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【読んだ】差別はたいてい悪意のない人がする

私は差別主義者ではない、という傲慢

普段から差別に敏感なつもりだった。
ネットで話題になる差別発言やニュースは把握している方だし、考え方もアップデートするようにしていた。
それでもこの本は、容赦ないまでの事例と研究を元に、心をざっくりえぐってくる。

見たくない、恥ずかしい黒い感情が自分にもあること。
そしてそれが簡単にはクリアにできない、「差別をやめよう!」というスローガンでは解決できない複雑な感情であること。
読み終わってもなお、自分の中のそういった感情とどう向き合っていけば良いのかわからないままだ。

自分の中にある差別を発見する

ひとつ例をあげると、学歴の問題。

要は、学歴が高い人が正規雇用され年収も高いのは当然だというもの。
高い年収を得られるのは、それに見合うだけの努力をしてきたからだと。

はじめ「そりゃそうやろ」と思った。
思い出したのは知人の元ギャル。
その子は学生時代ひたすら遊びまくっていた。高校でもほぼ勉強はせず、卒業後はフリーター、24になって「まじこのままだとやばい」といって友人の紹介で保険の外交員になった。
ブラックな割に給与が安い仕事だった。辞めたいけど契約書の意味がわかんない、上司の話も意味分かんない、と相談された。
彼女はその後退職し、結婚して子どもも生んだが、世帯収入は低い。

彼女が私の状況を羨ましがったときに、思わず「あんたが何も考えずに青春してる間に、こっちは勉強頑張ってたんだよ」と言ってしまった。本音だった。

そう、私はなかなかの苦学生だった。公立の進学校にいったがお金がないから私立大学は受験できず、国立一本。浪人もさせてもらえない。塾代もないのでバイトをしてZ会をとっていた。
大学に入っても仕送りは1ヶ月でとまった。卒業後は奨学金と学資ローンで数百万の借金。親に恨みはないが、よくグレずに頑張ったと思う。

そうして頑張った自分を肯定したい気持ちがあるから、どうしても彼女と自分が平等でいいとは思えない。
それどころか、頑張ってない人に何も言う権利はない、とまで思ってしまう。

貧しいと勉強するのも大変だ、という経験がある。
非正規で働いて年収の格差にうんざりした経験もある。
でも私は全部乗り越えてきた。
そんなマッチョイズムが「同じような立場だった私が頑張れたのに、あなた達がそこにいるのは努力が足りないだけ」と言ってしまう。
黒くてどろどろした感情だ。

私達は疑問を持ち続ける必要がある。世の中はほんとうに平等なのか。私の人生はほんとうに差別と無関係なのか。(中略)考察する時間を設けるようにしない限り、私達は(中略)差別に加担するようになるだろう。

差別はたいてい悪意のない人がする 3章「鳥には鳥かごが見えない」

特権は見えにくい

はぁ、ここまで自分の感情と向き合うのは辛いものがある。
それでも考え続けなければいけないと感じる。
平等とはなにか?私が得てきたものは特権ではなかったか?

先程の例でも、うちは貧乏だったけど本だけはたくさん与えてくれていた。
姉がすごい勉強家で、同じ部屋で過ごしていたから影響を受けて、私も勉強しただけかもしれない。
非正規でうんざりした後にみつけた会社が、奇跡のように待遇が良くて、私のスキルにマッチしていたから今の収入を得ているだけかもしれない。

これまで「自分の努力の賜物」で正当化していたことも、立ち止まって振り返れば環境やタイミングによって得られた特権だったのかもしれない。

生まれも育ちもみんな違うのだから、ひとくくりに「私と同じ立場の人」なんていない。
いない集団を作り上げて、ひとくくりに「努力が足りない」とジャッジして、格差を許容してしまうことは差別なのではないか。
うん、すこしずつ思考が整理されてきた。むずかし。

子どもに見えない差別を植え付けたくない

考えることが多すぎて、長文になってしまった。
でもそれだけ重くて重要な気付きがある本だった。

まだまだ書きたいことはたくさんあるけど、私がこれから一番気をつけていきたいことは子どもに差別意識を植え付けないこと

ほとんどの人が、自分を差別主義者だなんて思っていない。
セクシャリティマイノリティに対する差別発言をした政治家は更迭されたし、批判した人は彼を「自分とは違う差別主義者」だと感じていたはずだ。

私の親も、普段は平和と平等を愛する人だ。
でもときどき偏見に満ちた発言をする。
例えば、「中国人観光客はマナーが悪いし食べ方も汚い」とか、「男の子は落ち着きがない」とか、「太った人は怠惰で自己管理がなってない」とか。

他の人の前ではこんな事言わないわよ、という。
誰かを不快にする言葉である自覚はあるのだ。
その上で、家族なんだから言いたいこと言わせてよ、という。

でも、私は逆だと思う。
親から子にかける言葉の影響力は計り知れない
不用意な言葉が、子に差別感情を植え付ける。

差別は私達が思うよりも平凡で日常的なものである。固定概念を持つことも。他の集団に敵愾心をもつことも、きわめて容易なことだ。誰かを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない。

差別はたいてい悪意のない人がする 2章「私たちが立つ場所はひとつではない」

そう、差別は日常的に私たちの周りにあるものなんだ。
私たちは差別をなくす以前に、日常にある差別感情を発見していかなきゃいけない。

でもすごく難しいことだと思う。
私も偏見が強いし、自己主張も強いから、気をつけていてもゼロにできる自信はない。言いたいことを言えないのは窮屈だ!というのも理解できる。
一体どうすればいいのか。

親が絶対の正義にならないこと

一つの答えとして、大事なのは「親の言うことが正義ではない」と伝えることだ。

私と夫はなにかと意見が結構違うので、子どもはよく混乱している。
そんな時、私は無理に合わせようとは思わない。
「お母さんとお父さんは違う人間だから違う意見になることもある。
そして世の中にはもっと色んな意見がある。
どれが正しくて間違っているのかは自分で考えなきゃいけない。
君は君で自分の意見をもってほしい。」
そう伝えるようにしてきた。

間違うことは誰にでもあるし、親は完全無欠じゃない。
何かを正義だと信じることが、他人の正義を脅かすこともある。

子どもには様々な角度からものをみる力をつけてほしい。
何気ない発言にも固定概念や偏見があり、差別につながるかもしれないと疑ってほしい。

うん。やってほしいことばかり書いたけれど、まずは自分からやってみよう。
差別感情、固定概念や偏見を発見すること。
ニュースや日常の中で、そして自分自身の中からも。

すぐには変えることができなくても、まずは自覚して、考え続けよう。




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