見出し画像

思い出の唐揚げ弁当

私が小学3年生の時、両親が離婚し母親と夜逃げをした。これが小3の1学期の終わりの話。母親がはまっていた宗教の人の家に数週間住まわせてもらい、その後母親の不倫相手の家の近くのワンルームマンションに引っ越した。夏休みが明け2学期から新しい学校での生活が始まる。この話はそんな時期での出来事だった。


引っ越した初日から母親はほとんど家に帰らなくなり夜遅くまで男の所に居た。私は置かれているヤマザキの肉まんを温めて1人でよく食べていた。転校して2週間ほど経ったある日。学校生活にもまだ馴染めない私はいつものように教科書を詰めてランドセルを背負って学校に向かった。学校に着くと他のクラスメイトがリュックを背負って登校している姿が見えた。何が起きているのかわからずに唖然と立ち尽くしている私に先生が


「◯◯くん今日は遠足やねん。お母さんに伝わってなかったかな。」


っと言った。伝わっているはずがない。なんせ母親はほとんど家に居ないのだから。プリントをチェックしたり私の新しい学校生活を気にする事などないのだから。ランドセルを背負っている私の横をリュックを背負ったクラスメイトが大勢横切る。みんな楽しそうに遠足の話しをしながら校庭に集まっている。私はあまりの恥ずかしさにその場から走って逃げ去りたくなった。私のミスだ。転校したばかりで何も知らずに日々を過ごしていた。こんな思いをするぐらいならもっと気にしておくべきであった。


遠足は子どもたちがとても楽しみにしている行事である。その楽しい行事に出発する間際に1人何の用意もせずランドセルを背負ってどこに行くかも知らない間抜けづらの私が立っている。その後先生の計らいで私は遠足に参加する事になった。


そこからの内容は詳しく覚えていない。どこに行ったのかも何をしたのかもどう移動したのかも自分が何を持って行ったのかも何も覚えていない。きっと当時の私はそれどころではなかったのだと今は考える。


その中でも1つだけ覚えている事がある。お弁当の時間だ。遠足では給食が出ずみんなお弁当を持参している。そして、ランドセルを背負って登校した私はもちろん何も持っていない。私はその時まだ友人も1人もおらず先生のレジャーシートで先生と2人で先生が急遽買って来てくれた唐揚げ弁当を食べた。みんながお母さんが作って来てくれたお弁当を楽しそうに食べている中、自分は先生と2人で先生のレジャーシートで唐揚げ弁当を食べた。私は唐揚げを一口食べた瞬間涙が止まらなくなり泣きながら無言で唐揚げ弁当を食べた。この状況で唐揚げ弁当を食べながら先生に気を使ってもらって話しかけられている自分が情けなくて惨めで。唐揚げ弁当だけじゃない。何でこんな事になったのだろうか。1学期までは前の学校で家族も友人も沢山居て毎日楽しく過ごしていたのに。何でこんな事になったのだろうか。色々な出来事が頭の中で繋がっていきごちゃごちゃになり私は自分の立ち位置や現実感を見失う感覚をその時覚えた。少し前の自分からはとても考えられない状況。そして現実。家族で住んでいる時は母親はまだ料理をよくしていてその時の得意料理は奇しくも唐揚げであった。テーブルに山盛りの唐揚げが並び熱いうちにみんなで我先にと頬張った記憶が頭の中に流れる。そんな絶望の遠足の中唐揚げ弁当を食べ進めている内にある事に気付いた。


「この唐揚げめっちゃ美味しいな。」


某ほか弁屋さんで先生が買って来てくれた唐揚げ弁当の唐揚げがとても美味しかったのだ。こんな状況でも唐揚げが美味しいのは変わらんのやなと私はその時思った。


家庭環境が悪く色々な出来事が沢山あったがその中でも私の中でこの出来事が忘れられず大きく胸に刻み込まれている。1人だけ遠足に行くのを知らずに登校した事が辛かったからではない。唐揚げ弁当が美味しかったからである。どんな絶望的な状況でも美味しいものは美味しい。美味しいという気持ちの周りには影響されない何かが存在したのだ。どんな状況でも変わらない物が世の中には存在し変わらない思いがそこにはある。この現実は私にとって希望となり光となりそして道標となった。現在私は複数の学校で困っている沢山の子どもたちの支援をしている。私も子どもたちにとっての唐揚げで有りたいと強く願う。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?