そこに人がいるということ

そこに人がいるということ (2)

(前回の記事はこちらから)

受験のプレッシャーがなくなった大学生活は、楽しかった。
カラオケに行ったり、英語劇のサークルに入ったり、旅行したり、恋愛したり。

「他人嫌い」の僕にも、彼女ができた。
外には出さなかったけれど、自分に自信がなかった僕にとって、誰かの「彼氏」を演れることは、ドラマの主人公になれた感じがして、なんだか誇らしかった。

けれど、相手の人生に深く関わるほどの勇気はなく、しばらくすると関係は途絶えた。

あっという間に四年がすぎて、就職活動。

働くことについて、いいイメージはなかったけれど、就職しない勇気ももてない。

それで、興味をもてる広告とゲームとエンターテイメントの会社を受けて、ディズニーランドを運営するオリエンタルランドに新卒で入社した。

いい会社だった。でも、9年勤めてやめてしまった。

オリエンタルランドには、配属先が気に入らなくてふて腐れていた僕に辛抱強く付き合ってくれる上司や先輩たちがいた。

毎日、妖怪たちの学校みたいでギャアギャア言いながら過ごす大好きな同僚たちがいた。

出張先のカリフォルニアのバーで、耳が痛いことや熱い思いを語ってくれた他部署の人たちもいた。

三ヶ月の海外赴任のときには、ディズニーのイマジニアたちが野球に誘ってくれたり、食事を共にしたり、絵を贈ってくれたりした。

どれほど多くの好意や関わりが、投げかけられていたか分からない。
腹が立つこともあったけれど、いい人たちばかりだった。

でも、僕はそういう人たちと距離をとっていた。
他人に気を許して、自分が感じていることを話すことができなかった。

会社の中で、僕は「仕事ができる人」になることを強く意識していた。
「出世なんて気にしない」と言いながら、同期の中で一番出世しているグループにいることが誇らしかった。そして、いつか他の人に抜かれるんじゃないかという焦りがあった。

弱みを見せることができなかった。
海外での会議が仕切れずにボロボロになったときにも、平気な顔をして(できていなかったのだけれど)なかったことにしようとした。

孤独な受験は、終わっていなかった。

当時、華やかな職場で望んだ仕事をしていながら、ずっと「仕事をした」という手応えがなかった。成績がよくても悪くても、いつも「すかすか」だった。

いまなら分かる。
僕はたしかに仕事をしていなかった。

僕は自分の気持ちとも、他人とも関わることをせず、不在のまま「仕事のフリ」をしていたからだ。

退社の理由は「社会起業に関心があって」。
だけど、本当は生きている実感が欲しかったのだと思う。

小学生の頃、転校したときと同じくらい簡単に、ゲームのリセットボタンを押すみたいに、僕はいまの数倍はある年収と一部上場企業の社員であるという立場を捨てた。

そこには豊かな人と人との関係があったのに、本のページをめくるように先に進んでしまった。

親や周囲には「なんてバカなことを」という目で見られたけれど、本当にバカだったのは、人と人との関係が簡単に断てることを「自由」だと勘違いしていたことだと思う。

つづく

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