞いながら肩ごしにセルジュを振り返る。

 と、セルジュの背後に、もう一人の人影が立っているのを見た。
 セルジュはその人影に気づいていない様子だ。
 

 さっ、と光るものがセルジュの顔の前を通り過ぎる。

おぐうるぐっ??
 

 そんな声を出して、セルジュが口を抑えながらその場に座り込んだ。

 床に、ボトボトと大量の真っ黒な血が滴る。
 恵介を戒めていた舌が、力を失ってほどける。

 恵介はぐったりと床の上に倒れた……自分の身体にまとわりついている、長い舌とともに。

「だ、大丈夫か? ……恵介」

 父の声だった。

「おぐ、おぐる…………ぐるえぶ…………えぶ、えぶっ…………」

 セルジュが口元を抑えたまま立ち上がり、よろよろと玄関のほうに向かって歩き出す。

 背中には恵介が食い込ませた包丁の切っ先がまだ埋まっていた。
 そこから、腰や尻全体に真っ黒な血がこびりついている。

 セルジュの歩いた後には、おびただしいほどの黒い血が流れ、床にその足跡を残していく。

「あ、あなた……っ」

 母が青白い顔をして包丁を手にしたままの父を見上げる。

「も、もう大丈夫だ……おれに任せなさい……」

 父は包丁を口に挟むと恵介を助け起こし、まとわりついたままのセルジュの舌を息子の腰から引き剥がした。
 そして、床に散乱していた恵介の服を集める。

「……服を着ろよ、恵介……」

「う、うん……」

 恵介はパンツとズボンを履き、シャツのボタンを二つか三つ留めた。

「……さあ、恵介……セルジュを追いかけるぞ」

「えっ……」

「あ、あなたっ……」

 全裸の母が、床から父を見上げている。

 父は何かを思い出したように、自分が来ていたカーディガンを脱ぎ、母の裸身に優しく掛けた。
 母は戸惑い、混乱している様子だ。

「もう大丈夫だ…………セルジュはおれと恵介が片付ける……君が悪かったんじゃない。ぜんぶあいつが…………セルジュが悪いんだ……おれたち夫婦も、おれたち家族も、この町も…………きっと元通りになれる」

 そういって母を抱きしめる父を尻目に、恵介は廊下に出る。
 セルジュが玄関のコート掛けに掛けてあった彼の灰色のコートを、全裸の上に羽織ろうとしていた。
 床も、玄関も、たたきも、セルジュが吐き出した血で真っ黒だ。

 やがて父が、ゴルフクラブを手に恵介の後を追ってくる。
 さっき、母か恵介の頭を叩きのめしたアイアンだった。

 父が「さあ」とでも言いたげに、そのグリップを恵介に差し出す。

 佳祐はそれを両手でしっかりと握り、勢いよく廊下を踏み出した。
 が、セルジュが流した血糊のせいで、足が滑る。

 セルジュの頭頂部分を狙ったはずだったが、ヘッドはセルジュの肩に食い込んだ。

あおうぐお!
 

 衝撃を受けたセルジュが、ドアにぶつかって倒れる。
 そして、改めて……どばっと大量の血を口から吐き出した。
 玄関のたたきを溢れさせんばかりに。

 ぬめる血の中で、恵介はなんとか立ち上がろうともがいた。
 と、父が廊下に走り出てくる。
 そして包丁でセルジュの顔を、斜め横にすぱっと切りつけた。

るあうぐ!

 セルジュが顔を押さえる。
 その指の間から、また黒い血があふれて吹き出す。

 それでもセルジュは立ち上がった。

 玄関ドアのノブに手を掛け、ドアを開ける……そして家の外に転がりだした。

 
 父が靴も履かずに、その後を負う。
 門を出ようとしているセルジュの背中を、父はテニスのバックハンドの要領でズバッ、と斬り上げた。

あああおうぐ!」セルジュが叫ぶ。「うごおあがごごごががご!

 
 血まみれのセルジュが、よたよたと歩いていく。
 その方向は西……彼の家がある方向だ。

 恵介もまた靴も履かずに家から飛び出し、セルジュに走り寄る。
 そして今度は、確実にアイアンをその側頭部にヒットさせた。

 カーン、といい音がした。

「うがあっ……」

 セルジュが前のめりに倒れる。

 しかし彼は、またも起き上がった。
 そして、大量の血を吐き、流しながら、ゆっくりと自分の家がある方向……西を目指して歩いていく。

 恵介と父はそれぞれの武器を手にしながら、一定の距離を置いてその背中を追った。
 

 数歩歩くたびにセルジュが、獣のような叫び声を上げる。
 いや、獣の「ような」じゃない……と、恵介は思った。

 あれは獣だ。
 恐ろしい、手負いの獣だ。

るごおおおおご! ぐべ! ぐるるるるるべ!

 血を履きながらわめくセルジュ。
 その少し後ろを歩く恵介と父が通った道には、大量の血の跡が続いている。

 誰かの家の前を通り過ぎるたびに、何事か、とその家の家族が玄関に飛び出してきた。

 黒い血にまみれ、よたよた歩いているのは、セルジュだ。
 その後を、包丁を手にした父と、ゴルフクラブを手にした息子がつけていく。

 
 家族とともに家の中に飛び込み、カギを掛けて電気を消してしまう住民もいた。

 しかし驚いたことに……まったく逆の反応をする者たちのほうが多かった。

 家族を家に入れるまでは一緒だった。

 が、木刀や竹刀、ゴルフクラブや金属バット、シャベルや高枝切り挟などを持った男たちが、通りに出てくる。

 そして彼らは、恵介と父の後ろに続いた。
 セルジュを追う恵介と父のあとに……一人、また一人と、武器を手にした住民たちが増えていく。

 中には手ぶらの人間もいた。

 全員が男だった。
 誰かの父や夫や、息子たちだ。

 セルジュがふらふらとスーパーの駐車場を横切ったときには、その数は30人には達していたかも知れない。

 
 スーパーからも、その様子が見えたのだろう……十数人がスーパーから出てきて、そのパレードに加わった。

 セルジュは何度も倒れたり、膝をついたりした。
 その武器を手にした数人の男たちが、セルジュに駆け寄る。

 そして拳で頭を小突いたり、木刀などで殴りつけたり、石つぶてを投げつけたり、蹴りあげたりする。

 そうするとセルジュは苦しそうなうめき声をあげて、のっそりと立ち上がり……
 また家のほう……町の西に向かって、のそのそと歩き出す。

 コートはほとんどボロボロになっていて、いたるところに穴が空き、毛むくじゃらの背中や、トラックのタイヤのような尻が覗いていた。
 それらのすべてが、黒い血にまみれていく。

 セルジュを追い詰める人間の数は、どんどん増えていった。

 町の外れの道……右一面がキャベツ畑で、左一面がタマネギ畑の一本道。

 なんとかその道にセルジュが辿りついたときには、人々は長蛇の列をなしていた。
 セルジュのすぐ後ろ、列の先頭に立っている恵介が振り向いても、その行列の最後尾は田舎町の闇に吸い込まれて見えない。

 またセルジュが膝をついたとき、誰かが長い高枝切り挟を槍のように突き出し、セルジュの背中をずぶりと突き刺した。

 列をなしていた男たちが、ヒステリック歓声をあげる。

おごあぐろぐろぐえっ!

 セルジュはのけぞり、ハサミの先端が引き抜かれると同時に、うつぶせに倒れた。

 倒れたセルジュの背中から、小ぶりな噴水のように黒い血が吹き上がっている。
 それが道路に流れ、道の脇の排水口に飲み込まれていく。

 セルジュは動かなくなった。

 男たちの列からも歓声がやみ……全員がしんと静まり返った。
 しかし……ぴくり、とまたセルジュの手が動く。

 なんと、セルジュはそれでもなおも立ち上がる「。
 男たちはそれを呆然と見上げていた。

 セルジュが一瞬、群れをなす男たちを血に固まったもじゃもじゃの髪の隙間から睨みつけた。
 当然、先頭にいた恵介とも目があう。

 男たちはしばらく静まりかえっていた。

 が……
 
 誰かがセルジュの顔をめがけて握りこぶし大の石を投げつけた。

るぐあっ!

 避けようとするセルジュの背中に、無数の石つぶてが降り注ぐ。

 セルジュは男たちに背を向けて、ふらふらしながら、それでも確実に自分の家を目指して歩いていく。

 やがて……あの六角塔をいただくセルジュの化け物屋敷が見えてきた。

 セルジュはゆらり、ゆらりと揺れながら……何百発もの石つぶてを浴びながら、敷地の前の坂を上っていく。

 セルジュが自分の家の敷地に足を踏み入れたときだった。
 男たちの列が、一斉にセルジュに襲いかかる。

 そこから先、セルジュがどうなったのか、恵介ははっきりと見届けてはいない。

 多くの人間が、輪になってセルジュを取り囲み、それぞれが持参した武器で……
 武器を持っていない者は手や足をつかって、セルジュを痛めつけていた。

 延々と。
 まるで終わりがない祭のクライマックスのように。

 その後、誰かがガソリンを持参していたのか……セルジュの家に火が放たれた

 火はあっという間に燃え広がり、六角塔も太陽のような炎に飲み込まれていった。

 人々がセルジュの周りから離れる様子はない。
 燃え盛る家の前で、100人はいようかという男たちが、セルジュを責め立てていた。

 恵介はその輪の中から、一人の男が這い出してくるのを見た。

 あの、ゾンビのようだった和男の父だ。

 和男の父は、右手から何かをぶら下げている……
 恵介が目をこらすと、それが人間の眼球であることがわかった。

 セルジュの家が焼き尽くされ、一階部分が崩落する。
 六角形の塔も、ぐらりと揺れ、大きな音を立てて倒れた。

 どこかであの異形の犬が、ヒステリックに吠え続けている。

 あの犬は無事でいられただろうか…………
 なぜか恵介は、そんなことを思った。


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