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沖縄、金城の大アカギ

人は時々「最後は神頼み」と神様に丸投げをする。
神の領域にどうか思いよ届けと手を合わせる。

沖縄県那覇市、首里城近くにある金城の大アカギも神の領域で年に一度だけの願い事を叶えてくれるという。

首里城からつながる石畳で有名な金城に戦前、戦中、戦後と沖縄を見つめてきたアカギの木が6本そびえ立つ場所がある。アカギの手前には神社でいう拝殿にあたる石でできた門があり、拝所(うがんじゅ)になっている。沖縄では聖域の場所を御嶽(うたき)というが、ここは内金御嶽(うちかなぐすくたき)と呼ばれている。

大アカギの神木は完全に根付いて、根元を覆い隠す草木がうっそうとしていて、長年にわたり首里の地に深く腰かけていることが分かる。
石畳からつながる坂道の先の小道は昼間でも薄暗く、坂を下る小道の先は大アカギの伸びやかな枝が天まで伸びてぽっかり空が狭い。
射し込む日差しは深緑色の葉が所々で遮ってまろやかに頬に当たる。那覇の大都会でそこだけ時間が止まっているような、ポツリと時代に取り残されているような風が過ぎていた。

大地のエネルギーを十分に吸収した幹には老いを感じるシワが深く刻まれているが、決して朽ちないみずみずしい生命の営みを垣間見る。先ほどから足にまとわりつく蚊と汗がわずらわしいが、気にしているヒマがないほど魅了される姿である。

大アカギの神木を前に手を合わせ願い事を噛み締めると不思議と穏やかな気持ちになる。
願い事が叶う喜びはもちろんだが、こうして長い年月をかけて生き抜いた大アカギが令和になっても人のよりどころとしてたたずんでいる平和が尊い。
いつまでもたたずんでいるいたくなる場所は人の声を聞いて、寛容に受け止め続ける場所だった。
慌ただしく駆け巡る時間をわざと止めてみる旅もまた新たな時間の発見になるだろう。
願い事がかなえば、なおさら旅の思い出も深まるというものだ。