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2024/2/16 あらゆるSNSを一切やってないOLの、「友達の作り方」と「休日の過ごし方」から、「旅先での楽しい生き方と馴染み方」を学んだ。歌舞伎町の夜。

元アシスタントで、あらゆるSNSを一切やってない子がいる。
彼女の名前を「C」とする。

「最近休みの日なにしてるの?」と聞くと
「私はひたすら歩いてる」とCは話しはじめた。

別に特別な場所を目指すでもなく、目的地を決めるわけでもなく、3,4万歩くらい、6,7時間くらい、本当になんとなく、都内を気の向くままに「ただひたすら歩く」らしい。

ここまでだけを読むと、個人主義で、唯我独尊で、一人でいるのが好きなタイプなのかな、という印象かもしれない。

実際はその印象とはむしろ逆で、Cは、自分がこれまでに生きて出会ってきた人間の中でもかなり上位で、オープンマインドで、人懐っこく、誰にでも好かれやすい、友達と所属コミュニティが多く・多岐に渡る、会話好きの人間だ。

彼女との会話から知った「ただひたすら歩く」と、その前後でつながるライフスタイルの話が、結構おもしろく、その影響が、巡り巡って自分の生活やメンタルを豊かにしたから、書き残しておく。

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Cと最後に会ったのは、今年2月、海外渡航直前。

「いらない服が余ってるんだけど捨てるのももったいないから、素材に受け取ってくれない?」と2年近くぶりに連絡をくれて、歌舞伎町・雑居ビル二階の、ホストとキャバ嬢のたまり場のような狭い居酒屋で、約3年近くぶりに会い、近況報告を交わした。

Cとは、そんなに期間が空いても、昨日ぶりのように会話がスタートできる。それは、Cとの付き合いが、中学高校の同級生のような感じだからだ。年数で言えば、ブランド立ち上げ初期から4年以上、Cが高専生の時から、卒業後フリーターになり、結婚して、人妻になってと、人生における大きな変化を重ねる間中、ずっと一緒に作っていたくらいの、同じ時間を過ごした全体量でいえば家族を上回るレベルだからだ。
(けれど正直、過ごした時間の合計より、ウマが合うから、というだけの理由かもしれない。ウマが合う友達は、普段から連絡を取り合わなくても、2,3年くらいの間が空いても、昨日ぶりのように話し合える)

「最近旦那とはどう?」と訊ねた。
蒲田にて、CとCの旦那と三人で飲んだ日もあった。
よく喋る小柄なCと対照的に、寡黙で筋肉質な人だった。

「もう離婚したよ」
とのことだった。

近頃は、外国人の集まるコミュニティ・バーに入り浸ることが多いらしく、異国のボーイフレンドも出来たらしい。
「俺も仲間にいれてよ」と言ったところ「かなり内輪な感じだから難しいかも」と言われた。
「内輪なコミュニティって、どうやって見つけてるの?」と聞いたところ、最初の話に戻る。

「ひたすら歩いてると見つかるよ」とのことだった。

これが、かなりおもしろい、と思った。

Cいわく、休日、別に特別な場所を目指すでもなく、目的地を決めるわけでもなく、3,4万歩くらい、6,7時間くらい、本当になんとなく、都内を気の向くままに「ただひたすら歩く」らしい。

そうすると、おもしろそうな店が見当たる。なんかよさそうな店が見当たる。外から覗いてみる。受け入れてくれそうだな、迎えてくれそうだな、と思うところに入ってる。もちろん失敗もあるけれど、繰り返してると、だんだん精度が上がる。

とのことだった。

「ふらっと入って、それで、何を話して仲良くなるの?」と聞くと
「こっちから話さない」とCは言った。

ただ、ニコニコしてたり、あなたに興味あるよって表情や態度でいれば、勝手に話してくれる。
逆に、そうじゃない相手なら、最初からウマが合ってない。
そういう人に、自分から色々話したところでも、楽しくなりにくい。
だから別に、何も話そうとしなくていい。
話題が発生したら、整えたり、聞いたり、ふくらませたらいい。
それで、仲良くなる人は仲良くなるし、日にちが空いても呼んでもらったりする。

ならない人はならない。

その時は別に、そのコミュニティや人やお店が全てじゃないんだし、また歩き始めればいい。
と、Cは話した。

それは、今から2ヶ月間の海外放浪の旅に出る自分にとって、かなり有意義な知見だった。
Cは別に、海外に行かずとも、仮にどんな仕事をしていたとしても、
どこにいても旅をするような生き方が出来るんだな、と思った。

正直、昨年行ったヨーロッパ1ヶ月の旅では、「目的」以外の時間を送るための場所を見つけるとき、レストランや名所など、つい、すぐに「検索」してしまっていた。
それで見つかった場所に向かうと、それは、失敗はないけれど、予想を超える驚きもなく、そもそも、なんだかずっと内側にこもってるような感覚が抜けずにいた。別に、日本にいる時と大差ないような感覚。

そこで、この話である。

Cが持ってるオープンマインドな雰囲気の原点はここにあるのか、と思った。
そして、あらゆるSNSを一切やらない理由も、少しわかった。
やらなくても、コミュニケーションに「不足」がない。
というかむしろ、「飢えないように」ライフスタイルをデザインしてる印象すらあった。

「じゃああんま、一人の人間に依存しないようになったんだね」と言ったら、「むしろ逆で、高校生くらいの時みたいな恋愛観とか依存性とかが未だに変わらないから、自分で調整するようにしてるんだよ」と、Cは笑った。そういうところは相変わらずだなあと、一緒になって笑った。

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2ヶ月間の海外放浪旅の間、この「とりあえずひたすら歩く」ということを、かなり意識した。
何が得られるか、得られないか。名所にいけるか、評価の高いレストランにいけるか、そういうことは、二の次でいい、と思った。

とりあえず、あてもなく歩けばいい。そうすれば見つかる。というか、そうした方が見つかる。驚くような、自分だけの場所と思えるような場所は。開けてるわけではなく、ややクローズドなコミュニティは。そして、そういうところにこそ、その土地らしさは強く出てる確信はあった。そしていざ出会った時にも、「別に話そうとしなくていい」「ニコニコして、興味をもっていればいい」というルールも、緊張せずにその場に近寄り、なじめた理由だった気がする。

楽しく、心を閉じずに、見知らぬ土地で、インスピレーションの探索とリサーチが出来たのは、渡航直前のこの会話のおかげだ、と今でも思う。

「歩くこと自体」を、「どこかにたどり着くための手段」ではなく、「目的」にする。
そうすれば、見つからない時間は苦痛にもならず、行動自体が娯楽になり、もしも何かが見つかれば、それは二倍幸せである。
それくらいのスタンスの方が、案外おもしろいものに出会えたりする。

そんなCの哲学を自分にインストールするようになってから、
以前より生活やメンタルが、少し楽になった気がしてる。

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西武展示終了後、少し休憩をとっていたけれど、近頃また、服を作ってる。
ある目的地に向かうためじゃなく、「ただひたすら歩く」ように。
そんなやり方だって、より良い服作りにたどりつくための、一つのスタイルだと思いながら。

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