社員が3ヶ月で15人→4人まで減った頃のこと(4~6期を振り返る)
こんにちは、日本ユニスト代表の今村です。
今回は、連載「創業からの11年間を振り返る」第2弾です。4~6期(2014~2016年)の激動の時代に起きた出来事を思い返していきましょう。
第1弾はこちら↓
最古参メンバーの田中さんが入社
今いる社員の中で一番長く働いてくれているのが、企画開発部部長の田中さんです。彼が2014年5月に入社し、4期目がスタートしました。3期までは買取再販事業を中心に手掛けていましたが、開発事業へと拡大しだしたのがこの頃でした。初めて5億以上の土地に買付(物件購入の申込)を入れてドキドキしていたのが懐かしいです…💓
社員が激減
4期目からは、兵庫県宝塚市の中筋山手という地域の宅地開発に取り掛かりました。山林を地主4名から購入したのですが、その面積なんと約1760坪。かなり大きな規模の案件で、成功したら莫大な利益を生み出すのは必至でした。
しかし事は順調に進まず、近隣住民から開発に対して猛反対を受けるという窮地に…。「開発計画自体が頓挫するのではないか」と思った社員らが次々と退職し、全部で15人いた社員が3カ月で4人にまで激減してしまいました。2週間に1回は「社長ちょっといいですか?」と声を掛けられて退職を切り出されるような状態で、結局私以外に残ったのは田中さんと事務員さんだけでした。
大揉めの宅地開発
開発計画自体が続行できるかピンチの状態でしたが、辞めた部下にすべて任せていた近隣対策をまずは私自身が担い、立て直しをはかることに。地元の公民館で説明会を開いたところ、たくさんのボイスレコーダーやビデオカメラとともに、不満げな顔をした人が大勢集まっているという異様な雰囲気で、ここで初めて事の重大さに気づきました。幸いにも私はサラリーマン時代に近隣対策を行っていたので、その時の経験を活かして、理解と信頼を得るために1つ1つ丁寧に説明することに努めました。
最後に「次はいつ説明会を開くのか」と聞かれたので、「創業したての会社で毎日休みなく働いており、空いているのが12月25日と1月1日しかない(その時は11月)。年末年始ですがその日で良ければ、朝から晩までお話を聞きます」と一歩も下がらずに対応しました。真剣に対応を続けた結果、こちらの思いも伝わって近隣の騒ぎは収まり、最終的には「おたくを信用します」と言ってもらえるまでになりました。
その他の積み残されたプロジェクトのタスクは、田中さんが2年かけてすべて進めてくれました。最終的には土地の一部を分筆(登記簿上の1つの土地を複数の土地に分けて登記すること)して売却。今は真新しい戸建て住宅が立ち並ぶ新興住宅地になっています。
ピンチを乗り越え、売上は2年で3倍以上に
ピンチに見舞われたものの、その後会社は少しずつ成長していき、売り上げは4期の5.8億から6期の21億までに倍増しました。5期にはビジネス上の恩師と言える方と出会い、色々な銀行の支店長を紹介してもらって資金調達が加速していくという追い風もありました。
社員もどん底まで減りましたが、不動産経験がなくても営業経験のある人を集めていき、徐々に立て直しをはかりました。「営業成績が上がらなかったら懸垂する」という体育会系文化が消えていったのもこの頃です。
次回は、一から新たな組織作りに取り組み、現・取締役の山口さんと出会った7~9期のことを振り返ります。今につながる組織の土台が作り上げられた時期のことですので、乞うご期待!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました✨
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