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台風、黒米と乾燥キクラゲの話

人の行動をユーモアと思うか、どうしようもないと捉えるか、受け手側の心持ちによってどちらにも転ぶ。お先真っ暗な世界でも、ゆかいな世界にポンと変わる。
沖縄県西表島で起こった黒米と乾燥キクラゲにまつわる出来事に楽しく生きるコツが見えた気がした。

台風8号が発生したのは出発当日だった。
はるか南に出来た雲の渦は何度呪文を唱えても消えてはくれず、台風情報とにらめっこの旅行は始まった。
西表島に到着してから2日間は台風のことなど忘れて遊び呆けていた。いよいよ台風が来るぞとなったのは西表島3日目の午後だ。台風が近づく離島で何日フェリーが欠航するか分からない。
石垣島に戻った方が良いというアドバイスもあった。
しかし、夫は沖縄の台風を味わって帰りたいと言う。正直、私は不安だった。
何がって食料だ。
こもる間の昼食問題である。
朝食と夕食は民宿でお世話になれるとしても、昼は自力で何とかしなければならない。
こもるとなれば外食が出来ない。腹が減ったら人間何をするか分からないではないか、しかも真夏の離島で空腹に耐えなければならないなんて切なすぎる。
あれやこれや考えている傍らでは、お世話なっている民宿さわやか荘の人たちがベランダの荷物を廊下にしまったり、窓にベニア板を張り付けるなど台風対策に追われていた。
アルバイトの女の子は手際よく台風準備をしながらも笑顔を見せながら「雨風で外に出られなくても昼食はお出しできないので、申し訳ないですが各自確保してくださいね。」っと。
ですよね、納得。
旅行客だからと言って、そこまで甘える訳にはいかないことは重々承知してる。

どんどん雲が流される空を見ながら夫婦2人の台風8号をやり過ごすための食料確保の作戦会議が始まった。手元にある食料は石垣島で買った塩せんべい1袋、菓子数種類、お土産用に買ったソーキそばのカップ麺2個である。台風の進路から考え2日間分の昼食は確保したいところだ。
近くの商店は2ヶ所。
レンタカーは台風で被害にあっても多額の修理代を負担する恐れがあるので、明日の夕方には返却する。
旅行で訪れた南の楽園で台風を生き抜く手段を模索するなど思ってもみなかった。

夫はサッと立ち上がり「できる限りのことをやろう、とにかく今のうちに食糧買ってくるよ!!」
そう意気込んで夫は時折ザッーっと降る雨の中、血気盛んに出掛けて行った。
台風接近は数日前から予測されていたので、商品はスッカラカンになっている可能性が高い。停電さえなければお湯は沸かせそうだ。カップ麺数個でもあれば飢えはしのげる。

雲行きが刻々と変化し、風が少し強くなり始める。
今朝はピーカンに真夏の太陽が島全体を包み込み、台風が近づいているとは思えないほど良く晴れた。
テレビの情報ではこれから最大風速60mが予測され、中心気圧はみるみる下がり、今や920ヘクトパスカルの大きな台風に変身していた。
台風が来る。
しかも大型で強い台風である。
こんな旅行になるとは思いもよらず、1人ポツンと民宿の部屋で夫の帰りを待つ間、台風が恨めしかった。

夫が両手に買い物袋をぶら下げてバタバタと足音を立て帰ってきた。
買い物袋が大きく膨らんでいたものだから、全力の万歳で夫を迎えたが、ぬか喜びとはこのこのである。
夫が買ってきたものは500mlの缶ビール2本、乾燥キクラゲ1袋、炊飯用黒米であった。
夫は開口一番、「乾燥キクラゲと黒米が安くてビックリしたよ。こんなに入って安すぎるわぁ。この黒米、西表島産だよ。貴重だしさぁ、これは買いでしょ。」と戦利品に満面の笑みを注ぐ表情に台風に対する不安は皆無のようだ。私の眉間のシワは確実に深く溝を作った。
乾燥キクラゲって、黒米ってなんだよ。
生米食えってぇのか!
いくら安くても、今買うかよ!台風来てんだぜ!
最強のヤツ!
あきれて物も言えぬわ!アホッ!

妻のメラメラと胸に沸き上がる怒りは夫に伝わる訳もなく、楽しそうに黒米のパッケージを眺める夫を見ていたら、急におかしくてゲラゲラと笑ってしまった。
よく考えてみたら胆が座った夫ではないか。
緊急事態に嬉しそうに乾物を眺められる根性の持ち主である。

そうだ2人とも緊急事態だと目の色を変えていても仕方がない。
夫は今の状況も冷静に受け止め、状況をどう楽しむか考えている。

夫は言う。
「西表島の人たちは毎年のように台風にジタバタしないで生き抜いている。
商店に行く間、島の人たちは植木を片付けたり、風の向きを計算して車を安全な所に移動させたり、落ち着いて台風から身を守るために淡々と準備している所を見かけた。
多少腹が減ってもさほど問題じゃない。
さわやか荘にいれば雨風はしのげるわけで、ジタバタすることが良くない。
そう思ったらいつもの買い物のクセが出ちゃったよ。
この黒米、炊いたら美味しそうだよね。キクラゲも水で戻したら肉厚で食べごたえあるよ。」
夫の気づきはこの旅行最大級の収穫である。

慣れない土地で台風に遭遇し、買い出しで乾燥キクラゲと炊飯用黒米を買ってご満悦な夫の行動はユーモラスかつ斬新で楽しいではないか。

台風は時に命を奪いかねない自然災害を起こす。
甘くみては命取りとなる。
私の南の島での台風体験は乾燥キクラゲと西表島産黒米によってもたらされた笑いがあって成功した。

もうすぐ台風の季節がやってくる。夏の終わりにスーパーマーケットで乾燥キクラゲや黒米を見かけるとクスッと笑ってしまう。

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