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第14回:早期外国語教育は必要か?

2026年4月開校を目指して設立準備中の私立新留小学校(鹿児島県)。わたしたちが考えていること、思い描いている未来を毎日少しずつ言語化していきます。

今回のテーマは、第3回「食」と「ことば」とは の文末でちらりと触れた今回の「ふつうの学校」プロジェクトで、外国語教育を大きな柱として掲げていない理由についてのお話です。


私、ふるかわの元々の専門は外国語としての日本語教育です。日本語教師として、日本、韓国、中国の民間学校、高専、大学、現地の日本企業等でのべ2000人以上、国で言うと韓国人、中国人、アメリカ人、オーストラリア人、カナダ人、インドネシア人、モンゴル人、フランス人、ケニア人、ラオス人、タイ人、シンガポール人、マレーシア人・・・などなどいろんな国の皆さんに日本語を教えてきました。
また、全米外国語協会(American Council on the Teaching of Foreign) のCertified OPI Testerでもありましたし、日常生活で支障がない程度には英語、韓国語、中国語を使えます。

割と、外国語を学んでいる人や仕事でバリバリ外国語を使いこなしている人たちと触れ合う機会が多い私個人の、「外国語を学ぶ」ということについての考えをつらつらと書いてみようと思います。

共同代表の古川瑞樹(中2当時)。ストックホルムにて。スウェーデン語ができなくても、日常生活に大きな支障はなかった


外国語教育を始めるのは早ければ早いほどよいのか?

私の周りでも、就学前からお子さんに英語の塾に通わせているご家庭や、英語ネイティブのいる幼稚園などを選んでお子さんを通わせているご家庭をチラホラ見かけます。

よく耳にするのが「言語形成期」という言葉で、(英語学習を)始めるのが遅いと、正しい発音が身につかないとか、語彙や言い回しがネイティブレベルまで上達しないといった話。だからできるだけ早く英語を習わせないと、、、と。

例えば、0歳児って母語以外の外国語の音素も聞き分けられたりすると言いますし、就学前くらいだと割と長めの英語の歌をそれっぽい発音で歌えたり(うちの子は天才じゃないか!?と思ったりしますよね)しますが、そもそも論として考えたいのが「ネイティブ並みの発音ができることがどれほど重要か」ということ。

英語が苦手な人ほど発音の良し悪しを気にしますが、試しにyoutubeなどで歴代の国連事務総長のスピーチを聞いてみてください。みなさん、それなりに母語の影響の残った話し方をなさっています。日本語訛りの英語も独特ですが、他の国の方々の英語もそれぞれに独特です。しかし、訛っていてもちゃんと通じますし、例えば日本人の苦手なLとRの発音の区別なども、結局言葉は1単語で話すわけじゃなく、文脈の中で理解されるものなので、基本的にはちゃんと通じるのです。

では、早くから英語を学ぶ意味は全くないのかと言われると、そうではないと思います。

まずは、外国人に対する過度なアレルギー反応のようなものは確実に減るでしょう。小さな頃から、海外の友達/先生がいるというのは素敵なことです。

また、友達や知り合いができることで、異文化への興味も持つでしょうし、寛容度も上がると思うので、それはとても大切なことだと思います。

相手国の歴史に興味を持つことも、大切なこと。

話は脇道にそれますが、共同代表の古川瑞樹が中学生たちに行ったアンケートの結果のなかで「小学校までの間にもっと自分の好きなことに没頭したり、地域の人たちと関わったりできる時間がほしかった」という意見が多く聞かれました。人格の土台を作る幼児〜小学校の時期は、あれこれと忙しく詰め込むよりも、親や地域から愛されていることを実感したり、何かにじっくり熱中したりする時間のほうが大切なのかもしれません。

母語のレベルと、外国語のレベルには相関関係がある


どんな外国語も、自分の母語のレベルを上回ることはありません。

以前わたしは、中国の大学で教員をしていたのですが、ある少数民族の学生たちには割と深刻な悩みがありました。

中国は多民族国家で、全部で 56 の民族で構成されています。 そのうち漢民族は人口の約91%と圧倒的多数を占め、残りの55民族を少数民族と呼んでいます。

家庭で親と話す時や、同じ民族の友達と話す時にはその少数言語を話すのですが、授業では中国語(普通語)を使います。その結果、(彼女たち曰く)「自分たちは民族の言葉もネイティブじゃないし、中国語もネイティブじゃない」というのです。自分の周りの友達は皆同じ状況なので、結果的に普段から少数言語と中国語が混じった独自の?言葉でコミュニケーションをとる。具体的なものごとや、感情などの生活言語は民族の言葉。抽象概念や学術的な言葉は中国語といった感じです。
結果として、細やかな感情から学術的なことまで完全に自分の言語として使いこなせる、自分にとっての第一言語が育ちきらないのです。

もっとも、日本で生まれ育って、日本の教育を受ける子どもたちが、日本の中でどんなに英語を勉強しようと、この少数民族の彼女たちのような悩みを抱える可能性はほぼあり得ないのですが、ひとつの興味深い事例としてご紹介しました。

時代はすごいスピードで変化している

ここ数年は特に早いスピードで、外国語関連のサービスの質が向上しました。外国語で書かれた印刷物や街頭の表示なども、スマホのカメラでかざすだけで、一瞬で外国語部分が日本語に(またその逆も)表示されます。

数年前まではまだまだ荒削りだったネット上での翻訳サービスも、今ではかなり自然に翻訳してくれますし、最近は用意された声だけでなく、自分の声をベースにした音声で様々な言語に一瞬で翻訳してくれるサービス等も出てきました。

私は、ある程度英語や韓国語ができますが、メールや原稿を書く時はチャットGPTを使います。より自分の言いたいニュアンスに近づけるために多少の手直しはしますが、残念ながら、自分で1から作文するよりもチャットGPTのほうが圧倒的に早いですし正確です

台湾で行われた国際カンファレンス。同時通訳がつきます。

また、海外に仕事で呼ばれていく時は、必ず通訳が同行してくれます。
つまり、外国語自体を仕事にしない限りは、外国語ができなくて致命的に困ることはほとんどないのです。

そして、外国語自体を仕事にする場合(例えば通訳)でも大切なのは「自分の専門がしっかりある」ということ。例えば、どんなに外国語が上手でも、医者同士の会話の通訳に入るなら医療がわかっていないと通訳できませんし、技術者同士の会話の通訳をするなら、その専門分野が理解できていないと一流の通訳として成立しないのです。

結局大切なことは何か

では、このグローバル社会で何が大切かというと、それは結局「この人と話したい!」「この人の話をもっと聞きたい」と相手が思ってくれるような中身があるかどうかだと思います。

ストックホルムにて。愛犬にそっくりの犬を見つけて思わず立ち話。話したいことがあれば、どんなにカタコトでも話に花が咲きます。

母語でのコミュニケーションであれ、外国語でのコミュニケーションであれ、目の前にいる人と気持ちよくコミュニケーションができないままでは、あるいは、「もっと話したい!」とお互いが感じなければ、どんなに外国語がうまくてもほとんど意味がないのです。

地球の裏側の情報も瞬時に伝わる今の時代だからこそ、自分の根っこや、足元にある土着の知恵をしっかりと地肉にし、お互いの文化をリスペクトしあいながら共創していける土台を育みたいものです。



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第1回:「ふつうの学校」作ります。設立趣意のようなもの
第2回:「小学校」の概念を見つめ直してみる
第3回:食とことば とは
第4回:ランチルームとライブラリーの可能性
第5回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜保育園編〜
第6回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜小学校編〜
第7回:「ふつう」という言葉のこそばゆい感 〜これであなたもふつう通!〜
第8回:ご存知ですか、教育基本法?
第9回:小学校とは地域にとってどういう役割の装置か?
第10回:【インタビュー】なぜ、このドキュメンタリーを撮るのか
第11回:「これが教育の未来だ」というコンセプトを手放してみてもいいのかもしれない
第12回 まちづくりは人づくりから
第13回:ことばによって世界の解像度を高めよ 〜国語の先生との対話から〜
第14回:早期外国語教育は必要か?(今回の記事)
第15回:第15回:子どもたちの「やりたい!」を実現できる学校を、地域とともに創る
第16回:学校をめぐる地の巨人たちのお話〜イリイチ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど
第17回:コンヴィヴィアリティ、イリイチの脱学校から
第18回:これまでのプロジェクト「森山ビレッジ」
第19回:現役中学生たちの、理想の小学校
第20回:理事紹介1・このプロジェクトにかける思い

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