【ロシア連邦の歴史9】近年のロシア~プーチン4期目、パンデミック、そして戦争へ~
こんにちは、ニコライです。昨日はプリゴージンが武装蜂起を宣言し、ワグネルがモスクワを目指し進撃するという事態になりましたが、結局ルカシェンコ大統領の仲介で収束に向かった模様です。あまりにも急展開すぎて事態を把握しきれていませんが、今後もロシア情勢からは目が離せません。
今回は【ロシア連邦の歴史】の第9回目、今回で最終回となります。今回は2018年から現在にいたる流れを見ていきます。同時代性が強く、現在進行形の出来事も多いため、歴史の範疇から外れてしまうかもしれませんが、現段階でわかっている範囲についてまとめられたらと思います。
1.プーチン4期目と憲法改正
2018年3月の大統領選挙で、プーチンは76パーセントの得票率を得て4回目の当選を果たしました。最大の対抗馬と目された反体制派アレクセイ・ナワリヌイが、執行猶予付きの有罪判決を受けて出馬できなかったため、選挙結果はプーチンの独走となりました。
4期目に突入したプーチンは、憲法改正に着手しました。ロシア連邦憲法では、大統領の任期は6年、連続3選は禁止とされており、このままいけば、プーチンは2024年まで大統領を務め、その次の選挙には出馬できないことになります。2020年にプーチンが提起した憲法改正案では、連続3選禁止を厳格な3選禁止にするとされていましたが、その後の議会では現職大統領の任期はカウントしないと修正されました。
2020年7月の国民投票でこの案は採択され、正式に憲法が改正されました。これにより、プーチン大統領は2024年以降もさらに2期12年、2036年まで権力を握り続けることが可能となり、場合によっては終身大統領になる可能性さえ出てきました。
2.新型コロナウイルスへの対応
2019年末、中国武漢にて新型ウイルス性肺炎が確認され、以降急速に世界中へと拡散し、2020年3月にはWHOにより世界的流行(パンデミック)が宣言されました。中国と陸路を接するロシアは、ただちに中露国境を閉鎖し、感染者のシベリアへの隔離を実施しました。さらに、同年4月にはモスクワ市のロックダウンに踏み切りました。
こうした対策をとる一方で、プーチン大統領は新型コロナウイルス問題を国内へのプロパガンダに大いに利用しました。自国の感染者数を不当に低く報告し、自国の感染症対策がいかに優れているかを喧伝する一方で、新型コロナウイルスは欧米が政治的目的で作成した人工物であるという陰謀論を発信し、国民の団結を図りました。また、フェイクニュース拡散を禁止する一連の連邦法を発効し、新型コロナウイルスに関連する国内のフェイクニュースの撲滅に勤めました。もっとも、国内での感染拡大自体がフェイクニュース扱いされるため、情報統制という意味合いが強いものでした。
国内的にはフェイクニュースを取り締まる一方で、対外的には新型コロナウイルスは「米国による生物兵器」であるとする陰謀論や、悪質な偽情報を、政府系メディアやSNSを利用して発信し続けました。その数は2020年3月時点で実に200万件といわれていました。これには、欧米諸国、特に大統領選挙を控えた米国に対し、社会不安を煽り、団結を挫くための外交工作であったと言われています。
3.ウクライナ戦争への道
2020年の米国大統領選挙では、現職のドナルド・トランプが破れ、ジョー・バイデンが当選を果たしました。「アメリカ・ファースト」を掲げ、ウクライナ問題にも冷淡な姿勢で臨んでいたトランプと異なり、バイデンは就任直後からクリミア併合を認めない声明を発表し、ウクライナへの軍事援助の強化を発表しました。ロシアはこの事態に神経をとがらせました。
2021年3月、演習という名目で、ウクライナ国境地帯にロシア軍が結集し始めました。その数は、主力部隊を含む総勢11万人と大規模であり、ロシアとウクライナの関係は急速に緊張感を高めました。4月22日、ロシア国防相セルゲイ・ショイグは演習は終了したため、ロシア軍は撤退するとの声明を発表し、事態は緊張緩和に向かいました。しかし、その後も8万人規模のロシア軍が国境に残り続けました。
2021年10月、米国の情報機関は、ロシアが本気でウクライナ侵攻を考えているとバイデンに報告、その後、侵攻の懸念は国際的に認知されるようになっていきました。米国をはじめNATO諸国は、ロシアがウクライナに侵攻すれば、さらなる経済制裁を行うという姿勢を示しましたが、ロシア側は自分たちは戦争を望んでおらず、NATOの東方拡大が安全を脅かしていると応酬しました。
2022年に入っても、ロシア軍は撤退する様子を見せず、むしろ、その規模はますます増加していきました。2月18日、バイデン大統領は「プーチン大統領がウクライナ侵攻を決断したと確信している」と述べました。2月21日、ロシアは「ドネツク人民共和国」、「ルガンスク人民共和国」の独立を承認、そして24日、「特別軍事作戦」の名の下、ウクライナへの侵攻を開始しました。
4.長期化する戦争
ロシア軍にしろ、欧米諸国にしろ、ウクライナ軍が長期間にわたって組織的な抵抗をすることは不可能であるとみていました。ある国の駐ウクライナ大使は、ウクライナ側からの軍事援助の要請に対し、「48時間以内にすべてが終わるのに、なぜ貴国を助けなければならないのか」と述べたと言います。しかし、ウクライナ軍は予想外の抵抗力を見せつけ、開戦から1か月以上にもわたって、キーウをはじめ北部の主要都市を防衛し続けました。
開戦から1か月後の3月25日、ロシア側は「特別軍事作戦の第一段階が終了した」として、北部方面からの撤退と今後は東部方面へ注力することを発表しました。この頃から西側諸国の姿勢も変化し始め、米国やNATOの旧東側諸国からウクライナへの大規模な軍事援助が始まりました。また、キーウ近郊のブチャでの住民虐殺が発覚したことから、国際的なロシアへの非難が高まりました。
東部方面へ再結集したロシア軍は、南東部の都市マリウポリを陥落させ、ルハンシク州全土を制圧するなどの成功を見せました。そして、9月30日には、ロシア軍に占領されたルハンシク、ドネツィク、ヘルソン、ザポリージャの4州で住民投票が行われ、ロシアへの併合が宣言されました。しかし、ウクライナ側も一歩も引く姿勢を見せず、現在に至るまで、東部では一進一退の攻防が続いています。
5.まとめ
最後に、今回の連載で見てきた、現代ロシアの特徴についてまとめたいと思います。
① プーチンの個人独裁
第一に、ロシアは、ウラジーミル・プーチンという個人を中心とした統治体制、「プーチノクラシー」の国である、ということです。ロシアで安寧に過ごすためには、プーチンを支持するか、あるいは無関心を装うかしかありません。彼に逆らう姿勢を示せば、財界の成功者であろうが、ジャーナリストであろうが、容赦なく逮捕、国外追放、あるいは暗殺されることになります。かつて、ロシアの体制は、ナチス・ドイツや北朝鮮などとは異なる「ソフトな権威主義」であるとされていましたが、現在のプーチン大統領の振る舞いはもはや独裁者としかいいようがありません。
② 被害妄想国家
第二に、ロシアは常に「西側からの攻撃にさらされている」と思い込んでいる被害妄想の激しい国である、ということです。我々日本人からすると、自国民を弾圧し、近隣諸国に戦争を仕掛けるところを見て、「ロシアはなんて酷い国なんだ」と思うところですが、ロシアの主観でみると、それらはすべて西側諸国(特に米国)からの攻撃に対する反撃・防衛・意趣返しに過ぎないのです。
③ 近隣諸国への執着
ロシアは近隣諸国=旧ソ連諸国を、自分が特別の権利を持つ影響圏であると見なし、強い執着心を抱いています。近隣諸国は、ロシアの経済上、そして安全保障上とても重要な存在なのです。そして、これらの国々が自分のもとから離れることをひどく嫌い、もし反露・親欧米派政権が樹立すれば、それは「西側による工作」と見なし、圧力をかけるのです。
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誕生から32年がたったロシアは、現在岐路に差し掛かっていると思います。プーチン独裁が崩壊して新たな体制となるのか、それとも北朝鮮のような独裁国家へと転落していくのか。この先どうなっていくのかは誰にもわかりません。個人的には、ただちにウクライナから完全に撤退し、正常な民主主義国家として再出発することを願います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。
参考
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