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「あかりの燈るハロー」第十二話

うるさい! うるさい! うるさい!(2)

 その日の昼休みはウッドチャックの歌も口ずさむことのないまま、まっすぐ図書室へ向かった。休み時間のたびに話しかけてくる友子のことは一切無視をしたままだ。
 きっと今日はついて来ない。そう思っていたのも束の間、友子がかなえと竹下さんを連れて図書室にやってきた。
 あたしが無視を続けるものだから彼女たちに泣きついたんだ。かなえと竹下さんの後ろで、友子がびくついている。
「どうしたの? 茜に無視されるって友子がいってるけど……」
 かなえがいきなり切り出した。
「……ほ、ほ……ほっておいてよ」
 後ろで大きな体を縮める友子を竹下さんがなだめる。かなえは友子に目をやると、ふたたびあたしに向き直った。
「あたしたちは理由が知りたいだけよ。友子は茜をかばったんだよ。なんで無視されなきゃいけないの? それなのおかしい」
 かなえはいつだっていいたいことを言い、正論をふりまく。誰に対してもこびたりしない。自分の正義が正しいと信じて疑わない。
「かなえちゃんっ! やっぱりもういいよ」
「大丈夫だって。友子はだまってなよ」
 なんであたしが責められるのよ⁉ なんで悪者みたいにいわれなきゃならないの⁉
 苛立ちがお腹の辺りから湧き上がり、真っ黒な気持ちでいっぱいになる。
「うう…うー、う、うるさい! うるさい! うるさい! ほほ、ほっとといて、ほっといてっていってるでしょ!」
 静かな図書室にあたしの吃り声が響いた。
「そう……、わかった。もういいや、行こ」
 かなえは振り返り、ふたりを連れて図書室を出ていった。
 頭がクラクラする。お腹がズンと重くて痛い。急に叫んだから、貧血にでもなったのか? 目の前が真っ白になっていく……。
「茜⁉ 茜⁉ ……」
 声が遠くに聞こえる。あたしはその場にうずくまった。セミの抜け殻のように……。

      ♮ 

 気がつくと保健室にいた。まぶしさに目を開くと、白い天井に蛍光灯が光っている。
 重い綿布団が胸元までかかっている。
 そっと体を起こそうとすると、「大丈夫?」と保健の先生がのぞきこんだ。
「おめでとう」
 おめでとう? 具合が悪くなって、倒れた生徒におめでとう?
「初潮よ、授業で習ったでしょ? ナプキンは持ってる? なければ保健室のを持っていくといいわ。もう少し休んでいていいわよ。着替えもしないといけないしね」
 掛け布団をめくって自分の着衣を見ると、スカートのボタンが外されてお腹の上にタオルがかけられていた。
「あ、あ…のっ…こ、ここ、これ……?」
「ああ、ごめんね、温めると楽になるのよ。カイロがなかったからね。ゆるめさせてもらったわよ」
 当てられていたのはただのバスタオルだったけど、こうやって直接巻き付けられているだけで、たしかに温かい……。両手でお腹を押さえてみる。痛み以外にはなんの実感もない。こんな時に生理が来ちゃうなんて……。しかもこんなに痛いとか知らなかった。
「人によっては身動きが取れなくなるほど痛むこともあるわ。椎名さんは重いほうみたいね。お腹の前の方が痛くなる人と、腰の後ろが痛くなる人とかいろいろいるけれど、基本は温めることよ。あと普段からあまり冷やさないようにね。夏だからってかき氷ばっかり食べてちゃだめよ?」
 あたしの気持ちをほぐそうとしているのか、先生は悪戯っぽく首を傾げると、かき氷を食べたときにやってくる〝キーン!〟みたいな冷たい顔をしてみせた。それから、キャビネットの引き出しを開けて痛みどめを取り出す。
「ほら、よかったらこれ飲んでおきなさい。水とコップはあそこにあるから」
 先生が洗面台に目を繰べる。
「あ、あ…あり、ああありがとうごっ、ざ…います……」
 シートに入った白い錠剤を受け取って、白い壁にかかる時計を見ると午後四時を回っていた。とっくに授業は終わっている。誰かが持ってきてくれたのか、ランドセルがベッドの脇に置かれていた。
「もう少し休んでいく?」
「だだ…だ、大、丈夫です、あー……帰れ、か、帰れます」
 先生はうなずくと、あたしをやさしく送り出した。

 Re.ハローワールド
『朱里、ただいま。
 あたし、今日生理が来ちゃったよ……。』

 返信はすぐにやって来た。

『おかえり、茜!
 おめでとう!
 これで茜も大人の仲間入りだね!』

 朱里も保健の先生と同じ反応だ。……こんなに痛いのに素直によろこべない。
 ちょっとだけもやっとしたけど、お父さんに話すなんて絶対できないし、朱里しか相談できる相手がいない。
 友子からは、「生理になったら絶対に教え合おうねっ」っていわれてたのに、まだなにも聞いてないし、先にこんなこといえない。
 こんなとき、普通にお母さんがいる家の子はきっと楽なんだろうな……。

『でも、どうしよう。
 保険の先生が少しだけナプキンをくれたけど、絶対足りない。
 はずかしくてお父さんにも話せないし……。
 買いに行くのもはずかしすぎるよ。』

 すると、意外な返信が届いた。

『そうだね、はずかしいよね。
 でもあたしに任せて!
 商店街に薬局があるでしょ?
 首のぷらぷら揺れる、オレンジの象が入口に置かれた薬局よ。』

 オレンジの象?
 薬局は何軒かあるけど、どこのことだろう。

 返事に困っているとまたポロンと音が鳴った。二通続けてメールが来るなんてはじめてだ。

『思い出せない?
 港の水族館に向かう途中に商店街があるでしょ。
 そこの小さな薬局よ。』

 思い出した! 観覧車に行く途中にあった商店街の薬局だ! たしかにあそこには首のぷらぷら揺れるオレンジの象が置かれていたような気がする。

『思い出した!
 でも、その薬局がどうしたの?』

『薬局のおばさんはあたしの知り合いなの。
 話しておくから茜はお店に行って!』

 また朱里がわけのわからないことをいい出す。
 どういうこと? 薬局のおばさんと知り合い?
 疑問がいろいろと浮かんでくる。なんて返事を書こうか思い悩んだ。
 朱里はハローワールドに住んでるっていってたはず。いつも謎かけみたいな答えしかくれないから、ハローワールドがどこにあるかはわからないままだけど、少なくとも〝この辺りじゃないどこか〟だと思っていた。
 ハローワールドの住人であるはずの朱里が、なんでこの街のことを知ってるの? ひょっとしてそんな場所はでたらめで、今もこの街に住んでる? それとも昔に住んでた?

『朱里の知り合いってどういうこと? 
 朱里はこの町に住んでるの?
 それにあたし、今はお金持ってないのよ。
 お店に行ってもどうしたらいいかわからないし。』

 ヤマタケにも、生理用品のコーナーはあるけど、はずかしすぎて前を歩いたことなんてない。
 時計を見ると午後四時半になっていた。今から港の商店街に行ったら、五時半くらいには戻ってこれるのかな? お父さんはいつも六時くらいまでは帰ってこないから、たぶん間に合うとは思うけど……。
 それにしてもどうしよう。逆にお父さんが帰ってくるまで待って、お金をもらってから行ったほうがいい? でも、なんに使うのか聞かれたら困るし……それに薬局も閉まってしまうかも?
 あぁ、もう! 朱里ったら!
 ……早く返事くれないかな……。
 
 ポロン♭

『お金の心配なんてしなくていいわ。
 いったでしょ?
 あたしに任せてって。
 とにかく茜はそのお店に行って、
「朱里にこのお店に来るようにいわれました」
 っておばさんに伝えるだけでいいわ!
 必ず行くのよ?
 帰ったらまたメールちょうだいね。』

 そんな自信たっぷりのメール。不安は取り除かれないままだけど、それでもとにかく行くしかないって考える。えーい!

『わかったよ。
 とりあえず行ってくるね!
 また帰ったらメールするよ。
 朱里ありがと!』

 だけどお金の心配は要らないっていわれたって、そんなに簡単には安心できないよ!
 お腹も痛いし、なんだかイライラする。あたしは頭を抱えながら勉強机を見た。
 ――そうだ! たしかお年玉の残りがあったはず!
 引き出しを開きお年玉袋を探ると、そのうちのひとつから五百円玉が出てくる。
 ――足りるかな?

 ポロン♭

 部屋を出ようとしていると、パソコンから着信を知らせる音が鳴った。のぞくと朱里から『いってらっしゃい!』とだけ届いていた。心の中でもう一度「いってきます」とつぶやいてパソコンを閉じる。
 あたしはお金を握りしめると商店街を目指した。


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