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第8回:ご存知ですか、教育基本法?

教育基本法という法律があるのをご存知でしょうか?


執筆:井上岳一(私立新留小学校設立準備財団 理事 / 日本総合研究所 エクスパート)

この国の教育の基本方針を定めるもので、日本国憲法公布の翌年、1947年に公布・施行されています。戦後の学校教育は、この教育基本法に基づいて行われてきました。教育に関する思想・理念や基本的な事項を定めた法律にして、教育に関する最高法規。それが教育基本法です。

※今世紀に入ってから教育基本法見直しの気運が高まり、数年の検討期間を経て、2006年12月22日に法改正が行われました。条項の追加など大幅な変更がなされていますが、本稿では、1947年の旧基本法を主に取り上げます。

20世紀の学校教育の羅針盤となってきた教育基本法ですが、実は、この法律は、GHQ(連合軍最高司令官総司令部)による教育民主化政策の一環として生まれたものです。

GHQによる戦後の教育改革は、1945年10月から始まりました。戦前の全体主義・軍国主義を排除し、民主化を実現することをGHQは日本の戦後改革の大きなミッションの一つに掲げていました。戦後の教育改革の例としてよく取り上げられる教科書の墨塗りもGHQの指示によるものです。

そんなGHQによる教育改革の方向性に大きな影響を与えたのが、1946年3月の米国教育使節団の来日でした。ニューヨークの教育長を務めた心理学者を筆頭に、27人の専門家から組織された使節団は、約一ヶ月間の滞在調査を踏まえ、マッカーサーに報告書を提出します。

この報告書は、教育の機会均等、自由主義、男女平等、地方分権、画一化の排除などを柱に、学校教育に関する広範な事柄についての提言をまとめたもので、戦後教育の方向性を決定づけるものとなりました。

この報告書を受け、1946年8月、内閣総理大臣の所轄下に設置された教育刷新委員会に、教育基本法の検討が諮問されます。憲法改正の作業と並行して検討が進められた教育基本法の原案が答申されたのが1946年12月。国会での議論を経て、法案が可決し、公布・施行されたのが1947年3月31日でした。

教育基本法を読んでみる

教育基本法第1条には、教育の目的が定められています。本稿の本題ではないですが、戦後の教育が何を目指して行われてきたのかがわかる興味深い条文なので、シェアしておきましょう。

第1条(教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法 第1条

教育の目的は、「心身ともに健康な国民の育成」なんですね。これは2006年の新基本法でも変わっていません。この国の公教育の大元にある、基本的な考え方だということがわかります。

ともあれ、今日、ここで取り上げたいのは、第1条ではなく、第10条です。私たちがなぜ「ふつうの学校」を目指すのか。そこに触れる、とても大切なことがこの条文には隠されているからです。

まず、10条の条文を見てみましょう(1947年の旧基本法の条文です)。

第10条(教育行政)
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

教育基本法 第10条

第10条は、その見出しにある通り、教育行政に関する条文とされています。「不当な支配に服することなく」というのは、戦前の軍部による介入のことを思い浮かべれば良いでしょう。軍国主義や全体主義、或いはその他の非民主的な思想や政治的圧力から教育を守る。学問の自由と教育の自主性を守る。そういう宣言と読めます。

文部省(当時)は、学問の自由と教育の自主性を守るために、教育行政を一般行政から分離独立させる「教権独立」を課題としており、それを確立するために設けられたのが第10条である、というのが一般的な解釈です。

しかし、教育基本法の成立過程を見ていくと、実はこれは教権独立というより、教育の地方分権のための条項だったのだということが明らかになってくるのです。

第10条の背景にあった思い

先述した米国教育使節団の報告書に、この10条に関連する記述があります。該当箇所を引用してみます。引用は、小国喜弘著『戦後教育史』(中公新書、2023年)からの孫引きになります。

小国喜弘著『戦後教育史』(中公新書、2023年)

学校が強力な民主政策の有効な手段となるべきものならば、それは国民にとって親密なものでなくてはならぬ。教師や学校長や、地方教育課長などは、上位の教育関係官吏の支配や制御を受けないことが大切である。なお、あらゆる程度の学校の学校行政を直接受け持っている教育者は、その奉仕する民衆に対して責任を持つこともまた大切である。

小国喜弘著『戦後教育史』(中公新書、2023年)

使節団の報告書は英語で書かれています。ここに引用した文章は、当時の文部省による翻訳ですが、実は、この文部省の翻訳には、かなり問題があります。それは、文中で強調した「国民」と「民衆」が、どちらも原文では「the people」とされているのにも関わらず、意図的に訳し分けられているからです。

報告書を素直に読めば、この部分は、学校がより上位の機関からの支配やコントロールを受けないという、教育の地方分権を提言していることがわかります。文部省が主張したような行政一般からの教権独立でなく、国や都道府県など上位の行政機関からの自主独立が主張されている。

そして、学校が奉仕し、責任を持つべきは、the people、つまり「人々」です。この「人々」とは誰か。

文部省は後段の責任を持つべき相手のところは「民衆」と訳していますが、前段の親密である対象を「国民」としているため、「民衆=国民」と読めてしまいます。勿論、the peopleを「国民一般」と訳すことは誤りではないですが、文脈的に無理があります。

学校の自主性、地方分権を主張する文脈ですから、ここでの「the people = 民衆」は、「国民一般」でなく、子供を含む、「その地域の住民」と解釈するのが素直です。

学校は、地域住民に対して親密で、責任を持つべきものだというのが米国教育使節団やGHQの考えで、そのことを文部省も十分に理解していた。理解していたが、その考えに素直に従うことはしたくなかった。そういう文部省の思考が、the peopleの意図的な訳し分けから推察されます。

教育は誰に責任を持つべきなのか

事実、当時、GHQとの交渉に当たった文部官僚が、GHQは、「教育文化はレーマン・コントロールに分権するのが一番いい」という思想を持っていたと語っている場面が、前述の『戦後教育史』に出てきます。

「レーマン」とは、laymanのことで、素人を意味する言葉です。
教育の専門家や教育行政の官吏ではなく、本当にふつうの人、教育の対象者でもある、そこに暮らすふつうの人々が教育に権限を持つべきだというのが、米国使節団の思想であり、GHQの考えだったのです(前稿で取り上げた米国のCommon SchoolがCommonと名乗るのも、このレーマン・コントロールの思想があったからでしょう)。

戦後教育の出発点に、このような思想があったということを私達は知るべきだし、もっと大切に考えないといけないと思うのです。

第10条第1項は、GHQ側から言われるまま、ほとんど命令されるままにつくられたものだそうです。でも、それを文部省は意図的な翻訳のずらしを行うことによって、違う内容に変えてしまったのです。
具体的にどういうずらしがあったのか。もう一度、第10条を見てみましょう。

第10条(教育行政)
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

教育基本法 第10条

 「教育行政」は、GHQの原案では「school administration」となっています。また、「国民全体」は「the whole people」です。GHQの原案は、先の報告書の内容も踏まえれば、学校の自主性、教育の地方分権について宣言する内容でしたから、素直に訳せば、以下のような条文になったはずです。

第10条(学校行政
学校教育は、不当な支配に服することなく、地域住民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

これを文部省は、教育行政の独立(教権独立)にすり替えて条文化したのです。GHQが意図したものとは、全く違う内容になってしまったことは明白です。

ちなみに、2006年に改正された新基本法では、第10条は、以下のように改められています(第10条の前に条項が追加されているため、旧基本法で第10条だった教育行政に関する条文は、第16条に変わっています)。

第16条(教育行政)
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

教育基本法 第16条(2006年改正)

「不当な支配に服することなく」の文言は残り、「地方公共団体」という文言が追加されたことで、教育の地方分権に関する条項という意味合いは、旧基本法より強まっています

一方で、「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」とあり、地方の自主性という意味では、旧教育基本法の思想は損なわれているようにも読めます。

何より、国民であれ、地域住民であれ、直接責任を負うべき相手に関する記述がなくなっています。新基本法の第16条は4項からなりますが、責任を負うべき相手方は、この条項のどこにも書かれていないのです。誰のための教育か?が新基本法では不明確になってしまった。そこは残念に思います。

食とことば

その土地に生きる人々に対して責任を持つ学校
本当にふつうの人々(layman)が関わることができて、共につくりあげることができる学校

私達がつくりたい「ふつうの学校」、Commonの学校とは、そういう学校です。それは、教育基本法が目指していたはずの学校の本来の姿です。民主的な社会をつくるために目指された学校の姿と言い替えても良いでしょう。

「ふつうの学校」において、「食」と「ことば」を軸にするのは、それが人間を人間たらしめている、最も本質的なものだからだということは勿論あります。でも、それと同時に、「食」と「ことば」が、最も地域性が色濃く出る上、地域のふつうの人が普通に関われて、かつ、学校側が地域に責任を持つことができるものだからだという思いもあるのです。

地域のことばと食に囲まれて子ども達は育ちます。食とことばは、子ども達にとっての「地域」そのものです。そして、学校は、食とことばを通じて、地域に深く関わることができます。

例えば、給食に地域の食材を使えば、地域の生産者を支えることができます。また、地域に開かれた食堂や図書館をつくれば、地域の食とことばに良い影響を与えることもできます。

「責任」というとたいそうですが、地域に生きる、本当にふつうの人々との関わりを通じて、学校はもっと地域と呼応する(response)存在になれる

地域に開かれた学校、地域と呼応する学校になることを通じて、地域への責任(responsibility)を果たすこともできる。そう私たちは考えます。それが私達の考える「ふつうの学校」です。

クラウドファンディングでおなかまを募集中!


そんな「ふつうの学校」を広めていくためのおなかま(同釜)を募集しています

新留小学校は、教育基本法の本来の理念に沿った学校を広めていくための試みです。おなかまになってくれた方々には私達が学校設立の過程で得たノウハウやカリキュラムをどんどん公開してゆきます。

クラウドファンディングで集めたお金は、主としてこのノウハウの開示のために使わせて頂く予定です(映像での記録づくりや書籍づくり。仲間集めのために必要な活動経費など)。

また、お金以上に私達が集めたいと思っているのが、皆さんの思いです。

これだけの人が賛同してくれている。そういう応援団の存在が、学校づくりの支えとなります
鹿児島県では、なんと学校の新設は、38年ぶり。当然、様々なハードルが想定されます。その時にこれだけの応援団がいるという事実が、関係者の背中を押してくれるはずです。
多くの人が応援してくれている学校だから作らせてあげたい。そう行政担当者に思って頂くことが、この難しいプロジェクトを進めるための推進力になるはずです。

是非、おなかま(同釜)になって、学校づくりを支えてください!
クラウドファンディングの詳細については、以下をご覧ください。


↓note更新中!(今後の部分は予定です)
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第1回:「ふつうの学校」作ります。設立趣意のようなもの
第2回:「小学校」の概念を見つめ直してみる
第3回:食とことば とは
第4回:ランチルームとライブラリーの可能性
第5回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜保育園編〜
第6回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜小学校編〜
第7回:「ふつう」という言葉のこそばゆい感 〜これであなたもふつう通!〜
第8回:ご存知ですか、教育基本法?
第9回:小学校とは地域にとってどういう役割の装置か?【今回の記事】
第10回:【インタビュー】なぜ、このドキュメンタリーを撮るのか
第11回:「これが教育の未来だ」というコンセプトを手放してみてもいいのかもしれない
第12回 まちづくりは人づくりから
第13回:ことばによって世界の解像度を高めよ 〜国語の先生との対話から〜
第14回:第14回:早期外国語教育は必要か?
第15回:第15回:子どもたちの「やりたい!」を実現できる学校を、地域とともに創る
第16回:学校をめぐる地の巨人たちのお話〜イリイチ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど
第17回:コンヴィヴィアリティ、イリイチの脱学校から
第18回:これまでのプロジェクト「森山ビレッジ」
第19回:現役中学生たちの、理想の小学校
第20回:理事紹介1・このプロジェクトにかける思い

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