俺はお母さんに何が出来るのか



親孝行をしていない。


18歳まで北海道の長万部という、近所のTSUTAYAまで車で30分、近所のマクドナルドまで車で2時間半かかる場所で育った。


小学5年生くらいから親の前で「芸人になれたら楽しいだろうなあ」と、決定打に欠ける軽めのジャブを打ち続けていたのだが、17歳の頃に高校の進路調査票に「お笑い芸人」って書いた俺を見て、親が待ってましたと言わんばかりに「あんたは面白くないから無理」と言ってきた。


たしかに俺は親の前で“ウケ”を狙ったことがなかった。

10歳くらいのころ、家族でショッピングモールに行った帰りに駐車場に停めた車に戻る家族から少し遅れるようにして歩く俺は、いつのまにか家族を見失ってしまい、自分の家の車によく似てるけど実際は全く違う家族が乗った車に間違えて乗ってしまった。

それを見た家族は「何してんのー!笑」と爆笑していた。親が俺で笑ったのはそれくらい。しかもそういう場面であっても、俺は親に笑われるのが嫌で「やめろし」みたいなことを言っていた。見ず知らずの車に乗り込んだ男の供述が「やめろし」でいい訳がない。


そんな俺をお笑い界という宝くじを当てるような世界に送り出すのは不安すぎる。今になってわかる。


けど17歳の俺は絶対に芸人になるんだという気持ちも強く、成功する勝算があったからこちらとしても折れるわけにいかない。

しばらく押し問答が続いた後、俺は「東京で役に立つかもしれない」と漫才のネタを書き溜めたネタ帳のようなものを泣き叫びながらビリビリに破り捨てた。


「じゃあ全部諦めて普通の仕事つけばいいのか!!!???」みたいなことを叫びながら破いた記憶があるが突発的に早口で叫んだせいか、多分「ワー」としか聞こえないような言い方だったと思う。破り捨てた漫才はドラえもんがどうこう〜みたいな漫才だったから、今となっては東京に持ってこないで助かったとホッとしている。


ヒステリックヤバ叫びネタ帳ビリビリ破りのパフォーマンス直後、初めて親の「きっつー…」みたいな表情を見た。

親としては多分まだ説得したかっただろうけど、なんとかその場は受け入れてくれた。


そんな親の「きっつー…」の思いを背に俺は上京した。

それから成人式とかで帰省はしてたんだけど、気付けば28歳になっていて、7年も地元に帰っていないことに気付いた。


それに気付いたのも、今現在レギュラーで出させていただいている「ウケメン」という番組が、ドッキリで俺のお母さんをスタジオに呼んで7年ぶりに対面したことがきっかけだった。


収録が始まって、お母さんがスタジオに現れるネタバラシの瞬間、頭が真っ白になった。

驚きとか恥ずかしさとか疑問のような色んなものが頭を駆け巡った後、「東京のテレビ局のスタジオに、北海道の田舎でずっと暮らしているお母さんがいる」という違和感で頭の中がパンパンになって、何でかはわからないけど俺は涙目になっていた。


企画としては、各コンビのお母さんの前でネタを披露して採点してもらうというもの。

もちろん俺たちのコンビの出番がやってきてネタを披露するんだけど、これがとにかく上手くいかない。「今、俺は、親の前で“ウケ”を狙っている」という考えが頭から離れない。ウケてるかウケてないかなんて関係ない。“ウケ”を狙っていることがとにかく不自然。「どーもー!」などと言って、大きな声を出している。何だこれは。


あっという間にネタは終わり、放送ではカットされていたけど、芸人の控え室に戻ってきた俺の顔は不自然なほど白く、雑なアイコラみたいになっていたらしい。

しばらく収録が進んでいくと、やっとその状況が把握できるようになっていって、せっかくなら東京観光でも行きたいななんて考える余裕も出てきた。

しかしタイムスケジュール的に15時ころに収録を終えたお母さんはテレビ局が用意してくれたホテルに戻り、俺たちは残りのコントや別の企画の撮影があったりで、全て終わったのは22時を過ぎていた。「まだ東京にいるかな」と急いでお母さんの携帯に電話をすると、今はまだホテルにいて、もう一泊してから次の日の13時の新幹線で帰るとのこと。嬉しかった。


ウケメンのメンバー達との打ち上げも早々に済ましてホテルに向かう。俺がお腹空いていたのもあって2人で外食することになった。

地元の同級生が今何してるかの話とか、街に一軒しかない本屋さんが潰れたとか、そんな話をしながらあっという間に時間が過ぎた。せっかくの親孝行のチャンスだと、このお店の代金くらいは出そうと思ったけどお母さんは出させてくれなかった。親としてはいつまでも子供の世話してたいもんなのかなとか考えて、次の日も早起きしてお土産とか見にいこうかなんて話をして寝た。


次の日、電車の乗り換えが苦手なお母さんを東京駅まで案内しながらお土産屋さんを何件か見ることになった。

その時に気付いた。みんながみんなそうじゃないとは思うけど、田舎で暮らしてる人は歩くのが遅い。ましてや東京駅なんて所でタラタラ歩いていると360度の角度から人が早歩きで向かってくる。最初は歩くのが遅かった人も、こういう状況を目の当たりにして早く歩くことになっていくんだと思った。

そういうことに気付いているのかいないのか、お母さんは変わらずゆっくりと歩いていた。そのせいで何度も人とぶつかりそうになっているのに。でもそれを説明したところで自分の歩くスピードが遅いと気づかせてしまうだけだと変に気を遣っちゃって「すごいね。人が多いねえ。」と自分も初めて東京駅に来たような振る舞いで乗り切りながらお母さんの前を先導する形で歩いた。もうこの頃には俺はボロボロ泣いていた。

俺が見ていないだけで、長万部からお台場まで大きなキャリーバッグを引きながら向かう道中、何度もこういう場面があったのかと想像すると本当に感謝しかなかった。


お土産を買ったあと、新幹線の時間まで少し時間があるからってことで、俺もあんまり行かないくせに「行ったことないでしょ」とか言いながらスタバを流暢に注文して東京に慣れている雰囲気を出したり、少しおしゃれなビール屋さんに入ったりした。

ビール屋さんでは昨日の外食での失敗があったから、俺は店員さんにこっそりお会計をしてもらった。恥ずかしい話だけど28歳で初めてお母さんにビールをご馳走した。お母さんは複雑そうに笑って「悪いね」と言ってたけど、とりあえずは少しだけ親孝行っぽいことは出来たと思う。


今出ている番組は関東ローカルで北海道からはネット配信でしか見られないけど、少しでも「あんたは面白くないから無理」という印象を修正できたら最高。

今度はプライベートで会いたいな。


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