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【日露関係史19】安倍VSプーチン

こんにちは、ニコライです。今回は【日露関係史】第19回目です。

前回の記事はこちらから!

2012年5月、再選を果たしたプーチンは4年ぶりに大統領の座に返り咲きます。同じ年、日本においても民主党から自民党への政権交代が起こり、安倍晋三が内閣総理大臣へと就任しました。安倍は「戦後外交の総決算」を掲げ、父・晋太郎も命を懸けて取り組んだ北方領土問題解決に積極的に取り組みます。しかし、結果はご存じの通り、2024年現在においても北方領土問題は何の進展も見せていません。安倍外交はなぜ失敗に終わったのでしょうか。今回は、2012年から2020年まで続いた第二次安倍政権期の日露関係について見ていきたいと思います。


1.日露の蜜月

自民党総裁・安倍晋三は、2012年12月の総選挙当日の記者会見において、「領土問題を解決して平和条約締結に至ればいいと思う」日露関係改善に意欲を示しめしました。プーチン大統領は安倍の発言を「非常に重要なシグナルだ」と高く評価し、好意的な反応を示しました。翌2013年4月には、安倍は日本の首相として10年ぶりにロシアを公式に訪問し、プーチン大統領と会談を行います。これ以降、安倍はプーチンとの個人的信頼関係を深めることで領土問題解決を図ろうと、通算27回の首脳会談を行うことになります。

安倍晋三(1954‐2022)
第90・96‐98代内閣総理大臣。2012年の政権交代後、野党や党内反対派を抑え、「安倍一強」と呼ばれる状況を作り出す。在任期間は通算3188日、憲政史上最長となった。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64095558

この安倍・プーチン会談の直後に発表された「日露パートナーシップの発展に関する日露共同声明」の中では、北方領土問題解決と平和条約締結に関して、双方が受け入れ可能な解決案を作成する交渉を加速させることが合意され、シベリア・ロシア極東開発のために日露両国が協力を進めることが記されました。さらに、両国の外相・防衛閣僚による定期協議、通称「2プラス2」が創設されることとなり、同年11月に初の「日露2プラス2」が開かれました。

日露2プラス2(写真は2017年)
左からショイグ国防相、ラヴロフ外相、岸田外相、稲田防衛相。2プラス2は、米国やオーストラリアなどの友好国としか行われておらず、ロシアとの創設は極めて異例だった。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57257888

プーチンは、2014年2月に開催するソチ五輪の開会式への出席を安倍に要請します。米露関係の悪化にともない、開会式への出席をボイコットすることにしていたバラク・オバマ米大統領は、訪露を控えるよう日本政府に圧力をかけますが、安倍はこれを跳ね除けて出席を決定します。2月7日、安倍は「北方領土の日」に開催された北方領土返還要求運動全国大会へ出席したその足で、そのままソチに飛ぶというアクロバットな旅程で訪露し、五輪開会式へと出席、その翌日にはプーチンとの会談に臨みました。

ソチ五輪開会式
ソチ五輪は、ロシアの威信を国内外にアピールし、さらに北コーカサスに残るチェチェン紛争の暗いイメージを払しょくするため、その成功をかけ莫大な国費をつぎ込まれた。
CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31203058

2.ウクライナ危機と二律背反外交

ソチ五輪が閉会式を迎えようとしていたその頃、ロシアの隣国ウクライナでは、反政権デモが激化により、2月21日にヴィクトル・ヤヌコヴィチ大統領を解任され、親欧米志向の暫定政権が発足していました。この混乱に乗じ、ロシアは秘密裏に軍隊を派兵して、2月27日にクリミアを電光石火で制圧、3月18日にはロシアへと併合するという暴挙に出ました。この辺りの流れは下記の記事でまとめてますので、興味のある方はご、ください。

欧米諸国はロシアの行動を非難し、対露経済制裁を発動しますが、対露関係を重視する安倍政権は、米国からの反発をかわしつつ、ロシアとの友好関係も崩さないよう、ロシア政府関係者など23人に対するビザ発給停止という極めて形式的な措置に留めました。しかし、日露の接近を快く思わない米国からの圧力もあり、年内に予定されていたプーチンの訪日はキャンセルとなり、さらに日露2プラス2も中断となりました。

それでも安倍やその周辺は日露関係改善を諦めておらず、プーチンもまた、経済制裁を切り崩そうと日本へと働きかけます。12月5日には、ウラジオストクで日露経済諮問会議が開催されて両国の経済人150人以上が出席日露の経済対話が再開します。翌2015年11月6日には、「日露間におけるエネルギー協力に関する国際会議」が開かれ、ロシアのエネルギー産業の最大手であるロスネフチ社長イーゴリ・セーチンが来日し、経済分野における日露の共同事業を呼びかけました。

イーゴリ・セーチン(1960‐)
KGB出身といわれ、国営企業ロスネフチ社長。プーチンの「側近中の側近」、「シロビキの総帥」、「ダースベイダー」などと呼ばれ、ロシアの政治・経済に大きな影響力を持っている。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=62712779

この一方で、ロシアは北方領土問題に関しては、高圧的な姿勢を取り続けました。2014年9月には大統領府長官セルゲイ・イワノフが、翌15年8月には、ドミトリー・メドヴェージェフ首相が択捉島を訪問し、島のインフラ整備の進捗を視察します。また、2015年6月には、日本が戦前からオホーツク海で行ってきたサケ・マスの流し網漁を全面禁止することを一方的に発表、さらに8月には、北海道・広尾の漁船が、北方領土周辺でロシア側に拿捕される事件も起こりました。ロシアは経済協力を求める一方で、領土問題には強硬な姿勢を取るという二律背反的な外交を展開したのです。

3.新しいアプローチ

2016年5月6日、プーチンからの提案に応じて安倍が非公式にロシアを訪問し、ソチにおいてウクライナ危機後初の首脳会談が実現します。このソチ会談において、安倍はプーチンに、未来志向の考えに立って交渉を行っていく「新しいアプローチ」が必要ではないか、と呼びかけました。これ以降、安倍はこの「新しいアプローチ」を日露外交に中心に据えるようになり、同年9月のウラジオストク会談後の記者会見においても、「新しいアプローチに基づく今後具体的に進めていく。その道筋が見えてきた」と発言しました。

しかし、「新しいアプローチ」とは具体的に何を示すのかについては言及がありませんでした。それどころか、「新しいアプローチ」について安倍と話し合っているはずのプーチンさえも、「何が古いアプローチで、何が新しいのか、私は知らない」と語っています。つまり、「新しいアプローチ」とは、言葉だけが先行しているだけで何の具体性もない提案だったのです。

12月15日、プーチンが11年ぶりに来日し、安倍の地元である山口県長門市を訪れ、老舗旅館「大谷山荘」で首脳会談を実施します。しかし、ビザなし交流の手続き簡素化などについて合意があったものの、北方四島の帰属に関しては何ら進展がありませんでした。その一方、今回の成果として喧伝されたのが、北方領土における共同経済事業の開始です。共同経済事業は「平和条約締結に向けた重要な一歩になり得る」とされましたが、どのような法的枠組みの中で実施するか全く詰められておらず、さらに、経済協力のみが先行し、領土問題の交渉は一向に進展しない危険性をはらんでいました。

長門会談
首相官邸内では、長門会談で「長門宣言」が発表され、交渉は大きく動くという楽観論がまかり通っていたが、実際には大きな成果を得ることはできなかった。
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4.「年末までに平和条約を」

2018年9月、自民党総裁選に勝利した安倍は、その勢いで、ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムに出席します。安倍はフォーラムの壇上で演説を行い、日本の協力がロシアの社会経済の発展に役立つことをアピールし、「今やらないで、いつやるのか。我々がやらないで、他の誰がやるのか」と、プーチンに平和条約交渉の前進を呼びかけました。

東方経済フォーラム
ロシア極東部への投資を促すためにウラジオストクで開催される国際会議。安倍は習近平らアジア・太平洋諸国の首脳の前で、プーチンからの挑戦を受けることになった。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=72724420

ところが、安倍の演説が終わるとプーチンは発言を求めました。「平和条約を締結しようではないか。今とは言わないが、年末までに。いっさいの前提条件を付けないで」。恐らく予想外の提案だったのでしょう。プーチンの切り返しに、安倍は否定することも肯定することもできず、ただ曖昧な笑みを浮かべていただけでした。

東方経済フォーラムから2か月後の11月14日、安倍とプーチンは、ASEAN及び関連諸国との首脳会議が開催されていたシンガポールにおいて、首脳会談を行います。この1時間半の会談の後、安倍は記者会見において「平和条約締結問題について相当突っ込んだ議論を行いました」と発言し、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意したことを伝えました。

5.日露の隔たり

1956年の日ソ共同宣言を基礎にするとは、どういう意味なのでしょうか。共同宣言第9条では、平和条約が締結された後に歯舞・色丹の二島を引き渡すと定められています。このことから、日本側は歯舞・色丹の「二島返還」であれば、ロシアは平和条約締結を結ぶと解釈し、従来の四島返還論を放棄し、二島返還へと方針転換します。しかし、この重大な方針転換は国民には一切明かされることがなく、安倍とその周辺は「日本政府の立場は変わっていない」と繰り返すだけでした。

しかし、ロシア側の考えは全く異なりました。ロシア側の主張は、プーチンが「前提条件なしに」といったように、領土問題を棚上げにし、まず平和条約を結ぶべきだというものでした。さらに、ロシアがの交渉責任者となった外相セルゲイ・ラブロフは、平和条約を締結するということは、第二次世界大戦の結果を認めることだとと主張し、まず四島がロシアの帰属であることを認めるよう、日本側に求めました

プーチンは、日本に島が引き渡された後に米軍基地が配備される可能性沖縄の在日米軍やイージス・アショアなどのミサイル防衛システム平和条約締結の妨げになっていると主張します。さらに、安全保障の問題について、日本は米国の意向に反する決定を下せないのではないか、と指摘しました。プーチンは、日本が米国の傘下から離れるよう迫っており、無理難題を押し付けて領土問題解決を極めて困難なものにしました。

6.安倍外交の行き詰まり

年が明け2019年に入ると、日露平和条約締結交渉は本格的にスタートし、1月14日には河野太郎・ラヴロフ両外相による第1回外相協議、2月16日には第2回外相協議が行われます。しかし、ロシア側は北方四島は第二次世界大戦の結果、ロシアの帰属となった、という原則的立場を崩さず日露の溝は全く埋まりませんでした

河野太郎(1963‐)
第4次安倍内閣で外相を務め、祖父・河野一郎も携わった北方領土問題解決に意欲を示し、交渉担当となる。しかし、交渉が進んでいるかのようにアピールするだけで、何の成果もあげることができなかった。
CC BY 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=86732146

6月27‐28日に大阪で開催されたG20サミットで、安倍とプーチンは首脳会談に臨みますが、その後ロシア側との合意文書として発表された「日露首脳会談に関するプレス発表」は、これまでの合意内容を改めてまとめただけの中身のないものでした。9月5日、通算27回目の首脳会談がウラジオストクで行われますが、領土問題の具体的進展はなく、交渉の手詰まりは誰の目にも明らかでした。

大阪G20サミットでの安倍とプーチン
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=89778611

2019年12月、新型コロナウイルスの流行が中国武漢市から始まり、年が明けた2020年にはパンデミックと化しました。日露両国とも感染者が急拡大し、3月に行われる予定だった外相会談は延期、安倍が出席を予定していた5月9日の対独戦勝記念式典もまた中止となりました。日露関係が疎遠化する中、8月28日、安倍は持病の潰瘍性大腸炎が再発したことを理由に辞任を発表します。こうして、7年8か月に及んだ安倍の対露外交は、大きな成果を上げることもできずに終わりを迎えました。

辞意を表明する安倍
8月31日、安倍はプーチンと最後の電話会談を行った。最後はお互いに「ウラジーミル、スパシーバ」、「シンゾー、ありがとう」と謝意を伝えたという。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=93754313

7.まとめ

首相辞任後に北海道新聞のインタビューを受けた安倍は、二島返還への方針転換について、「100点を狙って0点になるならば、何の意味もない…ロシアが考慮する可能性のあるものを投げかける必要があると考えた」と述べています。しかし、安倍の対露外交は何ら成果を上げておらず、彼の発言通り0点の外交だったと言えるでしょう。

安倍の対露外交が失敗した要因とはなんだったのでしょうか。僕の個人的な意見としては、プーチンとの個人的信頼関係を深めることで領土問題解決を図るという、安倍の交渉方針が根本的に誤っていたのではないかと思います。

こんなエピソードがあります。米国のジョージ・W・ブッシュ大統領は、大のロシア嫌いであり、大統領就任後もプーチンとの会談を拒否し続けていました。ところが、そんなブッシュも、たった一度プーチンと会談しただけで彼を「信頼に足る人物」だというようになり、お互いをファーストネームで呼び合う仲になりました。

プーチンは元KGB、すなわちスパイです。スパイの仕事とは、相手を騙して情報を盗み出したり、工作を仕掛けること。つまり、スパイとは、相手にうまく取り入る術に長けている人物であり、プーチン自身の言葉を借りれば、「人間関係の専門家」です。果たして、そのような人物と個人的信頼関係を深めることなど果たして可能なのでしょうか?首脳会談を重ねた安倍は、プーチンを信頼できる人物だと思ったのでしょうが、それこそプーチンの術中のはまってしまったと言えるのではないでしょうか。プーチンという人物を見誤ったことこそ、安倍の失敗だったのではないかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考

日露関係通史については、こちら

安倍の対露外交については、こちら

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