かわたそうしろう

多摩美術大学の芸術学科に所属する者です。 アートと生物学とゆるキャラに興味があります。

かわたそうしろう

多摩美術大学の芸術学科に所属する者です。 アートと生物学とゆるキャラに興味があります。

マガジン

  • 短編小説「癇癪玉」

    学生同士の恋愛を題材とした短編小説です。

  • 「はがれてしまう このいしを いかにみる」展覧会評

    「はがれてしまう このいしを いかにみる」の展覧会評集です。

最近の記事

癇癪玉『結末』④

ジジイが「寒い、寒い」と言って、窓ぎわで丸まっている。両手で自分の肩を抱いて全身の震えを抑えながら歯をガタガタと鳴らしている。どうやら酒が尽きたらしい。買う金もないのだろう。 こんな光景は日常茶飯事なんだけど、どう言う訳か今日は少し心配になって、 「死にそう?死ぬ?死なないよね?おい、おーい。」 私はジジイの肩を揺らしながら問いかける。 「おい?おい!何とか言えよ。おい。」 ジジイの手は、乾燥していて、しわくちゃで、それでいて、冷たかった。 「私、学校に行ってくるよ。ねえ。聞

    • 癇癪玉『予感』③

      ジジイがなにやら騒いでいる。 「おい。ここにあった金がねえぞ!」 「しらねぇよ。お前が使ったんだろ?」 「使ってねぇよ。おっかしいなあ。ここに置いておいた筈なんだが。ネコが食っちまったのかなあ」 ジジイの退職金が尽きるまであともう少し。そうなったら身体でも売らなきゃいけなくなるんだろうか。それに対してジジイは何て言うんだろう。止めてくれるかな?まともになってくれるかな? 「今回紹介するのは・・・。つまり、創作の根源はリビドーにあるのです。抑え難い欲動が人に創作させる

      • 癇癪玉『発展』②

        深夜、尿意を催して起きた私は自分の布団の中で小さく丸まるピーちゃんを発見した。 そういやピーちゃんが鳴いているところを聞いたことがない気がする。おかしくないか?ネコっていうのは何かにつけてニャーニャー鳴くもんだよなあ。うちのネコはネコではない? ピーちゃんの顎を掴み、少し揺らす。 「おい。鳴け!」 ピーちゃんは嫌がって、私の手を引っ掻いてくる。 「何で鳴かないんだよ。おーい。」 無理矢理、顎をこじ開けて、指を突っ込む。 「へー。ネコの口の中ってこうなってんのか。全体的にザ

        • 癇癪玉『出会』①

          「私が紹介するのは『家畜人ヤプー』という小説です。あらすじは・・・。つまり、書かれているのはサディズムやマゾヒズム、汚物愛好といった性的倒錯と白人至上主義及び女尊男卑の蔓延る差別の世界です。しかし、単なる性衝動を煽る猥本や差別思想をばら撒くプロパガンダとはなっていません。私が思うこの本の真価は、共同体における常識や価値観の存在を感じさせない点です。対立項に置くことすらしないのです。故に、衝撃であり、受け入れ難く、素晴らしい。人の人格を変容させるほどの力がこの小説にはあって、私

        癇癪玉『結末』④

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        • 短編小説「癇癪玉」
          4本
        • 「はがれてしまう このいしを いかにみる」展覧会評
          5本

        記事

          僕らの救済のための私見

          社会不安の増大する現代をどう生きていくか。自分なりに考えました。後半になるにつれ、論理の飛躍と荒唐無稽さが増していきますが、今後、より知見を広げ、 改善させていく所存です。長めなので目次をご活用ください。 山谷 山谷という街を知っているだろうか。東京都台東区の北東部に位置する地帯の名称で、いわゆる「ドヤ街」と呼ばれている場所である。ドヤとは宿の逆さ読みであり、宿ともいえない程に粗末な安宿であったために、自虐を込めてドヤ街と呼ばれるようになったと言われている。安宿が多かった

          僕らの救済のための私見

          生物を展示する倫理的・美学的判断について

          先日、銀座三越の8階にあるアートアクアリウム美術館に行ってきました。そこで見た数々の展示を通して「生き物を展示すること」について考察してみようと思います。   まず、実際に行ってきた日のことを振り返りながら、素直な感想を語ります。最寄りの駅から銀座まで電車で1時間。日本屈指の高級街であり、高級ブランドショップや有名レストランが立ち並び多くの観光客で賑わう街、銀座。その中でも伝統のある老舗百貨店、銀座三越。その日は日本株の好調のせいか、とても活気付いていて中は両手に紙袋を下げた

          生物を展示する倫理的・美学的判断について

          展覧会評・OLFACTORY CORTEX

          沈丁花?梔子?金木犀?ともかくも甘く心地よい匂いが部屋に入った瞬間、香ってきた。いや、正確に言えば部屋に入る直前、視覚よりも先に嗅覚が匂いを捉えていた。それがステートメントで言うところの、「第一反応」であり「運命的邂逅」であろう。見ることなく予期された室内の情景は、鑑賞に少なからず影響を与えただろうし、鑑賞行為を操作し、再定義したかもしれない。嗅覚野を意味する「OLFACTORY CORTEX」と題された展示から予期した作品像とは少し趣が違い、確かに美術品の展示会場の匂いとし

          展覧会評・OLFACTORY CORTEX

          展覧会評・家村ゼミ展2023

          ジリジリと照りつける陽射しがつらい夏の日。私は歩き疲れて木陰に腰を下ろす。バックから水筒を取り出して喉に流し込む。一息つき、ふと前を向くと、通りすぎる人が太陽に照らされてシルエットとして目に映る。木にもたれて頭上を見上げてみると、葉や枝が光を湛えてざわめきながら黒く染まり、その隙間から青白い空が見える。 このような感覚を抱いたのは私だけではないはず。もちろん上記の光景を再現するためだけに展示がなされたわけではないだろうが、本展覧会の鑑賞体験を一つの物語として文章にするなら光

          展覧会評・家村ゼミ展2023

          展覧会評⑤「まとめ」

          批評は終わらない。 一ヶ月間考え続けた私の四つの展覧会評を解体し、再構築することで以下にまとめた。 「らんらんと まみえるものの ゆらめいて」 広間の窓から見える言葉の存在は、大きな天空に鑑賞者を惹きつける。空間は不可解で怖い一直線のようで、六つの染め上げる色彩が奇怪な場所を隔てる。そして、平凡な部屋がお化け屋敷に見事に変わる。生徒と家族は一緒に行かず、生きるためアイドルのベンチに貼り付けられた神秘的な思いがあった。 「しみこんむ くろくはがれる かさねたら」 愚か

          展覧会評⑤「まとめ」

          展覧会評④「回答を待つ」

          演劇性の行き着く先はコンテンツの全くない、無。何も置かず何も感じさせない空間があるはずです。その場合、鑑賞者の創作はとどまることを知らず、全くの無から宇宙を作り出してしまうかも知れません。それは白い壁面を真黒く染め上げてしまうほど。 白を黒にし、無を有にするものは何でしょう。それは境界、境目です。境目は中と外、白と黒、無と有を隔てるもの、性質が違うものを隔てるものです。例えば教室の扉、絵画の額縁、広間の窓、あるいは、スマホの縁とか。これらの境目を繋ぎ合わせるのは人の言葉です

          展覧会評④「回答を待つ」

          展覧会評③「銃弾」

          2022年7月8日11時31分。 鉄パイプから放たれた六つの銃弾のうちのいくつかが、国家に巣食う宿痾の喉元へと食い込み、その打倒を果たした時、同時に一人の尊い命が失われた。ニュースを見た私は悲劇に心を痛めながら、歪に変形した国家が完全な破滅に向かうのを幻視した。彼の行動は暴力こそがこの世を変えうる唯一の手段だと世間に知らしめた。メディアではジャーナリストたちが言葉の重要性を語り、彼の行動を否定したが、もはや信じる者はいなかった。事件によって、猛烈な批判を受けることになった宗

          展覧会評③「銃弾」

          展覧会評②「私の現代性」

          私はこの文章で現代社会の特筆すべき出来事や傾向を通して9月5日から9月16日にかけて開催された展覧会「はがれてしまう このいしを いかにみる」を捉え直し、再評価を試みる。初稿では、一つ一つの作品が持つ物質的側面から作家の抱いていた創作意図へと結びつけようとした。この試み自体はある程度の妥当性を持っていたと思われるが、論理をより敷衍させ作家と鑑賞者の関係に留まらず、展覧会と作品が現代に作られ存在していたという事実に対して現代社会の諸問題と結びつけることができるのではないか。そう

          展覧会評②「私の現代性」

          展覧会評①「作品のメディウムから」

          9月5日から9月16日にかけて開催された展覧会「はがれてしまう このいしを いかにみる」は言葉と作品の関係を追求した展示である。6名の油画科の生徒が出品し多様な作品を作り出した。以下に作家と作品についてそれぞれ記述する。  平面から立体そして音声も使って一つの作品としたリ・チエさんの「とある日のメモリー回線」は、絵画や言葉や音声といった様々な次元の表現媒体とコンクリートブロックや鉄パイプといった既製品を組み合わせている。一目見たとき、どこに目を向ければ良いのか分からない。壁

          展覧会評①「作品のメディウムから」