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【連載小説】「記憶は甘味な終末への道」(1)

旅立ちかと思えば
それは帰り道でもある
始まりのようでいて
終わりでもある
名前のない子よ

G-く66地区の壁の落書きより


「ようこそ!」

大袈裟な身振り手振りを交えながら、古めかしいブルーのスーツで決め込んだ中年男が目の前に現れた。調子のいい口調で男性用育毛剤を勧めてくる。
私は首を横に振った。すると男はたちまちに消え失せた。

この日も地下坑道は人でごった返していた。そのなかを私は急いで歩いた。
地下坑道はどこまでも延々と続く。人混みも途絶えることはない。あの「終末の6ヶ月」の際に塹壕として掘られたものがこの広大な地下世界の起源らしい。しかしそんなことは誰もが忘れている。空間いっぱいに広がる「感覚直入型広告=SENSEシステム」に彩られた道を通る時、誰もそんなことなど考えるわけがない。
あの半年間で人類の半分が死んだ。東京の街も荒れ果てた。しかし、それももう200年も前のことである。誰も気にしてはいない。人は忘れっぽい。

私は首を横に降り続けながら、人混みを押しのけて歩いた。皆首を横に振りながら、思い思いの方向にのんびり歩いている。絶え間なく動き続ける排気口の轟音も、誰の耳にもはいらない。

「終末の6ヶ月」を気にしている人間は少なくても、“体験した”人間はいる。大戦が激しさを増すなか、危機感を覚えた一部の人間は生まれたばかりの乳幼児を大量に“保存”した。人口培養機と生命冷凍技術を使い、大戦が終わり放射能汚染が一段落するまで、新たな時代の希望を確実に後世に残すために。彼らは「次代の子=ネクスト」と呼ばれた。彼らは、その大戦が終わってからしばらく“解凍”されることはなかった。大戦の終結から150年以上も経って、やっと地下深くから発見されたのだ。私もその一人だった。
ただ私の場合、冷凍されたのは乳幼児のときではなく、10歳のときだった。そこまで高齢で冷凍されたのは私だけで、その理由は知らないが、冷凍技術を開発した“イトウ博士”の意向によるものだったと聞いていた。

電話が鳴った。私は右頬をなでた。眼前に妻の顔が浮かび上がる。いよいよ焦っている。薄暗い部屋で、助産ロボットに囲まれながら、こちらに向かって叫びとも言える言葉を発している。声が聞こえそうで、聞こえてこない。あちらがマイクを焦ってオンにし忘れているのか、こちらの通信状況が悪いのか。未だに地下道の通信状況は改善されない。大戦から2世紀も経っているのにこのザマだ。一度失われたものを取り返すのが、こんなに難しいとは。
一度失われてしまったもの・・・

唐突に、妻の声が聞こえた。嬉しさと恐怖が一体となったような、それまで見たことのない表情だった。とにかく、早く、早く、と繰り返している。私は言えるだけのことは言った。すなわち、今自分が急いでいるという事実、そして頑張ろう、大丈夫、という正直ではあるが無力でもある言葉。妻は特に何も変わることなく、最後に一言伝えようとしたが、その前に通話は切れてしまった。

私は歩みを早めた。しかしこの人混みではそれにも限界がある。やるだけのことを、やるしかない。そう自分に言い聞かせ、人とあざとい“SENSE”たちをかきわけていった。

A-18坑道が見えた。ここを右に曲がり、そしてG-66坑道をまた左に曲がれば、妻の待つ「出産センター」に着くことができる。まずは、A-18坑道を行くことだ。実際、右腕に組み込まれたナビゲーションシステムもそう言っている。先ほどから何度も、右腕から発信がくる。もうすぐ右だ、右に曲がれ、と。

曲がり角までやってきた。すると、耳障りな通知音が鳴った。大きな感覚直入型の掲示板が“立って”いて「整備中・通行不可」とある。珍しいことではなかった。またどうせ、“SENSEシステム”の整備のためだ。街中、坑道中に張り巡らされたこの広告システムは、常に拡張と更新を繰り返していた。人々はより多く、よりリアルな感覚の直入を求め、広告会社も発信装置を加速度的に増設していた。連邦政府には、もはやその“暴走”とも言える現象を制御するだけの力はなかった。
ナビゲーションシステムの更新の遅さにはイライラさせられる。普段は優秀なこのシステムも、これだけ多い坑道整備のスケジュールに対応できていない。通行不可が解除されるのは1時間後のようだ。とてもじゃないが、間に合わない。

選択肢は2つあった、一つは迂回して、A―22坑道にまわり「健康維持センター」を通ってG-66坑道に出る方法。しかしこれでは、おそらく30分はタイムロスをする。もう一つは、今私の横にある通路から地上へ出て、裏路地を通ってG-66坑道に再び降りる方法。こちらの方が圧倒的に早い。しかし、それはリスクを負うことを意味する。

放射能による汚染は(少なくとも連邦政府の発表によれば)、もう健康に問題ないレベルまで低下していた。治安も、地下の人々が思っているほどには悪くない。というよりは、地下の人々が思うほど、地上には治安が悪化する“要素がない”のだ。
リスクというのは、“ヤツ”のことだ。遭遇しないことを、願うしかない。

迷っている暇はなかった。私は地上へ上がる通路へ向かった。徐々にマシンガンの発射音のような音が大きくなる。雨が地上に叩きつけられる音だ。
一番上まで駆け上がり、3段階の防護扉を開けた。案の定、激しい雨が降っている。これで105日連続だそうだ。今年は何ヶ月降り続けるのだろう。昨年の8ヶ月連続という記録を更新するかもしれない。ポケットから除染マスクとレインスーツを取り出し、使用モードに切り替える。

町に色は無かった。
かつての栄光を失った建物が並び、それらは面白いように没個性的に見えた。電気が消え、人が消え、するとそこに残るのは、役目を終えた無用の長物だ。それらは“現役時代”はそれぞれの個性を持っていたかもしれない。しかし、その存在目的がなくなれば、もはやどれもこれも同じ“無機質な物質の塊”でしかないのだ。

私は、それでもなぜか、地下よりも地上の方が好きな時があった。地上にはほとんど人影がない。狭苦しい地下でも、やっていけるのは、それが仕方ないことだからであった。
更に地上にはあの忌々しい“SENSE”がない。
「感覚直入型広告=SENSEシステム」は実物としては存在せず、脳内に送られる電波によって感覚内によってのみ再現される広告だ。電波はその人の脳内を即座にスキャニングし、それぞれの記憶や欲望に合わせた広告を感覚内に展開する。場所やその時の気分を読み取って、広告は私達にありとあらゆるものを勧めてくる。当然、それはかなり効果的な手法だった。私達は半世紀前から、脳内さえも広告業界に支配されていた。
地上にはそれがない。腕にまとわりついてきて高圧縮ジェルの効果を勧めて来る美女や、突然何の前触れもなく切りつけてくるゲームキャラクターの侍もいない。

私は早足で荒廃した街を歩いた。
相変わらずの雨。道に叩き落される音でまともに人と会話するのも難しい。薄暗い灰色の空には、雲というかむしろ煙と呼べるような影のついた景色が広がっていた。もう200年もの間、変わっていない風景。

悲しい。
突然こみ上げてきたこの感情に、自分自信が戸惑った。それはちょうど、灰色の空を見上げた時だった。
自分が今行くべき場所や、やるべきことは明確だった。妻の元へ急ぐ。新たな生命の誕生を、共に祝う。それがなぜか、灰色の空を見上げた時、一瞬にして悲しさに変わった。

私には、幼少の記憶がない。
ネクストはそのほとんどが、長期に渡る冷凍状態によって脳に何かしらの障害を持っている。勿論、発見されたときにはすでに死んでいた者も少なくない。私の場合は、脳の記憶を司る部分にその障害が残った。冷凍される以前の記憶がすっぽり抜けていた。

私は、自分の存在の根拠を失っていた。

(つづく)


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