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「幸せのコイン」第十話

3 名を呼ぶもの

(3)

「それにしても! パパはフィリーに関して驚かされたことがふたつあるよ!」
 ぼくの手をとって嬉しそうに笑うパパの目に、うっすらと涙が溜まってるように見えた。パパの大きな手の温もりを感じる。
「どういうこと?」
「ひとつ目は、今回のことでお前が大人になるための視野を広げたってことさ。覚えてないかい? お前がサウスサイドピザの代金をパパにせびりに来たときのことを……」
 もちろん覚えてるよ。アーチャーに誘われたピザのお金がなくていつものようにおねだりに行くと、毎月恒例のようにおこづかいを使い果たして申し訳なさそうにお金をせびるぼくに、パパはどうすればいいか考えてごらんって言ったんだ。
「お前は見事にその悩みを解決するために考え、そして行動し、結果を出したんだ!」
 ぼくの手を摩りながらパパの目からは涙がこぼれていた。
「でもね、あれはアーチャーがアイデアをくれたからできたことなんだ! ぼくだけじゃ今でも途方に暮れていたよ!」
 するとなぜか赤毛の熊が照れ臭そうに頭を掻きむしる。
「ほら? 青目の兎も言ってたろ? お前のことをちゃんと見てる奴がいたってことだよ!」
 アーチャーはぼくの大親友だし、パパ以外でぼくのことをわかってるのは彼の他にはいない。そんな親友のアイデアがあったからこそ、ぼくはこうしてパパにお金を返すことができたんだ。だからこれはぼく一人の力じゃなくて、アーチャーがいてくれたからこそできたことなんだってわかる。
「ダディールー。大きなチャンスが舞い込むってことはね、チャンスをあげたいと思う人に、とても大きな魅力がなければ成り立たないものなんだよ。だから、お前が得た成果はやはりお前自身が勝ち得たものなんじゃないかと私は思うよ」
 おじいちゃんがぼくの顔を誇らしく見ながら優しく言った。
「フィリー、おじいちゃんの言うとおりだよ。お前は本当に素晴らしい友達を持つことができたね。その友達がお前の視野を広げるチャンスをくれて、そしてお前は見事それに応えた。口で言うほど簡単にできることじゃないさ」
 ぼくの手を摩るパパの温度が上がっていく。パパが興奮しているのがその熱でぼくにも伝わってくる。
「それからあとひとつは、じつはパパもお前に謝らなくちゃならないんだけど、お前の作るジオラマのことなんだよ……」
 ジオラマ? 誰にも見せたことのないぼくのジオラマのこと?
「お前がお金を失くしたって帰ってきたあの日、お前にドーナツを買ってくるように、パパは頼んだだろう?」
 ぼくがピザを買ってくるとばかり思っていたパパは、朝からなにも食べずに待っていた。預かったお金を勝手に使ってしまった言い訳が思い浮かばずに、ものすごく心配を掛けてしまったことを思い出す。誰かに恐喝されたんじゃないかって疑うほど、パパはぼくを心配していた。
「心配になったパパは、お前にドーナツを買いに行ってもらってる間に、こっそりお前の部屋に忍び込んだんだよ。すまない、フィリー。そのときに机の上のものを見てしまったんだ」
 そうか、あのボロボロの使い古しのスポンジで作った木や歯ブラシで作った鳥の巣とかを見つかっちゃったのか。プロのイラストレーターのパパからしたらきっと稚拙なんだろうな。パパをがっかりさせたんじゃないかって急に恥ずかしくなってくる。
「ごめんね、ぼくには才能がないんだ。ママに似て少しは手先が器用かもしれないけど、パパみたいに上手に絵だって描けないし」
「違うんだよ、フィリー! あんなにも想像を掻き立てられて、独創的なジオラマは初めて見たって伝えたかったんだ! お前には間違いなく造形作家の才能が溢れているよ!」
「本当!? パパ? 本当にそう思う!?」
 信じられない言葉に、ぼくは食いつくようにかじりつく。
「もちろんだとも! パパがお前に嘘を言ったことがあったかい? その証拠に、お前の作品に刺激を受けたものを、パパの仕事部屋に残してきたよ。お前に貰ってほしくてね。早くお前に見てもらいたいよ! 今のパパの自信作なんだ!」
 パパは自信と涙に溢れたクシャクシャの笑顔でテーブル越しにぼくの手をとる。
「今回は、すごく横長のキャンパスを使ったんだ! 上下を自分で削ってね……。ほら、お前が作っていたジオラマの小さな木や草原には、本当にいろんな色がひしめくように塗られていただろう? あれはパパには思いもよらないことだったんだ。赤や黄色、白……いったいどうしてっていう色が、小さく点のようにそこに息づいていた。お前のジオラマには空はないのに、そこで休息したり遊んだりする動物たちや、空から射す光や影が目に見えるようだったんだ。だからパパもそんな一面の草原を描いた。光や影や動物たちの足跡や、零れ落ちてくる鳥の羽根、昨日降った雨、去年来た嵐……。そんな一面の草原のその真ん中に、一本の名前も知られていない木が生きている。空にも届きそうなその巨大な木に世界中の鳥たちが羽を休めるために留まっているんだよ」
 子供のように興奮して目を輝かせるパパの絵が、ぼくの頭にまざまざと浮かび上がる。ぼくは草原の温度や風に纏わりつかれて抱えきれずに泣き出しそうになる。
「……たとえば、どんな鳥?」
 今にも溢れそうな気持ちを無理矢理押し殺すように呟くと、パパはそんなぼくの目に溜まった涙を拭ってくれた。
「本当に様々だよ。オウムや隼、インコに梟に鷹に孔雀に白鳥……。描いたパパでさえ、思い出せないほどたくさんの鳥たちだよ」
 パパの呼吸、表情に声の温もり、そのどれも見逃さないようにぼくは注意深く微笑み続けるパパを見つめた。
「そんな鳥たちが羽を休める名も無い巨木の後ろを、まるで夕焼けのように朱く染めるたくさんのフラミンゴが一面の空に羽ばたいているんだ」
 パパの目からは一粒、また一粒とキラキラと輝く涙が落ちて、テーブルに水溜まりを作っていく。
「一本の巨大な木に、休息する彩りに溢れた鳥たち、そして羽ばたく朱い空――まるでこの世界の縮図のような絵なんだ! ともに意識し、ともに助けあい、そして力強く生きていく。そんなメッセージを込めて描きあげたパパの最高傑作だ。タイトルは『マイホーム』!」
 パパは大粒の涙を流しながら立ち上がると、ぼくを力いっぱい抱きしめた。なにかを必死に堪えて真っ赤な顔をさらに赤くする。痛いほどに抱きしめるパパの震えが伝わると、ぼくも堪らず涙がこぼれた。
「パパ! 寂しいよ! ぼくたちのこと、置いていかないでよ!」
 あとからあとから涙が溢れて言葉はもう呻きにしか聞こえない。
「ごめんな! フィリー! この先はお前がパパのように家族を守ってほしい! パパのわがままだけど、こんなことお願いできるのはお前しかいないんだ」
 パパの声だってもう全然聞き取れなかった。それでも言ってることははっきりと理解できるんだ。たとえ言葉なんてなくてもぼくたちの間には深い愛とお互いを思い合う気持ちがあるんだから。
 周りでは、みんなが優しくぼくたちを見守っているようだった。赤毛の熊も、青色の目の兎も、虹色の蛙も、気取った店員も、蜜蜂のコックも、そしておじいちゃんも……。

 そのとき店内のウィンドチャイムが美しい音色を鳴らしたかと思うと、一羽の梟が羽ばたきながら椅子の手摺りにとまった。 
「そろそろ、時間のようだな」
 おじいちゃんが呟くと、その梟が突然唄い出した。

   銀貨を渡せ 闇に光る梟
   銀貨を渡せ 闇に光る梟
   ひとつなにか新しいものを
   旅人が旅先で惨めな思いをせぬよう
   ひとつなにか古いものを
   旅人が旅先で自分の匂いを忘れぬよう
   ひとつなにか青いものを
   旅人が旅先で心落ち着けるよう
   ひとつなにか借りたものを
   旅人が旅先で故郷を忘れてしまわぬよう
   銀貨を渡せ 闇を進む梟
   銀貨を渡せ 闇を進む梟

 聴いたこともないような唄を、ウィンドチャイムの音色とともに梟は翼を広げながら唄う。
「この唄は?」
 パパを見上げるけど、パパもわからないようだった。
「冥銭の唄だね」虹色の蛙が呟いた。
「冥銭の唄?」
 みんなが虹色の蛙に注目すると、彼は得意げに喉を鳴らす。
「マザーグースや、結婚式のサムシング4なんかと同じ、古い語り唄でね、旅人の無事を祈る唄なんだよ」
 物知りそうな虹色の蛙はさらに続ける。
「梟ってのはとても賢いとされる生き物でね。彼に運賃である銀貨を渡し、旅仕度を整えた旅人は無事に旅を終えるって唄なんだ」
 ぼくはテーブルに差し出したコインを手に取って訊いた。
「じゃあ、唄に出てくる銀貨ってのは?」
 虹色の蛙は大きく頷いて言う。
「そう! 君の持つ6ペンスコインだって言い伝えもあるんだよ」
 梟は羽をばたつかせながら唄い、ウィンドチャイムは不思議と鳴り止むことをしない。
「さぁ、そろそろ行こうか?」
 おじいちゃんが席を立ち上がると、パパは小さく頷いた。パパのぼくを抱きしめる力がいっそう強くなってぼくの身体を包み込む。そのとき、言葉はなかったけど、パパがこう言うのがぼくにはわかった。
『お前たちと離れたくないよ! フィリー。でも、行かなくちゃならないんだ。本当にごめんね』って。
 だからぼくも言葉には出さなかったけど、パパにこう返したんだ。
『ぼくもだよ! パパ! 愛してるよ! いつまでもぼくたちのことを傍で見守っていて!』って。
 おじいちゃんがぼくの肩に手を置いて優しく言った。
「これは驚いた。本当にお前は大きくなったね、フィリップス。さっきまでのダディールーが、懐かしくさえ感じるよ」
 ぼくは驚いておじいちゃんを見る。初めてぼくを本名で呼んでくれたおじいちゃんを……。

 ――本当に大きくなったね、フィリップス……。

 店内に響くウィンドチャイムの音色が次第に大きく弾むように美しくぼくたちを包むと、梟は精一杯羽を広げて唄い続ける。その体が金色に輝き出すと梟は飛び上がり、列車の方へと羽ばたいていった。

 徐々に鳴り止むウィンドチャイムの美しい音色に、おじいちゃんとパパの出発の時刻が迫っていた。
「じゃあな、フィリー。みんなによろしく伝えておくれ」
 おじいちゃんが優しく笑いながらぼくの頭を撫でて消えていく。
「フィリー、みんなのことをよろしく頼んだよ。それと、パパの部屋のものは、すべてお前にあげるよ」
 そういってパパはぼくの頬に口づけすると、おじいちゃんと同じように消えていった。
 おじいちゃん! パパ! いつでもぼくたちのことを見ていてね! 
 ぼくが悪いことをしたなら、思い出のなかで叱ってほしい。
 ぼくが躓いたなら、思い出のなかで励ましてほしい。
 ぼくが迷ったなら、思い出のなかで諭してほしい。
 ぼくが良いことをしたなら、思い出のなかで褒めてほしい。
 ぼくはコインを握りしめながら涙を拭いてお店を飛び出した。
 ウィンドチャイムの美しい音色とともに列車は激しく蒸気を上げて動き始める。汽笛が構内にこだまする。ウィンドチャイムの音色が耳のなかに微かに残る。列車の車輪がグルグルと回転すると、後に残ったのは機関車の蒸気と微かに聞こえる汽笛、そして耳鳴りのように頭のなかに響く美しい音色だった。
 ぼくはコインを握りしめたまま、いつまでも列車を見送っていたかった。たとえ、この夢から醒めてしまいそうになっても、ぼくはいつまでもパパたちの乗る列車を見送っていたかった。――その列車が、ぼくの視界から綺麗に消えてしまっても。
 そんなぼくの後ろからぼくを呼ぶ声が聞こえてくる。
「フィリー! フィリー!」
 ぼくを呼ぶ声が、この神殿のようなアムトラックの駅構内に響き渡るんだ。
 ――帰らなくちゃ。
 ぼくは心のなかで小さく呟いて目を閉じた。

第九話》   +第十話+   《最終話

《目次》


・1 幸せのコイン()(
・2 正しい生き方()()(
・3 名を呼ぶもの()()(
・4 旅人が旅先で

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