見出し画像

「あかりの燈るハロー」第十七話

第八章

イフ・アカリ
(1)

 朝から降り続けた雨は下校時にはすっかりやんで、大きな入道雲が、照りつける日差しとともに夏の空に姿を現している。
 下駄箱の並ぶ昇降口の向こうに、青色が存在感を示している。すぐにやってくる暑さを予期しながら、ひんやりした下駄箱で靴を履き替えた。
 去年買ってもらったスニーカーは、右側の生地がやぶれて中からウレタンが飛び出てるし、紐も先がほつれている。それにちょっときつい。気に入っているから、卒業するまで履きたかったけど、そろそろお父さんにお願いしないとだめかもな……。
 顔をあげると、同じく靴を履き替えた古賀くんがちょうど校庭に出るところだった。 
 思わず呼びとめる。
「こ…こ、古賀くん!」
「あー、名前ばたしか……椎ぃ名さん? と吉田……やったか?」
 古賀くんは足をとめると、あたしと、あたしの後ろを見た。
 ――吉田? 古賀くんが大和の名前を呼んだことに驚いて後ろを振り返ると、大和がいつの間にかすぐ後ろに突っ立っていた。
「おう! 大和でいいよ! ってか大和にしてくれ!」
 大和はてれたようにニカッと歯を見せると、「一緒に帰ろうぜ!」とうれしそうに古賀くんにかけ寄った。
「ほら! 椎名もはやくしろよ、置いてっちゃうぞ?」
「あ……うん!」
 三人そろって校庭に出る。アスファルトはまだ濡れていて、色濃くしていた。校庭の木は水を浴びて生き生きと輝いて、雨上がりのむせ返るような匂いが届く。
「今日は助けてくれてサンキューな! 根本のやつ、ああやっていつもおれたちをからかうんだよ」
「あ…あたしたし…も……ありがとう、たすっ、助けて、く、れて」
 古賀くんは、一瞬考えこんで宙を見あげると、すぐに今朝の一件を思い出したようだった。
「なぁっ? 朝のやつたい!」
 大袈裟に左手の平に右のこぶしを落として笑う。
「あいつ、頭に来よっと! 人んこつしゃべり方ば変だとか、いなかもんちゃ、好き放題いいよるけん! なんがおかしーとかいな。親父から、どげんかしてクラスに慣れるまでは、なんごとも、我慢ばせんといかん! っちいわれとったばってん、限界やったったい」
 まったく悪びれない古賀くんに、大和がうれしそうに返した。
「やっぱそうだよなぁ? おれもさあ、ちょっと机の中カビさせたくらいで、あいつら延々といい続けるんだもんよぉ。やぱ限界! っていってよかったんだなーって、ほんとサンキューな! すっきりしたぜ」
「カビ? 大和、なんかしよっと?」
「いやあ、まあ、ちょっと給食のな! 残りを突っ込んでたらすっかり忘れちゃってて、ちょっとカビてただけだよ!」
「どげんして掃除したと? 大変やったやろ」
「まあな! それより、博多のことを教えてくれよ」
「あ、あたっ、あたしもきき、聞きたい!」
 帰り道、古賀くんは終始笑顔で質問に答えてくれた。残してきた友だちのこと、博多名物のこと――。
「博多ラーメンってさ、おれ食べたことないんだけど、バリカタってのがあるんだろ? やぱみんな博多ラーメン食べるの?」
「もちろんあるったい!〝粉落とし〟やら〝湯気通し〟ちゅうのもあるけん! 替え玉は三玉が普通ったい! こげんばっかしよるけん、肥えてしまうとやろもん。いっちゃんは四玉やけえが、そんときは、さすがんおれも口のまめらんくらい苦しかあ! っちなっとったっちゃね。そげんばどげんしたっちゃ寝られんかった」
 古賀くんが大きい体をさらに大きく動かして説明してくれる。
「コナオトシはマンガで見たことあるよ! ユゲドオシって湯気のことかな? うへえ、なんかすげえな! 名古屋も味噌煮込みってのがすげえ折りたたまれてる生みたいな麺だけど、あれもうまいんだ! 古賀食べたことある?」
「味噌煮込みはまだ食べたことないけん。博多ラーメンの湯気ばこぐってバリもバリやけん、バリバリカタったいね! チャンピオンやき!」
「すげえ! 食べてみてえ!」
 きっと大和も、古賀くんの言葉を完璧には理解できていなかったはずだけど、ちゃんと会話になっていた。あたしもなんとなく意味はわかった。それがまた不思議な感覚にも思えるけど、不思議と不思議でもなかった。
 知らない土地の知らない大地で、流れ落ちる滝の水のように古賀くんの博多弁があたしに届いて、それがすごく新鮮で心地よかった。そしてそれをいっさい隠そうとしない古賀くんの笑顔も新鮮だった。
 なにも恐れず、なにも躊躇しない怒涛の博多弁が清々しかった。

 校門を出て街路を進み、近くの大きな公園を横切って中央に一本だけ生えるエノキの木の下をくぐる。さえぎるものもなく、のびのびと大きく育った枝葉が作る日陰の下を歩いても、隙間から差し込む光はまぶしくて、ふいに照りつける日差しの強さにあたしは目がまわりそうだった。
「え? 古賀、郵便局の裏側の公団に住んでんの? え、じゃあ1号か2号ってことか⁉ 奇遇だ、おれもだ! おれは7号棟! マジかあ!」
 大和と古賀くんが、どうやら同じ団地に住んでいることがわかると、大和はこれ以上ないくらい興奮して、古賀くんの背中をたたいた。そんな大和に古賀くんも楽し気にバシバシたたき返す。
「5号棟の一階の角にさ、保育所あるだろ⁉ あそこにおれの妹がいるんだよー!」
「大和いもーといるっとね⁉ それは紹介ばしてもらわんといかん、いくつったい?」
「五歳だよ! おれんとこ父さんがいなくってさあ。母さんが結構おそいもんだから、おれ甘えられちゃってちょっとてれるっていうか! でも素直でかわいいやつだよ。ま、たまにめんどくさいけどな! 今度よかったら会いに来てやってくれな!」
 大和の笑顔までがまぶしく感じる。
 じつは、大和の家が貧乏だなんて悪口が広がったきっかけとなった事件がある。五年生の時の話だ。もちろんそれまでも、同じ服ばかり着てずぼらな大和は悪口をいわれてしまう隙を与えていたけど、その事件で決定的になった。
 大和の家は母子家庭で、お母さんは日中働きに出ている。だから学校が終わると、大和は保育所に妹を迎えにいって、お母さんが帰るまで面倒を見ているらしい。ずぼらな大和だけど、妹の好実ちゃんを大事にしているところはすごく好感が持てる。
 その日も保育所へ向かった大和は、翌日の遠足のおやつを買うために、好実ちゃんを連れて近くの駄菓子屋さんに行った。遠足ともなれば生徒がたくさん駄菓子屋さんに集まってるのは当たり前。混雑した店内で、大和は好実ちゃんの手を引きながらおやつを選んだ。そしてレジでお金を払い、駄菓子屋さんをあとにした。
 大和がお店を出ると、店内にいた他の子が叫んだ。
「万引きだ!」って。
 お店の人は慌てて、叫んだその子に話を聞いた。どうやら大和がまだお金を払っていないお菓子を持って、そのまま出ていったのを見た! ということだったらしい。
 話を聞き終えたお店の人が外に出ると、すでに大和と好実ちゃんの姿はなかった。
 それで万引きを信じたお店の人が学校まで電話をして大事件になった。
 大和はすぐに呼び出しされ、大和のお母さんはひたすら謝ったようだ。
 あとで大和がそのときのことを教えてくれた。犯人は妹の好実ちゃんだった。当時三歳だった好実ちゃんが、目の前に並ぶお菓子を手に取って、それをレジで清算しなきゃいけないなんていうルールがわかるはずはなかった。
『家に帰ったらびっくりだよ! 好実が見覚えのないお菓子を握りしめてるし、学校から電話はかかってくるしで!』
 大笑いする大和に悪びれた様子はなかった。
 もちろんきちんと事情を説明して、お金も払って誤解は解けたけれど、結局「お金を払わなかった」というその部分だけが広がって、今でも陰口を叩かれている。
「あ、あたっ、あたしはこっちだ、だよっ! こ、古賀くんっあ、ありがとうっ」
「おう! 椎名またなー!」
「もうよかって。ならバイバイー」
 別れ道でふたりと別れ、楽しそうな背中を目で追う。古賀くんに明るい笑顔を向ける大和の横顔を遠目に見ていたら、もしかしたらこれでもう大和もいじめられることはなくなるかも……なんて、少し期待していた。


◀前話 一覧 次話▶

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

ありがとうございます!!!!!!がんばります!!!