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2019年11月、浪江取材/放置された町

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<続き>

北上ノ原を抜け、中上ノ原団地へ。ここを訪れるのは3回目。定点観測だ。

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「紅」の1場面と同じアングルから撮影。季節による植物の変化はあるが、人工物に関しては何も変わっていない。8年8ヶ月前からこのまま。原発事故により着の身着のままで住民が逃げ出した跡が生々しい場所だ。

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住民の持ち物がそっくりそのまま残されている。これらは全て「放射性廃棄物」だ。

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(公民館)

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避難指示解除された場所。いったい日本人のどれだけが、震災から8年8ヶ月、避難指示解除から2年8ヶ月経った今も放置されているこの場所のことを知っているだろう。空間線量もさほど高いわけではないが(と言っても震災前の6倍以上)、一時話題になった「福島の公園で子供は元気に遊べます」的な場所では決してない。

「避難指示解除でスタートラインに立った」的なことをカンニング竹山等、声の大きい人たちが発言したりするが、自ら足を運んで現実を見るべきだ。

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洗剤類が窓際に置かれたままなのがわかる。

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この公園で自分の子供を遊ばせたい人はいるだろうか。震災前の6〜20倍の空間線量の場所で、8年8ヶ月放置された公園で、元気に子供を遊ばせたいと思う人はいるだろうか。いるのなら僕の前に出てきてほしい。自腹で連れて行ってあげますよ。

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一体ここに、どれだけの人たちの暮らしがあり、どれだけの人たちの日常が壊されたのだろう。

やたらと「福島差別」を強調し、安全ばかりを強調し、原発事故の矮小化に努めている人たちの頭の中には、こういった強制避難区域のことは全くない。彼らにとってここは福島ではないのだろう。それどころか、「ホットスポットがない」とまで喧伝するようになっては、もはやデマの領域だ。

彼らは、この場所への帰還も移住もほとんど進まない理由について何と言うのだろうか。廃墟に囲まれて暮らすのが嫌だとか、放射能が心配だとか、生活に不便だからとか、そういうのも全て「福島差別」で、東電や政府の責任ではなく、「自己責任」「反原発運動のせい」とでもいうのだろうか。

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ここも去年の10月と変わらない。いずれは解体されるだろうが、国道から遠く離れたこの場所は五輪があってもなくても放置されるだろう。

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中上ノ原から南上ノ原へ向かう。途中、帰還してる家が数軒ある。家を新築した人もいるようだ。

これまで、道で出会った何人かの“帰還者”から話を聞いたが、ほとんどの人は放射能のリスクを理解している。リスクを理解して、それでも故郷で暮らすことに価値を見出して帰還している。「放射能にやられちまったからなあ」なんて言いつつも、ここで暮らしている。

「放射能安全」な人たちは、よく「そこに人が住んでるのに」という。だから放置しておけというのだろうか? そこに人が住んでるからこそ、そこを見つめ、伝え続けなければいけないのではないだろうか。

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「この先工事中につき通り抜け出来ません」
こんなところで何の工事を?と思ったが、そういえば10月にとんでもない台風が来ていた。徒歩だし何とかなるだろ、と歩き続ける。

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南上ノ原団地到着。ここにくるのは2回目。

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ここの空間線量は震災前の6〜15倍程度。ここも震災直後のまま取り残されている。地震で壊れた様子もなく、「原発事故さえなければ」震災後も住み続けることが出来たはずの場所だ。

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演歌歌手のポスターが天井に。

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不気味な静けさの中で佇む廃墟群。こんな光景をメディアは報じない。

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片付けられた部屋もあれば、メチャクチャなままの部屋もある。いらなくなった家財道具やバイク、自転車が一箇所に集められているが、処分されることもなく放置されたままだ。

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毎度毎度、こんな廃墟の近くで暮らす気持ちはどうだろうと思う。そんなこと、帰還した人になかなか聞けないけど。

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澄んだ空と美しい山並みが尚更悲しい。

この後、「この先工事中につき通り抜け出来ません」な場所を通過する。

<続く>

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