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【日露関係史21(終)】日露関係のこれまでとこれから

こんにちは、ニコライです。今回は【日露関係史】第21回目、今回で最終回です。

前回の記事はこちらから!

これまで20回にわたって、ピョートル大帝からプーチンに至る日露関係の300年以上に渡る歴史を見てきました。今回はその総括ということで、日露関係のこれまでと、そしてこれからについて、私見をまとめていきたいと思います。


1.ロシアは日本の仇敵か?

「常に南下を目論んでいるロシアにとって、太平洋への出入り口を塞いでいる日本は障害であり、両国が衝突するのは必至である」

みなさんこのような言説を見かけたことはないでしょうか?上の文章自体は僕の創作ですが、日本とロシアの関係を敵対的に捉え、友好を築くことなどできないと考えている人は少なくないように思います。

たしかに、日露関係の歴史を見ると、江戸末期から開国直後の領土をめぐる紛争、日露戦争、ノモンハン戦争、日ソ戦争、そして戦後の北方領土問題、ウクライナ侵攻後の関係悪化など、対立の繰り返しのように思われます。しかし、帝政期には日露皇室の交流が活発に行われたり、日露同盟が結ばれたりと、実は関係が良好だった時期もあるのです。

日露関係良好化の条件は何でしょうか?それは恐らく「勢力範囲の決定」だと思います。1854年の外交関係樹立以降、日本とロシアは樺太の領有をめぐって対立しますが、1875年の樺太・千島交換条約を機に関係を改善します。そして19世紀末になると、今度は満州と朝鮮半島をめぐって対立して日露戦争へと至りますが、戦後は一転して関係改善が進み、日露同盟の成立にまで至ります。また、1941年の日ソ中立条約の締結も、ソ連が支援するモンゴルと満州国の国境線が画定したノモンハン戦争後のことです。

このように、日本とロシアは国境を接しているからこそ、「勢力範囲の決定」が両国関係にとって極めて重要であり、お互いの勢力範囲が画定すれば、関係改善の道が開けるのではないかと思います。

2.北方領土問題は解決するのか?

しかし、そう考えると、現在の日本とロシアは北方領土問題を抱えている以上、関係改善は困難なように思われます。日ソ国交回復から68年が経過しましたが、北方領土問題は未だに解決の糸口すら見えない状況にあります。

なぜこれほど長い時間が過ぎても、北方領土問題は解決しないのでしょうか。

第1に、日本とロシアの歴史認識の違いです。日本からすれば、1945年8月のソ連の参戦は日ソ中立条約を一方的に破った不当なものであり、さらに日本の降伏後も続けられた北方領土の占領は不法占拠に外なりません。しかし、ロシアは、ソ連の参戦は同盟国である米英に請われたものであり、千島列島の占領もヤルタ協定に定められた正当なものと主張しています。北方領土の占領に関して、日露の認識には大きな隔たりがあるのです。

第2に、軍事戦略・安全保障の問題です。千島列島はロシアの太平洋艦隊が太平洋へ出るための航路であるのみならず、オホーツク海という軍事的「聖域」を守るための防壁の役割を果たしています。もし北方四島が日本へ返還されれば、太平洋艦隊の要衝を失うことになりかねません。また、日米安保条約が存在する以上、返還された島には米軍基地が置かれる可能性もあり、そうなった場合、ロシアの安全保障に極めて重大な影響を及ぼすことになるのです。

第3に、ロシア人のナショナリズムです。先ほど述べたように、ロシアでは北方四島は「第二次世界大戦の結果、ロシアの帰属となった」と認識されています。そして、第二次大戦はロシア人のナショナル・アイデンティティの重要な拠り所であり、その結果を否定するような行為には敏感に反応します。さらに、2014年のクリミア併合以降、ロシアでは領土ナショナリズムが強いものとなっており、クリミアよりもはるかに面積の小さい四島の引き渡しにも応じる気配はありません。

第4に、日本の交渉戦術の問題です。田中角栄から安倍晋三に至る日本の指導者は、北方領土問題でロシアからの譲歩を引き出す手段として、経済協力というカードを幾度となく使用してきました。しかし、ロシア側は日本の思惑に反し、領土問題には触れずに、日本から経済協力のみを引き出そうとしました。日本側はそろそろ「経済協力」という手段が失敗しかもたらさないことを認識し、新たなカードを用意する必要があるのです。しかし、そのようなカードが果たして日本の手札にあるのでしょうか。

そして、第5に、米国ファクターです。北方領土問題がここまでこじれてしまった要因のひとつとして、日ソ共同宣言をめぐる交渉の際、日本側が二島返還で話をまとめようとしたところ、日ソの接近を快く思わない米国から圧力によって四島返還へと方針を転換したということがあります。近年においても、2014年のソチ五輪ボイコットや2022年の対露経済制裁発動の際も、米国は日本に同調するよう圧力をかけてきています。仮に北方領土問題に解決の兆しが見えても、条件によっては米国が再び圧力をかけてくる可能性も十分考えられるのです。

このように北方領土問題解決の前にはいくつのハードルがあり、単に四島を還せといったところで還ってはこず、さりとてロシアが返還に譲歩してくれるほど関係を改善することもまた難しい、という状況なのです。

3.日露関係の今後を考える

2022年2月24日に始まったウクライナ侵攻を機に、日本は強力な対露制裁を発動、ロシアもそれに対する対抗措置を取り、日露関係は戦後最悪レベルに悪化しています。

ウクライナ侵攻はロシアによる侵略戦争であると考える僕の立場からすれば、日本はロシアに対して妥協するべきではないと考えます。力による現状変更を国際社会が追認すれば、今後同じような侵略行為が別のところで繰り返され、今度は日本が直接的に不利益を被る事態が起こる可能性もあるからです。

ウクライナ戦争がどう終わろうとも、日本がウクライナを支持したという事実は、将来の日露関係に禍根を残すことになるでしょう。しかし、日本と米国、ドイツとフランスのように、戦争したからといって未来永劫敵対関係にあり続けるわけではありません。かつての日本とロシアも、日露戦争から数年後には友好関係に転じています。ですから、日露関係の将来も、必ずしも対立関係にあるわけではないだろう、と僕は思います。

もちろん、話はそう簡単ではありません。日露関係は米露関係によって規定される以上、まずは米露関係が改善しない限り、日露の友好は困難でしょう。また、ウクライナ戦争終結後、ロシアが侵略行為やウクライナ人への虐殺、領土の不法占領をどのように清算するのか、ということも関係してきます。終わり方によっては、終戦後も対立は長く続くかもしれません

将来の話は予測不可能な部分が多いですが、しかし、希望は持ちつつも、今はロシアの不法行為に対して毅然とした態度で応じるべきではないか、と思います。

4.まとめ

今回の連載は全21回と、これまでの連載の中で最長となっています。本当はいつもより少し短いくらい(12回くらい)でまとめるつもりでいたのですが、「このテーマは重要そうだな」とか、「このテーマは1本にまとめるには長すぎるな」という風にしているうちにドンドン本数が増えていってしまいました。ただ、まだまだ調べたりないことや、書ききれなかったことがあるので、今後機会があれば記事にしたいと思います。

今回の連載を執筆して学んだことは、「歴史は現在の目線からイメージされやすい」ということでしょうか。僕の祖父は「ロシアは信用できない」、「ロシアはすぐ裏切る」とよくいっていましたが、こうした戦中・戦後のロシア(ソ連)のイメージが、そのまま日露関係における対立的な要素の強調へとつながっているような気がします。しかし、これまでの連載を読んでいただければ、対立あり・友好ありの豊かで複雑な関係をたどってきたことがお分かりいただけるかと思います。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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