仁木恭平

お笑い芸人やってんだ。

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最近の記事

山口コンボイの跳躍力

M-1グランプリ2021、ケビンスでの挑戦は準々決勝で終わった。 準々決勝の前日に、俺が「少し変えれそうな言い回しとかあったら直しとくわ」と言うと、山口コンボイは「じゃあ俺は、ご飯いっぱい食べて、銭湯に行って、体をほぐしておくよ😊」と言っていた。 山口コンボイにはいっぱいご飯食べていっぱいお風呂入っててほしい俺は「OK!」と返した。 迎えた本番では、ケビンスはAグループであったものの、暖かいお客さんに助けられて手応えを感じられるほどの笑い声をいただけた。 周りの芸人か

    • ひわちゃんが自転車で転んじゃった

      こないだ、ライブを終えて家に帰ってきたママタルトのひわちゃんがリビングに入ってくるやいなや、 「最悪や…………チャリでこけた……最悪や…………」と、擦りむいて血が滲んでいる手のひらを見せながら「ただいま」を押しのけて報告してきた。 下北沢から自転車で帰っている途中、タイヤに足が絡まって転んでしまったらしい。 手さげの荷物とか傘が絡まることはあるけど、足が絡まるってなに? 今日だけひわちゃんはNANAの作画くらい足が細長かったのか考えたけど、本人も「なんでやぁ…」と半泣き

      • 30歳になる前に

        あと何日かで30歳になる。 もう本当、来週とかに。 30歳になることには抵抗ないんだけど、「結果を残していない30歳になること」がしんどい。 長い白髭を生やして杖を持っているのに村のしきたりを1つも知らないおじいさん。 歳を重ねると、村に伝わる人魚伝説のひとつでも話せるとイイ感じのおじいさんになれるんだろうけど、なんせ今の俺は長い白髭を生やしてるのに村のしきたりを1つも知らないおじいさん。 「この祠ってどうして作られたの?」とか聞かれても「わかんね」と答えるだけ。

        • これからのこと

          ひみつスナイパー健は解散します。 結成のきっかけは、前のコンビを解散するにあたって、当時の相方から「次はどんな人と組みたいとかあるの?」って聞かれて「俺はMCとかが得意じゃないから元気あって回せる人が理想だなあ」なんて言ってたら、元相方が「ピッタリなのいるよ」という紹介文で連れてきたのがふじこだった。なんでよ。話聞いてたのか本当に。 当時のふじこは今よりも元気がなくて回せなさそうだったけど、ガチャガチャだったら絶対にシークレットになるような、国民的アニメの、原作オリジナル

        山口コンボイの跳躍力

          イルカショー

          俺は今、代々木カサグランデというマンションの1室でお笑い芸人5人でルームシェアをしている。 それを人に話すと「楽しそうですね」とよく言われるけど、実際にかなり楽しい。 メンバーは俺と、 ひわちゃん(一番温厚でムードメーカー) 坂田くん(一番熱くて男気がある) 平井くん(一番堅実で判断力がある) ZAZY(ザズィー) の5人。事務所は違うけど全員お笑い芸人の全員同期。 俺は途中から入居したんだけど、過去には1週間で出ていった芸人や、ソファと壁の間の30センチのス

          イルカショー

          黄金のキノコ

          子供の頃、マリオカート64を友達とよくやっていた。 マリオカートにはアイテムが何種類もあって、その中に黄金のキノコがある。効果としては、ボタンをがむしゃらに連打するとターボのようにスピードをあげて一気に上位に浮上できるアイテム。みんなその黄金のキノコを“ここぞ”という場面で使っていた。 今がその黄金のキノコを使う場面なんだと思う。 8月22日の13時から、月1レギュラーで出させていただいている「ウケメン」というコント番組のイベントがお台場で開催される。 フジテレビの本

          黄金のキノコ

          女子

          多分俺は、女子に嫌われる方だ。 小学一年生の頃、入学式ではじめて会ったユキちゃんに一目惚れをした。初恋の子。 肌が白くてショートカットで男っぽい性格の女の子で、いわゆる「タイプ」だった。 今でもその「タイプ」は変わらず、街でそういう子を見かけるたびに「もう2度と会えないのか」と勝手に落ち込んでしまうから下北沢とかを歩くたびにボロボロになる。 当時は「付き合いたい」なんて気持ちもよく分かってないけど「好き」という気持ちを伝えたら、なんかよくわからないけど相手も「ありがと

          俺はお母さんに何が出来るのか

          親孝行をしていない。 18歳まで北海道の長万部という、近所のTSUTAYAまで車で30分、近所のマクドナルドまで車で2時間半かかる場所で育った。 小学5年生くらいから親の前で「芸人になれたら楽しいだろうなあ」と、決定打に欠ける軽めのジャブを打ち続けていたのだが、17歳の頃に高校の進路調査票に「お笑い芸人」って書いた俺を見て、親が待ってましたと言わんばかりに「あんたは面白くないから無理」と言ってきた。 たしかに俺は親の前で“ウケ”を狙ったことがなかった。 10歳くらいの

          俺はお母さんに何が出来るのか

          コント番組

          こんにちは。仁木恭平です。 18歳で北海道から上京してお笑い芸人を始めたけど、2年くらいは特に具体的な理想像とかビジョンも決めないで、「無心で」というより、本当に何も考えないで、これがどうにかなるなんて思わずにエントリー料のかかるお笑いライブに出てた。 それからコンビを組んでライター業をやらせてもらったり、ガクヅケというコンビとのツーマンライブの幕間映像で「整備不良で真っ赤な火に包まれる扇風機の映像」を流したり、本当に色々なことをした。 それから組んでいるコンビも変わっ

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