自分の生き方をデザインしよう
【産まれた瞬間から始まる、周囲からの影響】
産まれてくるときは誰もが裸。
それからいろいろなことを経験したくさんの人と出会い多くのことを学んでいく。最初の生活の場は家庭であり、家族から様々なことを吸収していく。
やがて所属する集団が少しずつ広がり、保育所や幼稚園を経て学校生活が始まる。
学ぶことは教科の勉強だけではない。人との接し方や集団の中での立ち居振る舞い、自分が目指すべきこと、他にも多々ある。
人が育っていく過程で、学校教育の影響は大きい。
日本の学校は集団行動を重視する傾向がある。
1クラスの児童数は先進国の中ではかなり多い方で、その集団を教師がまとめる。
授業は少しずつ改善されているだろうが、まだまだ教師主導型の一斉授業が多い。
朝の登校を「分団登校」という方法で行っている地域もある。上級生が近所の小学生のリーダーとなり学校まで小集団で登校する。これは、子ども同士の縦の関係を活用している。
運動会は日本独特の取り組みのひとつである。
保育所をはじめ、幼、小、中、高等学校では運動会が行われることが多い。
個人競技もあるが集団競技も多い。
本番に向けて集団行動を教えられ、集団演技や組体操の練習が繰り返される。
中学校の運動系部活動も、学校中心で行っている国はごく少数である。これらの経験は、大人になって様々な集団に属するときに役立つという人がいる。
一方、気をつけなければならない面もある。
【人にとって、集団とは】
人類の歴史をみると、集団に属することは自分や自分の家族の生存を守るため、そして自分の子孫を残する上で非常に重要なことであった。
集団から排除されないためには、周りに注意を払い、集団にいられるための社会性を身につけていなければならない。
うまく集団に溶け込めたら安全で居心地良く過ごせる可能性が高い。
こうして人々が身につけた社会性は、社会にとっても都合がよかった。
日本人は、一人ひとりが、良き歯車、良き駒の一つになりやすい。
集団のルールを守り、周りの雰囲気を感じ取りながら行動する。
人とは違う自分の考え方や気持ちは「普通」とか「世間」とか「我慢」という言葉で無意識のうちに抑え込んできた。
しかしながら、集団を優先させると個人が我慢することが増えてくる。
自分の気持ちを抑えて我慢しながら生きること、働くことはしんどいことだと感じている人は少なくない。
現状を必死に守ろうとしている人たちがいる。
自分の命をすり減らしながら会社や組織で頑張っている人がいる。
一方、新しいやり方を模索している人がいる。
例えば個人を大切にしていこうという考え方や多様性を認めるという方向性である。
これまで通り、国や社会や組織を構成する歯車や駒の一つとして生きようとしている人にとっては、新しいやり方は時には受け入れ難いかもしれない。
しかし、学校でも会社でも家庭でも、これまでの日本の教育や社会のあり方ややり方では、所々でうまくいかなくなってきている。
世界の変化の中で取り残されている分野もある。多くの課題を抱えている現状を切り開くためにも、新しいやり方が求められている。
私たちはこれまで、家庭や学校や世間から多くの影響を受けてきたが、決してそれに従順である必要はない。
産まれた瞬間から多くの情報を受け取り続け、疑わずにそのまま信じていることもたくさんある。
うすうす変だと思っていたり、何かの拍子にふと心に疑問が浮かんだのなら、一旦立ち止まって考えてみることが必要なのではないだろうか。
親の生き方や身近な人が勧めてくれる生き方が正解とは限らない。
正解は一つではないかもしれない。正解も不正解もないのかもしれない。
【自分に向き合う】
生き方に正解のない時代だからこそ、「普通」や「世間」を優先したりや「我慢」するのではなく、自分にとって一番良い生き方を選ぶことが大切なのではないだろうか。
自分で自分の生き方をデザインする時代なのではないだろうか。
裸の自分に戻って、じっくりと自分に向き合うことは大事なことである。
自分はどんな生き方がしたいのか、自分が求めていることは何か、大切にしたいことは何か、考えてみるべきである。
誰かと同じでなくていい。
【自分の人生をデザインしよう】
自分の人生をデザインする第一歩は、「自分がどう生きたいか」「何を大切にしたいか」「自分がしたいことは何なのか」を考えることだと思う。
それが決まったら、自分の生き方のデザインが始まる。
自分でいろいろなことを決めていかなければならない。もしかしたら途中で方向が変わるかもしれないが、今の自分の気持ちを優先させればいい。
「デザインする」とは、一つ一つのことを自分で決めていくということである。
色も形も構図も素材もすべて自分で決める。
情報は少ないよりは多い方がいい。
悩みながら、ときには人に相談しながら決めることもあるかもしれない。
しかし、いつも決断は自分がする。
悩み多い作業かもしれないが、きっと楽しいはずである。
長い歴史を生き抜いてきた人間。
バトンを受け継ぎ今を生きる私たちは、この時代をどう生きるかを試されているのだと思う。
集団に縛られて歯車や駒の一つとして扱われるのではなく、一人の人間として扱われるためには、自分はどんなことができるのだろうか。
どんなやり方があるのだろうか。どんなデザインがあるのだろうか。
試しながらチャレンジしていきたい。
デザインを完成させるには時間がかかるかもしれないが、自分の人生なのだからその過程を楽しもう。
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